Today's Obituary
大手住宅機器メーカーのクリナップ創業者で名誉会長の井上登、肺炎のため9日死去、87歳。
1920年福島県広野町生まれ。49年東京都荒川区で個人経営で座卓の製造販売を開始。54年クリナップの前身となる井上食卓(のち井上工業に改称)を設立し、社長に就任。60年クリナップの名でステンレス流し台を発売。73年国内初のシステムキッチンを開発。83年クリナップに商号変更した。
1920年福島県広野町生まれ。49年東京都荒川区で個人経営で座卓の製造販売を開始。54年クリナップの前身となる井上食卓(のち井上工業に改称)を設立し、社長に就任。60年クリナップの名でステンレス流し台を発売。73年国内初のシステムキッチンを開発。83年クリナップに商号変更した。

米国で日本の鉄板焼きチェーン「ベニハナ」を成功させた実業家のロッキー青木(本名:青木広彰)、肺炎のためニューヨーク市内の病院で11日死去、69歳。
1938年東京都生まれ。日本橋の洋食屋チェーン「紅花」の経営者、青木湯之助とかつの長男。慶応大学在学中に全日本学生レスリング代表団のメンバーとして渡米。その後、留学のため渡米。学業の傍らニューヨークで移動アイスクリーム屋を開き、和傘のミニチュアをアイスクリームに添えるアイデアで成功。64年ニューヨーク5番街に鉄板焼きレストラン「ベニハナ・オブ・トウキョウ」を開業。鉄板焼きのパフォーマンスが話題となり、後に一大日本食チェーンとなるベニハナの礎を築いた。
75年にはバックギャモンの全米チャンピオンとなる。80年パワーボート世界大会で2位。82年気球による太平洋横断に成功する。
98年インサイダー取引で訴追され、会長職を退く。
娘のデヴォン青木はファッションモデル。息子のスティーブ青木(キッドミリオネア)は人気のDJ。

プレス用金型、ICリードフレーム製造大手の三井ハイテックの創業者で会長の三井孝昭、10日死去、87歳。
1921年熊本県八代市生まれ。36安川電機製作所(現:安川電機)に入社、金型工となる。
48年に独立して、福岡県八幡市(現:北九州市)で三井工作所(現:三井ハイテック)を創業。3人からスタートし、金型を軸に事業を拡大。その技術を精密製品作りに取り入れ、半導体部品の量産を実現。同社を半導体用リードフレームで世界トップクラスの企業に育てた。
84年福岡証券取引所に上場、91年東京証券取引所一部にも上場した。
90年専務だった娘婿の永田敏に後任を託し会長に就任。94年業績不振のため永田社長を専務に降格、三井が社長を兼務。98年再び永田は社長に就任したが、02年大規模合理化策の責任を取って退任。三井は三度社長についた。
04年トヨタ自動車出身の坂上隆紀副社長(当時)に社長を引き継ぎ、会長に退く。

前秋田商工会議所会頭の辻兵吉、肝細胞癌のため秋田市内の病院で5日死去、82歳。
1926年生まれ。52年東京商科大学(現;一橋大学)卒。秋田ゼロックス、秋田いすゞ自動車等の社長をはじめ十数社の取締役・社長・会長を兼任。
86年秋田商工会議所会頭に就任。秋田県財界の重鎮として県経済の発展に尽力した。このほか秋田観光コンベンション協会理事長、秋田県貿易促進協会会長なども歴任。
辻兵(つじひょう)は、秋田市で呉服商を営んでいた店名。現在は一企業グループ名。その名は代々の総帥の名前として引き継がれている「辻兵吉」から取ったもの。

元野村証券〈現:野村ホールディングス〉会長の田淵節也、心不全のため26日死去、84歳。
1923年岡山県津山市生まれ。47年京都大学法学部卒業後、野村証券入社。事業法人関係を中心に主に営業畑を歩み「法人営業の田淵」と名をはせた。常務、専務、副社長を経て、78年社長に就任。国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。85年会長に就任。
会長時代に日本証券業協会会長、東京証券取引所理事会議長などを歴任。90年証券業界から初めて経団連(現:日本経団連)副会長に就任。
91年特定の大口顧客への損失補填や、暴力団関係者との不透明な取引など一連の証券不祥事が発覚し、国会で証人喚問され、同年会長を引責辞任、相談役に退いた。

グルメ杵屋創業者で会長の椋本彦之、肝炎のため大阪市住吉区の自宅で24日死去、72歳。
1935年大阪市生まれ。54年大阪府立阿倍野高等学校を卒業。57年両国米穀販売店を創業し、
1967年両国食品(現:グルメ杵屋)を創業。71年奈良県に手打ちうどん「杵屋」1号店をオープン。86年グルメ杵屋を設立し、代表取締役社長に就任した。回転すし大手の元気寿司に資本参加するなど多角化を進め、500店を超える外食チェーンを育てあげた。05年から会長。
関西経済同友会幹事や日本フードサービス協会理事を歴任。91年12月から学校法人大阪初芝学園の理事長として教育にも注力した。一方で、寄付金などを裏金としてプールし政治献金に流用した不祥事の責任を取り、08年1月辞任。

元日経連(現:日本経団連)会長で三菱マテリアル名誉顧問の永野健、東京都世田谷区の病院で12日死去、85歳。
1923年広島県生れ。東京帝国大学第一工学部卒。45年旧三菱鉱業に入社。社名変更後の三菱金属で82年社長に就任。90年旧三菱鉱業セメントとの合併で三菱マテリアルが誕生、初代会長となる。
91-95年まで日経連会長を務める。就任会見で「就職協定はやめた方がいい」と発言して物議を醸した。また1ドル=80円を切る円高を経験。財界労務担当として、円高による製造業の空洞化回避のため賃下げも辞さずとの姿勢を堅持した。
航空会社の時給・契約制スチュワーデスの導入を巡り、亀井静香運輸大臣(当時)との論争などでも知られる。
広島県知事などを務めた永野巌は実兄。新日本製鉄会長や日本商工会議所会頭などを歴任した永野重雄は叔父。





