weblog 死亡欄

秀でた功績を残された方々の死亡情報、およびその経歴をお届けしています。 -敬称略-
ヨゼフ・ピタウ


ローマ・カトリック教会大司教で元上智大学学長のヨゼフ・ピタウ(Joseph Pittau)、脳幹梗塞のため東京都練馬区で26日死去、86歳。

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文鮮明


世界基督教統一神霊協会(統一教会)創始者の文鮮明(本名:文龍明、Moon Sun-myung)、病気のため韓国京畿道加平郡の病院で3日死去、92歳。風邪と肺炎による合併症で8月から入院していた。

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ポール・リーブス


ニュージーランドの聖職者で第15代ニュージーランド総督のポール・リーブス(Sir Paul Alfred Reeves)、癌のために14日死去、78歳。

1932年ウェリントン生まれ。マオリ族の血をひく。55年ウェリントン・カレッジ(現:ヴィクトリア大学ウェリントン校)を卒業。56年同大学院で修士号取得。58年聖ジョーンズ神学校で聖職者資格取得。英オックスフォード大学で文学修士号取得。60年司祭聖職位を取得。

64年ニュージーランドに帰国。71年ワイアプアングリカン教会主教、79年オークランドアングリカン教会主教をへて、80-85年までアングリカン教会最高位のニュージーランドアングリカン教会大主教を務める。

85年第15代ニュージーランド総督に就任。マオリ族の家系を持つ人物としては初の総督となった。90年退任。
05年オークランド工科大学総長を務めた。
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サティヤ・サイババ


インドの霊能者で宗教指導者のサティヤ・サイババ(Sathya Sai Baba, 本名:Sathya Narayana Raju)、アンドラプラデシュ州プッタパルティの病院で24日死去、84歳。3月下旬に入院し、ここ数日間は危篤状態だった。

1926年プッタパルティ生まれ。14歳で特別な能力を自覚。聖者シルディ・サイババの生まれ変わりで、、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)だと宣言。以来サティア・サイババと名乗る。
40年家を出て説法を始め、不治の病を治すとしてその名が広がり、60年代末には海外にも知られるようになる。インドの歴代大統領をはじめ、世界の著名人にも信奉者が広がり、その数は世界中に数百万人以上ともいわれる。

莫大な資産家としての顔もある。寄付・献金によるもので、資産は4000億ルピー(約8000億円)以上との見方もある。貧困層のための無料病院や教育施設、水インフラ整備など、国内外の慈善事業にも使われてきた。
独身で子供がいないため、莫大な資産の行方に注目が集まっている。
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ジョルジュ・ネラン
カトリック教会司祭のジョルジュ・ネラン(Georges Neyrand)、膵臓癌のため東京都小金井市のホスピスで24日死去、91歳。

1920年フランス生まれ。40年サン・シール陸軍士官学校(仏)卒業、43年神学校入学。
52年来日。作家の遠藤周作と親交があり、小説「おバカさん」「深い川」「悲しみの歌」に登場する青年ガストン・ボナパルトのモデルになった。東京大学、慶応大学、立教大学などの非常勤講師を努める。

東京・新宿でスナック「エポペ」を開き、バーテンダーとして店に立った。
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サムエル・ルイス


メキシコ先住民の権利擁護に尽力したカトリック元司教サムエル・ルイス(Samuel Ruiz García)、糖尿病による合併症などのためメキシコ市の病院で24日死去、86歳。

1924年メキシコのグアナハト州イラプアト生まれ。59-00年まで約40年間メキシコ南部チアパス州サン・クリストバテル教区の司教を務めた。貧しい人々の救済に励む「解放の神学」を支持し、差別に苦しむ先住民への布教に尽くした。

先住民の権利向上を掲げ武装蜂起したサパティスタ国民解放軍(EZLN)とメキシコ政府の和平交渉仲介に貢献し、90年代半ばにノーベル平和賞の候補としてたびたび名前が挙がった。00年ユネスコのシモン・ボリバル国際大賞を受賞。02年庭野平和財団(東京都)の庭野平和賞を受賞した。
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ムハンマド・タンタウィ
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イスラム教スンニ派最高権威機関アズハル総長のムハンマド・タンタウィ師(Mohammed Sayed Tantawi)、心不全のため訪問先のサウジアラビアで10日死去、81歳。

1928年エジプト南部ソハーグ県生まれ。66年アズハル大学を修了。86年からエジプト国内の宗教問題について政府に助言するムフティ(法学者)を務め、穏健派として知られた。96年たガデルハク師が亡くなり、後任としてアズハル指導者に就任。

01年米同時多発テロを実行した国際テロ組織アルカイダを厳しく批判した。
09年イスラム教徒の女性が顔を覆うベール「ニカブ」を、義務ではないとしてアズハル付属学校内で着用禁止。保守派を中心にアラブ社会に反発が広がった。
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姚良
中国河北省の非合法カトリック教会司教の姚良、河北省張家口市で30日死去、87歳。

1922年河北省生まれ。49年の新中国建国以前からカトリック神父を務めていた。建国後の宗教弾圧を受け、56年投獄され84年出所。政府公認のカトリック教会に所属することを拒否し、06年再投獄され09年出所。張家口市の地下教区司教を務めていた。

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エドワード・スヒレベークス
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ローマカトリック教会の神学者エドワード・スヒレベークス(Edward Schillebeeckx)、オランダのナイメーヘンで23日死去、95歳。

1914年ベルギーのアントワープ生まれ。ルーヴァン大学で論理学と哲学を学ぶ。ドミニコ会士となり、オランダのヘルダーランド州ナイメーヘンのラドバウド大学ナイメーヘン校で教鞭をとる。82年エラスムス賞を受賞。62-65年の第2バチカン公会議に貢献。

■関連本:新カトリック大事典
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オラル・ロバーツ
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米キリスト教大衆伝道家のオラル・ロバーツ師(Oral Roberts )、カリフォルニア州ニューポートビーチで肺炎による合併症ため15日死去、91歳。

1918年オクラホマ州ポントトック・カントリー生まれ。17歳で結核が奇跡的に治癒したことで聖職に入る。オクラホマ・ボプティスト大学及びフィリップス大学で学ぶ。そのかたわら同州やジョージア州の教会で牧師を務めた。47年オクラホマ州タルサでオーラル・ロバーツ福音協会を設立。54年礼拝のテレビ放送に乗りだし、キリスト教の大衆伝道を始める。最盛期は世界に数百万人の信者を持った。キリスト教福音派が運営し、政治にも強い影響力を持つ現代米国のメガ・チャーチ(巨大教会)につながる流れをつくった。
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金寿煥
韓国人のカトリック教会枢機卿の金寿煥、肺炎による呼吸不全のため16日死去、86歳。

1922年韓国南東部・大邱市生まれ。日本の上智大学中退、ソウルカトリック大学卒業。安東教会主任神父、馬山教区長、大司教などを歴任。69年ローマ法王庁から韓国人初の枢機卿に枢機卿に任命される。71年当時の朴正熙大統領の「長期独裁政権」を批判。87年にも全斗煥大統領の軍事政権を批判し、民主化運動で指導的役割を果たす。

96年日本政府が元従軍慰安婦に関する過去の真相を明らかにするとともに、被害者に補償と謝罪を表明するよう求める書簡を当時の村山首相に送った。
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聖厳法師
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台湾の宗教団体「法鼓山」創設者の聖厳法師、多臓器不全のため3日死去、78歳。

1930年中国江蘇省生まれ。14歳で出家し、その後軍に入隊。49年国民党政権とともに台湾に渡った後に除隊して再び出家する。
69年39歳で立正大学(東京)に留学し、博士号を取得。米国での布教活動後、帰国。中華学術院仏学研究所長などを歴任。89年に法鼓山を創設した。

01年訪台したチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談。地元有力誌が台湾で影響力のある50人のうちの1人に選ぶなど、台湾の政財界に多くの信徒を持つ。

東アジア仏教の諸問題―聖厳博士古稀記念論集

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ジェームス・ハヤット
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カトリック東京大司教区司祭で「心のともしび運動」本部代表理事のジェームス・ハヤット(James Hyatt)、肺炎のため京都市上京区の病院で14日死去、86歳。

1922年米国アイダホ州ウォラス生まれ。49年来日。河原町教会助任司祭や西院教会主任司祭を歴任。52年カトリック精神を伝える「心のともしび運動」を始め、57年京都放送(KBS京都)のラジオ「心のともしび」を開始。ほかテレビなどでも福音放送を続けた。

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アレクシー2世
AlexiyⅡ

ロシア正教会総主教のアレクシー2世(Alexiy Ⅱ、俗名アレクセイ・リジゲル)、モスクワ郊外の自宅で5日死去、79歳。

1929年エストニアのタリン生まれ。49年レニングラード神学校に卒業。53年レニングラード・神学アカデミー(現:サンクトペテルブルク神学校)を卒業。61年剃髪してセルギエフ・パサード至聖三者セルギー大修道院至聖三者大聖堂の修道士となる。同年タリン・エストニアの主教に選出。64年大主教に昇叙、68年39歳で府主教となる。90年ロシア正教会の最高位である総主教。

在位中はロシアの歴代指導者と協調関係を築き、旧ソ連時代に抑圧された正教会の影響力回復に尽力。亡命した聖職者でつくる在外教会との和解を実現し、分裂したカトリック教会との対話の道も模索した。
00年訪日。

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