政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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米スポーツ記者のジェローム・ホルツマン(Jerome Holtzman)、心臓発作のためイリノイ州エバンストンで19日死去、82歳。

1926年イリノイ州シカゴ生まれ。43年地元のシカゴ・デイリー・ニュース紙の見習いとなる。その後シカゴ・サンズ紙やシカゴ・トリビューン紙など、地元の新聞で50年以上に渡って記事を書き続ける。90年野球記者に与えられるテイラー・スピンクス賞受賞など。

シカゴ・トリビューン紙の野球記者だった60年、「セーブ」の考えを提唱。61年から野球週刊誌「スポーティング・ニューズ」が誌上で表彰することとなった。当初は2点リードで登板し1イニングを完全に投球した場合、あるいは同点または勝ち越し点になる打者と対戦しリードを守り切った場合、と現在より厳しい条件だった。
セーブはその後、野球規則委員会の規則改正に影響し、その規定が69年「公認ルール・ブック」に取り入れられた。

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英ジャーナリストのチャールズ・ホィーラー(Sir Charles Cornelius Wheeler )、肺癌のためロンドンの自宅で4日死去、85歳。

1923年ドイツ生まれ。クランブルック学校卒業。30年代後半17歳でデイリースケッチ紙の記者となる。47年BBC入局、外国特派員となる。アジア、ベルリン、ワシントンDCに赴任後、56年ハンガリー動乱で現地に入り撮影に成功。このほか米国の公民権運動の黒人指導者だったキング牧師暗殺、ウォーターゲート事件など数多くの歴史的事件をリポート。BBCのニュース討論番組の司会なども務めた。

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香港誌元社長でジャーナリストの陸鏗(Lu Keng)、米サンフランシスコの病院で呼吸困難のため21日死去、89歳。

1919年生まれ。原籍は中国雲南省。40年重慶の中央政治学校を卒業。中国初の放送記者となり、第2次大戦中に米国のアイゼンハワーやマッカーサーにインタビュー。南京の国民党「中央日報」で取材主任・副編集長を務めた。49年投獄され、文化大革命により計22年間監獄生活を送る。

78年香港に移住し、81年に政治問題雑誌「百姓」を創刊。香港、台湾、アメリカで活躍。85年胡耀邦総書記と会見した際に書いた記事が総書記失脚の理由の一つとされる。90年許家屯・新華社香港支社長の米国亡命を助けた。

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米NBCテレビ看板キャスターのティム・ラサート(Tim Russert)、冠動脈塞栓症のためワシントン市内で13日死去、58歳。

1950年ニューヨーク州バッファロー生まれ。ジョン・キャロル大学卒業。クリーブランド州立大学法科院修了。
91年から日曜朝の人気政治番組「ミート・ザ・プレス」の司会者を務めた。今回の大統領選でも候補者討論会の司会を担当するなど、米メディア界を代表する政治記者1人。米誌タイムは08年の「世界で最も影響力のある100人」に選んだ。

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米スポーツキャスターのジム・マッケイ(Jim McKay,本名:James Kenneth McManu)、メリーランド州の自宅で7日死去、86歳。

1921年フィラデルフィア生まれ。13歳でボルチモアに転居。43年ロヨラ大学卒業。43−45年まで海軍で兵役。その後テレビの天気予報などを担当する。60年米カリフォルニア州スコーバレーの冬季五輪以降、計12回の五輪報道に携わった。

72年ミュンヘン五輪で発生したイスラエル選手団襲撃事件で冷静に状況を伝え、エミー賞などを受賞。これを含め計13回エミー賞を受賞したほか、98年国際オリンピック委員会から「オリンピック勲章」を授与された。

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米報道写真家のコーネル・キャパ(Cornell Capa、本名:Cornell Friedmann)、ニューヨークの自宅で23日死去、90歳。パーキンソン病で闘病生活を送っていた。

1918年ブダペスト生まれ。写真家の故ロバート・キャパの弟。高校卒業後、医学を志してパリの兄のもとへ。兄の写真現像処理を担当して、写真の道に入る。37年ニューヨークに移住。39年頃から写真家として各雑誌に作品を発表。戦時中は米空軍写真情報部・広報部に勤務。46年より「ライフ」誌の専属写真家となり、イギリス駐在。

インドシナ戦争の取材中に死去した兄を引き継いで、54年パリの写真家集団マグナムに参加。56-60年まで代表を務める。その後ライフ誌に戻り、ケネディ大統領の選挙戦やホワイトハウスの生活を撮影。74年ジャクリーン夫人らの支援を受けてニューヨーク市マンハッタンに国際写真センター(ICP)創設、94年の引退まで理事長を務めた。

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映画「キリング・フィールド」のモデルとなったカンボジア出身フォトジャーナリストのディト・プラン(Dith Pran)、膵臓癌のため米ニュージャージー州の病院で30日死去、65歳。

1942年カンボジア北西部シエム・レアプ生まれ。学校でフランス語を習い、英語は独学。米紙ニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)記者の助手兼通訳としてカンボジア内戦などを取材。75年ポル・ポト派のプノンペン攻略でシャンバーグ記者は国外退去。その後ポル・ポト政権下(クメール・ルージュ)の圧政を約4年半生き延びる。

79年タイに脱出、同記者と再会。米国に移住し、80年同紙カメラマンとなる。98年エリス島移民栄誉賞を受賞。

84年英映画「キリング・フィールド」はこの2人の記者を描き、アカデミー賞3部門を受賞。

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英写真家のフィリップ・ジョーンズ・グリフィス(Philip Jones Griffiths)、72歳。

1936年ウェールズ生まれ。リバプール大学で薬学を学ぶ。61年フリーランスの写真家となり、英「オブザーヴァー」誌と契約。62年アルジェリア戦争を取材後、中央アフリカ、アジアへと活動を広げる。
66-70年の間3年以上に渡りベトナムを取材、当時世界最高の戦争写真家と評された。写真集「Vietnam, Inc.」を出版(01年ノーム・チョムスキーが序文を添えて再出版)。

67年にマグナム準会員、71年正会員。
70年代はアジアの紛争地を取材、80年ニューヨークに移住してマグナムの会長を5年間務めた。96年集大成の写真集「Dark Odyssey」を出版。

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