Today's Obituary

元女優で映画プロデューサーの水の江滝子(本名:三浦ウメを水の江滝子に改名)、老衰のため神奈川県内で16日死去、94歳。
1915年北海道小樽区(現:小樽市)生まれ。幼時に東京へ転居。28年東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第1期生として入団する。断髪に男装姿が人気になり「男装の麗人」の異名をとり、「ターキー」の愛称で親しまれた。
第二次世界大戦中は「松竹女子挺身隊」の一員として兵士を慰問。42年松竹少女歌劇団を退団、43年から劇団たんぽぽを主宰する。
52年俳優の鶴田浩二が興した新生プロに所属。55−70年まで日活の映画プロデューサーとなり、76本の映画を企画・制作。浅丘ルリ子や石原裕次郎らを世に送り出した。NHKテレビの娯楽番組「ジェスチャー」にもレギュラー出演し、親しまれた。53年・57年のNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。
93年森繁久弥を発起人(葬儀委員長)とする「生前葬」を開き、芸能関係者ら約500人を集めて話題になった。
■著書:水の江瀧子「ひまわり婆っちゃま」

米芸術家のジャンヌ=クロード・ド・ギユボン(Jeanne-Claude Denat de Guillebon)、動脈k瘤破裂による合併症のためニューヨークの病院で18日死去、74歳。
1935年モロッコのカサブランカ(当時フランス領)生まれ。フランスとスイスで学校に通ったのち、チュニス大学を卒業。
58年パリで夫となるクリストと出会い共同制作に取り組む。64年渡米。69年オーストラリア・シドニーで海岸線を白い布で覆う「梱包された海岸」を制作。「ラッピング」の概念を中心とする巨大アートを創作し、「クリスト&ジャンヌクロード」の名で知られた。
主要作は85年「包まれたポンヌフ」、95年「包まれた議事堂」、05年「ザ・ゲーツ」など。91年茨城県北部の国道沿いと米ロサンゼルス郊外の高速道路沿いに、同時にそれぞれ1000本以上の巨大な傘を並べる「アンブレラ」を手掛けた。
95年第7回世界文化賞を受賞。
■DVD:クリスト&ジャンヌ=クロード クリストのヴァレー・カーテン

英ラッパーのデレク・B(Derek B, 本名:Derek Boland)、心臓発作のためロンドンで15日死去、44歳。
1965年ロンドン生まれ。15歳のとき海賊ラジオでDJデビュー。自身のラジオ局を持つ人気DJとなる。88年ラップのシングル「Good Groove」をリリースし、UKチャート16位。同年アルバム「Bullet from a Gun」をリリース、シングル「Bad Young Brother」がヒットする。イギリス人ラッパーの草分け的存在。
サッカークラブチーム「リヴァプールFC」の応援歌の1つ「アンフィールド・ラップ」の作詞者の1人でもあった。
■CD: A Look Back [Single]
元プロ野球外野手で元オリックス野球クラブ取締役の中田昌宏、心不全のため横浜市青葉区の病院で16日死去、74歳。
1935年兵庫県生まれ。鳴尾高校でエースとして甲子園に2度出場(51年春に準優勝)。慶応大学に進み、56年秋季リーグ戦で長嶋茂雄らと争い首位打者を獲得。
57年阪急に入団。59年23本塁打を記録、61年29本本塁打を放ち本塁打王のタイトルを野村克也と共に分け合った。67年阪急のパ・リーグ初優勝時は代打の切り札として活躍。68年現役を引退。
上田利治監督時代はヘッド兼打撃コーチ、代理監督(78年途中に4試合のみ)、2軍監督を歴任した。89年阪急からオリックスに変わるとフロント入りし編成部長に就任。長谷川滋利、田口壮、イチローらの獲得に成功。球団取締役等を歴任し01年定年退職。
■関連本: 「スカウト」 安倍昌彦 (著)
1935年兵庫県生まれ。鳴尾高校でエースとして甲子園に2度出場(51年春に準優勝)。慶応大学に進み、56年秋季リーグ戦で長嶋茂雄らと争い首位打者を獲得。
57年阪急に入団。59年23本塁打を記録、61年29本本塁打を放ち本塁打王のタイトルを野村克也と共に分け合った。67年阪急のパ・リーグ初優勝時は代打の切り札として活躍。68年現役を引退。
上田利治監督時代はヘッド兼打撃コーチ、代理監督(78年途中に4試合のみ)、2軍監督を歴任した。89年阪急からオリックスに変わるとフロント入りし編成部長に就任。長谷川滋利、田口壮、イチローらの獲得に成功。球団取締役等を歴任し01年定年退職。
■関連本: 「スカウト」 安倍昌彦 (著)





