Today's Obituary

作家で動物学者のライアル・ワトソン(Lyall Watson)、6月25日死去、69歳。
1939年東アフリカのモザンビーク生まれ。南アフリカに移住したが、人種隔離政策に反対して国籍を剥奪され、英国籍を取得。ロンドン大学で動物行動学の博士号を取得する。64-65年まで南アフリカのヨハネスブルグ動物園長、66-67年まで英BBCプロデューサー、その後オックスフォード大学客員教授を務める。その間に南アフリカ、オランダやドイツなどで植物学、博物学、海洋生物学、心理学などの約10の学位を取得した。72年著書「アフリカの白い魔術師」で注目される。超常現象を含む学際的科学を研究し「新自然学」をめざした。
主著に「スーパーネイチュア」「風の博物誌」「生命潮流」などがある。
相撲ファンとして知られ、相撲を英国に紹介し、大相撲ロンドン公演ではテレビ解説した。捕鯨反対運動家でもあり、非捕鯨国の代表を務めている。

最高齢でノーベル賞を受賞した米経済学者のレオニド・ハーウィックス(Leonid Hurwicz)、老衰のため米ミネソタ州の病院で24日死去、90歳。
1917年ロシアのモスクワ生まれ。両親は第1次大戦後ポーランドから流入したユダヤ人。その後家族でポーランドに戻る。ワルシャワ大学で修士号取得。ニコラス・カルドアやフリードリヒ・ハイエクに師事。40年米国に移住。ポール・サミュエルソン教授の研究助手となる。
第2次大戦中はシカゴ大学の気象学研究所に籍を置き、経済統計学を講義。51年ミネソタ大学の教授に就任、経済学・数学を教える。のちミネソタ大名誉教授。
07年ノーベル経済学賞を受賞。複雑な経済的・社会的タスクを解決する「メカニズム・デザイン理論」の基礎構築と発展に貢献したことが評価された。同賞の受賞者として過去最高齢の90歳だった。

米物理学者でノーベル賞受賞者のウィリス・ラム(Willis Lamb Jr.)、胆石による病気のため米アリゾナ州トゥーソンの病院で15日死去、94歳。
1913年ロサンゼルス生まれ。3カリフォルニア大バークリー校卒業。同校で理論物理学を研究、「原爆の父」と呼ばれる物理学者オッペンハイマーの指導を受ける。38年同校で博士号取得、同年コロンビア大学に移る。55年水素原子の微細構造に関する研究が評価され、ノーベル物理学賞を共同受賞。

米数学者で初期コンピュータ理論家のアーサー・バークス(Arthur W. Burks)、アルツハイマービュ病のためミシガン州アン・アーバーの介護施設で14日死去、92歳。
1915年ミネソタ州ダルス生まれ。インディアナ州のデポー大学で物理学と数学を学ぶ。ミシガン大学で哲学の博士号取得。43年ENIAC開発チームに加わる。その後、IAS(プリンストン高等研究所)計算機の開発、EDVACにも関わるなど、計算機界の発展に貢献。
フォン・ノイマンの「自己増殖オートマトンの理論」の編者としても広く知られる。
※ENIAC(エニアック:Electronic Numerical Integrator and Computer)
「電子式数値積分・計算機」を意味し、世界最初のコンピュータともいわれる。
1946年2月ペンシルバニア大学で初めて公開され、55年10月まで使用されたのち解体。

スイスの化学者アルベルト・ホフマン(Albert Hofmann)、スイス・バーゼルの自宅で心臓発作のため29日死去、102歳。
1906年スイスのバーデン生まれ。チューリッヒ大学卒業。スイス大手製薬会社サンド社(現ノバルティス)の研究施設で麦角菌の医学的有用性を研究。38-43年にかけて幻覚作用のあるLSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)の合成に成功。精神疾患の治療への実用化が期待された。58年メキシコの幻覚キノコの一種から向精神物質サイロシビンとサイロシンを初めて抽出。71年まで同社に勤務。
LSDは60年代米国のヒッピーらが麻薬として乱用し社会問題化した。66年米国が使用を禁止、他国も追随した。

米気象学者・数学者でカオス理論提唱者のエドワード・ローレンツ(Edward Norton Lorenz)、癌のためマサチューセッツ州の自宅で16日死去、90歳。
1917年コネティカット州生まれ。ダートマス大学、ハーバード大学大学院に学ぶ。第2次大戦中は陸軍で気象予報に従事。
60年気象の数理モデルで初期条件の小さな違いが結果に大きな違いをもたらすことを発見、チョウの羽ばたきが竜巻を起こし得ることに例えて「バタフライ効果」と表現されるカオス理論を提唱した。
62年マサチューセッツ工科大教授に就任、83年クラフォード賞、87年マサチューセッツ工科大名誉教授、91年京都賞受賞。

米物理学者で米プリンストン大名誉教授のジョン・ホイーラー(John A. Wheeler)、肺炎のためニュージャージー州の自宅で13日死去、96歳。
1911年フロリダ州ジャクソンビル生まれ。33年ジョンズホプキンズ大の物理学博士号を取得。プリンストン大学の助教授となる。
第2次大戦中にマンハッタン計画に参加。ニールス・ボーアと共同で核分裂を研究、水爆計画に参加した。
アルベルト・アインシュタインと共同で統一理論の構築に取り組み、一般相対性理論や量子重力理論で足跡を残した。60年には量子重力研究をおこない、ブライス・ドウィット(Bryce DeWitt)とともに宇宙の波動関数を記述するホイーラー・ドウィット方程式(Wheeler-DeWitt equation)を生みだした。
ワームホール(57年)やブラックホール(67年)の命名者でもある。

情報工学者でマサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授のジョセフ・ワイゼンバウム(Joseph Weizenbaum)、癌のため独グレーベンにて5日死去、85歳。
1923年独ベルリン生まれ。両親はユダヤ人。36年ヒトラー支配下のドイツを逃れ、家族と共に米国移住。41年ウェイン・ステート大学で数学を専攻するも、戦争(兵役)で中断。
50年アナログコンピュータの仕事をしつつ、同大のデジタル型コンピュータ開発に関わる。55年ゼネラル・エレクトリック(GE)社に就職、銀行(Bank of America)で使われた最初のコンピュータの開発に従事。63年MIT客員教授に就任。
66年ELIZAと呼ばれる自然言語処理プログラムを公表。人間との対話でカウンセラーを装って対話できることを示した。

