政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary

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仏俳優のジョスラン・キブラン(Jocelyn Quivrin)、交通事故のためサン・クルーで15日死去、30歳。

1979年フランスのディジョン生まれ。92年映画デビュー。05年クリス・ナオン監督「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」でジャン・レノと共演。09年エリック・ロメール監督「アストレとセラドン 我が至上の愛」などに出演した。



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韓国人トップモデルのキム・ダウル(Daul Kim= 金朶雨)、パリのの自宅アパートで首をつって19日死去、20歳。遺書が残され、自殺とみられる。

1989年ソウル生まれ。13歳でモデルを始め、06年韓国版Vogueで「シャネル(Chanel)」のモデルとしてデビュー。07年海外に進出し、07年秋冬シーズンコレクションからファッションショーのモデルとして活躍した。
シャネルなど有名ブランドのモデルを務め、米誌「ニューヨーク・マガジン」で「注目すべきトップモデル10人」の1人に選ばれたこともあり、パリを中心に世界舞台で活動していた。




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元女優で映画プロデューサーの水の江滝子(本名:三浦ウメを水の江滝子に改名)、老衰のため神奈川県内で16日死去、94歳。

1915年北海道小樽区(現:小樽市)生まれ。幼時に東京へ転居。28年東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第1期生として入団する。断髪に男装姿が人気になり「男装の麗人」の異名をとり、「ターキー」の愛称で親しまれた。
第二次世界大戦中は「松竹女子挺身隊」の一員として兵士を慰問。42年松竹少女歌劇団を退団、43年から劇団たんぽぽを主宰する。

52年俳優の鶴田浩二が興した新生プロに所属。55−70年まで日活の映画プロデューサーとなり、76本の映画を企画・制作。浅丘ルリ子や石原裕次郎らを世に送り出した。NHKテレビの娯楽番組「ジェスチャー」にもレギュラー出演し、親しまれた。53年・57年のNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。

93年森繁久弥を発起人(葬儀委員長)とする「生前葬」を開き、芸能関係者ら約500人を集めて話題になった。

■著書:水の江瀧子「ひまわり婆っちゃま」




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イタリアの登山家リノ・ラチェデリ(Lino Lacedelli)、イタリア北部コルティナ・ダンペッツォの自宅で20日死去、83歳。

1925年コルティナ・ダンペッツォ生まれ。54年パキスタンと中国の国境に聳える世界第2の高峰K2(8611m)に、アキレ・コンパニューニ(09年5月死去)とともに世界初登頂。K2は気候条件の厳しさから、世界最高峰エベレスト(中国名チョモランマ)よりも登頂が難しいとされる。イタリア国内で英雄視される一方で、酸素ボンベを運んだ同僚の登山家が遭難寸前の状態だったが、そのまま初登頂に向かったとの疑惑が浮上し論争となった。



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米芸術家のジャンヌ=クロード・ド・ギユボン(Jeanne-Claude Denat de Guillebon)、動脈k瘤破裂による合併症のためニューヨークの病院で18日死去、74歳。

1935年モロッコのカサブランカ(当時フランス領)生まれ。フランスとスイスで学校に通ったのち、チュニス大学を卒業。
58年パリで夫となるクリストと出会い共同制作に取り組む。64年渡米。69年オーストラリア・シドニーで海岸線を白い布で覆う「梱包された海岸」を制作。「ラッピング」の概念を中心とする巨大アートを創作し、「クリスト&ジャンヌクロード」の名で知られた。

主要作は85年「包まれたポンヌフ」、95年「包まれた議事堂」、05年「ザ・ゲーツ」など。91年茨城県北部の国道沿いと米ロサンゼルス郊外の高速道路沿いに、同時にそれぞれ1000本以上の巨大な傘を並べる「アンブレラ」を手掛けた。
95年第7回世界文化賞を受賞。

■DVD:クリスト&ジャンヌ=クロード クリストのヴァレー・カーテン



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神戸華僑総会名誉会長の林同春、肺の病気で19日死去、84歳。

1925年中国・福建省生まれ。9歳のとき来日。45年津山商業高校卒。華僑ネットワークをいかして、服地輸入を手がける。年中央実業社長、中央商事社長、神戸中国百貨公司社長を兼任。
中国人子弟の教育機関である神戸中華同文学校の再建に取り組み、69−85年まで同校理事長を務める。86−99年まで神戸中華総会(現:神戸華僑総会)会長を務める。この間96年中国雲南省の大地震では小学校再建に尽力。97年書「橋渡る人」を出版。06年第60回「神戸新聞平和賞」を受賞した。



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英ラッパーのデレク・B(Derek B, 本名:Derek Boland)、心臓発作のためロンドンで15日死去、44歳。

1965年ロンドン生まれ。15歳のとき海賊ラジオでDJデビュー。自身のラジオ局を持つ人気DJとなる。88年ラップのシングル「Good Groove」をリリースし、UKチャート16位。同年アルバム「Bullet from a Gun」をリリース、シングル「Bad Young Brother」がヒットする。イギリス人ラッパーの草分け的存在。
サッカークラブチーム「リヴァプールFC」の応援歌の1つ「アンフィールド・ラップ」の作詞者の1人でもあった。


■CD: A Look Back [Single]



元プロ野球外野手で元オリックス野球クラブ取締役の中田昌宏、心不全のため横浜市青葉区の病院で16日死去、74歳。

1935年兵庫県生まれ。鳴尾高校でエースとして甲子園に2度出場(51年春に準優勝)。慶応大学に進み、56年秋季リーグ戦で長嶋茂雄らと争い首位打者を獲得。
57年阪急に入団。59年23本塁打を記録、61年29本本塁打を放ち本塁打王のタイトルを野村克也と共に分け合った。67年阪急のパ・リーグ初優勝時は代打の切り札として活躍。68年現役を引退。

上田利治監督時代はヘッド兼打撃コーチ、代理監督(78年途中に4試合のみ)、2軍監督を歴任した。89年阪急からオリックスに変わるとフロント入りし編成部長に就任。長谷川滋利、田口壮、イチローらの獲得に成功。球団取締役等を歴任し01年定年退職。


■関連本: 「スカウト」  安倍昌彦 (著)