Today's Obituary

米女優のエステル・ゲティ(Estelle Getty)、米ロサンゼルスの自宅で22日死去、84歳。認知症で療養生活を送っていた。
1923年ニューヨーク生まれ。78年「チームメイト」で女優生活を開始。85−92年アパートの一室で4人の中高年女性が送る日常生活を描いたNBCテレビのコメディードラマ「ザ・ゴールデン・ガールズ」に出演、人気を得る。92年映画「刑事ジョー ママにお手あげ」で主演シルベスター・スタローンの母親役を演じた。他の出演作に87年「マネキン」、84年「マスク」など。
00年健康問題を理由に引退。
関東大学ラグビー連盟副会長で元法政大ラグビー部監督の石井徳昌、胃癌のため横浜市中区の病院で17日死去、71歳。
東京都生まれ。65年法政大ラグビー部を率いて第1回全国大学選手権で優勝。68年第4回大会でも優勝。早稲田大と激しい対決を繰り返し、人気を集めた。
東京都生まれ。65年法政大ラグビー部を率いて第1回全国大学選手権で優勝。68年第4回大会でも優勝。早稲田大と激しい対決を繰り返し、人気を集めた。

米スポーツ記者のジェローム・ホルツマン(Jerome Holtzman)、心臓発作のためイリノイ州エバンストンで19日死去、82歳。
1926年イリノイ州シカゴ生まれ。43年地元のシカゴ・デイリー・ニュース紙の見習いとなる。その後シカゴ・サンズ紙やシカゴ・トリビューン紙など、地元の新聞で50年以上に渡って記事を書き続ける。90年野球記者に与えられるテイラー・スピンクス賞受賞など。
シカゴ・トリビューン紙の野球記者だった60年、「セーブ」の考えを提唱。61年から野球週刊誌「スポーティング・ニューズ」が誌上で表彰することとなった。当初は2点リードで登板し1イニングを完全に投球した場合、あるいは同点または勝ち越し点になる打者と対戦しリードを守り切った場合、と現在より厳しい条件だった。
セーブはその後、野球規則委員会の規則改正に影響し、その規定が69年「公認ルール・ブック」に取り入れられた。

米フォーク・ギタリストのアーティ・トラウム(Artie Traum)、肝臓癌のためニューヨーク州ベアーズビルで20日死去、65歳。
1943年ニューヨーク・ブロンクス生まれ。ウッドストック時代のフォークミュージシャンで、60年代後半にグリニッジ・ビレッジを中心としたフォークシーンを支えた1人。
68年エリック・カズ、アーティー・トラウム、スティーヴン・ソールズの3人組のバンド「BEAR」の唯一のアルバム「GREETINGS, CHILDREN OF PARADISE」をリリース。その後、兄のハッピーとともにハッピー&アーティ・トラウムとしてウッドストック・サウンドの名盤を残した。作曲でも知られる。

洋画家の佐々木寅夫、急性大動脈解離のため広島市南区の病院で20日死去、70歳。
1938年広島県豊平町生まれ。69年岡崎勇次に師事。87年「実験室」で第19回日展特選。90年ヒロシマアートグラント90受賞。93年「実験室・小さき命」で第25回日展特選。04年 第36回日展で審査員に就任。

東京・銀座の老舗バー「ルパン」のバーテンダー高崎武、肺炎のため18日死去、82歳。
1928年銀座のビル地下で武の姉・故雪子がルパンを開業。当時は「カフエー」と呼ばれる女給のサービスで酒を飲ませる酒場だった。菊池寛、坂口安吾、泉鏡花、織田作之助、太宰治らの文士が集まるようになった。
51年から武はバーテンダーを務め、81年姉が病気になり、以降店を支えた。歩行困難となった3年前までカウンターに立ち続けた。
歌謡曲の作詞も手がけた。

米歌手のジョー・スタフォード(Jo Elizabeth Stafford)、鬱血性心不全のためカリフォルニア州センチュリーシティの自宅で6日死去、90歳。
1917年カリフォルニア州コーリンガ生まれ。高校卒業後、白人ジャズ・コーラス・グループの草分「パイド・パイパーズ」に加入。その後トミー・ドーシー楽団の専属歌手として活躍。44年独立し、センチメンタルな歌声が従軍米兵の間で人気となる。その声はトランペット・ヴォイスと称された。50年代に「You Belong to Me」や「On London Bridge」などがヒット。ジャズ以外にもカントリーやトラディショナルなども歌った。

舞踊家で振付家の庄司裕(本名:荘司繁雄)、気管支炎のためで6月26日死去、80歳。
1928年山形県酒田市生まれ。昭和3年2月22日山形県酒田市生まれ。54年モダンダンスを江口隆哉・宮操子に師事。70年文化庁芸術家在外研修員とLして米・欧研修。帰国後、72年庄司裕モダンダンスカンパニーを設立。以後多数の作品を創作上演。85年「鎮魂歌―夏の花」で江口隆哉賞を受賞した。現代舞踊協会理事。
