Today's Obituary

在日大韓基督教会川崎教会名誉牧師で社会福祉法人青丘社理事長の李仁夏(イ・インハ)、間質性肺炎のため東京都大田区の病院で6月30日死去、83歳。
1925年韓国・慶尚北道生まれ。41年来日、52年東京神学大卒。カナダ留学後、帰国を試みるも果たせなかった。となる。59年在日大韓基督教会川崎教会の牧師となり、同市を拠点に在日韓国・朝鮮人に対する就職差別の解消や、元軍人・軍属に対する援護法の国籍条項撤廃などを求める運動に取り組んだ。91-03年まで「在日の戦後補償を求める会」の共同代表を務めた。

元真宗大谷派宗務総長の能邨英士、腺癌で13日死去、76歳。
石川県小松市生まれ。94-98年まで宗門の実務トップの宗務総長を務めた。
96年「お東紛争」再燃の際、宗門の執行機関の内局と前門首の大谷業成が対立し、業成が宗門離脱。現門首の大谷暢顕を後継に決めることで、紛争を収めた。

元大正大学長で浄土宗名誉門主の中村康隆、老衰のため静岡市の自坊実相寺で8日死去、102歳。
1906年静岡市生まれ。75-78年大正大学学長。93年浄土門主、知恩院第86世門跡に就任。94年から2年間全日本仏教会会長を務めた。07年健康上の理由から浄土門主、知恩院第86世門跡を辞任。

浄土真宗の宗祖親鸞の血筋で、真宗大谷派元門首代行を務めた函館別院住職の大谷演慧、肺炎のため京都市北区の病院で28日死去、93歳。
京都市生まれ。前門首の故大谷光暢のいとこ。親鸞の子孫の僧侶が務め、御影堂などの儀式で門首を補佐する鍵役の一人だった。院号は信行院。
69年「お東紛争」の発端をつくった前門首光暢が93年死去。後継指名された光暢の長男業成は当時学生で未成年のため、門首代行に就任。96年1月業成らの宗派離脱で門首不在となったが、同年7月光暢の二男暢顕の就任まで引き続き代行を務め、宗派の混乱を乗り切った。

臨済宗天竜寺派管長で天竜寺住職の平田精耕、多臓器不全のため京都市西京区の病院で9日死去、93歳。
1924年京都市生まれ。33年得度。京都大哲学科卒業。旧西ドイツ・ハイデルベルク大に留学。花園大教授や禅文化研究所(京都市)の所長・理事長を務め、天竜寺派では宗務総長などを歴任、91年管長に就任。
88年旧東ドイツ訪問、共産圏で初めて「ZEN」を講演。禅とカトリックの交流を進めるなど国際派の禅僧として知られた。著書に「禅からの発想」「雪月花つれづれ」「禅語辞典」など。

曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)78世貫首の宮崎奕保、老衰のため札幌市中央区の病院で5日死去、106歳。国内の宗教指導者では最高齢だった。
1901年兵庫県加西市生まれ。15年同県加古川市の福田寺で得度。駒沢大専門部(現:駒沢大学文学部)修了後、永平寺、札幌市中央区の中央寺住職を経て81年永平寺監院。85年永平寺副貫首、93年丹羽廉芳前貫首死去に伴って第78世貫首(同宗管長)に就任。
※曹洞宗大本山永平寺、79世貫首に同寺副貫首で愛知県豊川市の妙厳寺住職、福山諦法師を選んだ。
カトリック・サレジオ修道会司祭でローマ法王庁(バチカン)諸宗教対話評議会顧問の尻枝正行、パーキンソン病のためローマ市内で10日死去、75歳。
1932年鹿児島市生まれ。仏教徒の家に生まれたながら48年洗礼を受ける。教皇庁立グレゴリアン大学で神学博士号取得。63年司祭となる。74年から99年までローマ教皇庁諸宗教評議会事務局で次長などを務めた。その間81年には前法王ヨハネ・パウロ2世訪日に随行。
著書に曽野綾子との往復書簡集「別れの日まで」「心に奇蹟を起こす対話」など。
1932年鹿児島市生まれ。仏教徒の家に生まれたながら48年洗礼を受ける。教皇庁立グレゴリアン大学で神学博士号取得。63年司祭となる。74年から99年までローマ教皇庁諸宗教評議会事務局で次長などを務めた。その間81年には前法王ヨハネ・パウロ2世訪日に随行。
著書に曽野綾子との往復書簡集「別れの日まで」「心に奇蹟を起こす対話」など。

宗教法人釈尊会会長の小野兼弘、肝不全のため自宅で18日死去、54歳。
岡山県生まれ。父は日蓮宗系の宗教団体「大尊会」開祖の小野雅皓。立正大学卒業、同大学院修了。79年岡山県倉敷市に本拠を置く宗教団体「釈尊会」を設立。87年宗教法人の認可を得た。
03年女優の若村麻由美と結婚。“巨漢の教祖”として話題になった。
日印文化交流協会会長。




