政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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29日、テレビ番組「ウルトラマン」シリーズなどで知られる映画監督で東京藝術大学名誉教授でもあった実相寺昭雄、死去した。69歳だった。

1937年東京生まれ。早稲田大学第二文学部を卒業しTBS入社。円谷プロで「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など特撮番組を監督。69年に映画に進出。エロチシズムや仏教をテーマとし、数々のATG映画、大作「帝都物語」、江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」などを手がけ、オペラ演出でも世界的評価を得た。

脚本執筆時には万福寺百合、川崎高のペンネームも使用したほか、鉄道ファン(とくに路面電車)としても知られた。
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30日、民話を題材とした「夕鶴」や叙事詩劇「子午線の祀り」など戦後演劇を代表する劇作家の木下順二、肺炎のため死去。92歳だった。

1914年東京・本郷生まれ。少年時代に熊本に移り、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文科に入学、同大学院修士課程修了。中野好夫のもとでシェイクスピアを専攻した。

戦後、明治大学講師のかたわら、民話劇を書き続け、49年「夕鶴」発表。現代劇にも手を広げ「風浪」で第1回岸田演劇賞受賞、ほかに「オットーと呼ばれる日本人」、東京裁判を題材とする「神と人とのあいだ」などによって戦後の日本演劇を代表する作家となった。
78年「子午線の祀り」で読売文学賞受賞、現代劇と歌舞伎や能など伝統芸能の融合を実現した。

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29日、慶応大名誉教授で女児産み分け法を開発した産婦人科医の飯塚理八、呼吸不全で死去、82歳。

1924年北海道生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、同産婦人科学教室に入局。71年教授となり、82年には体外受精などを研究する日本受精着床学会を発足させ初代会長となる。長年にわたって日本の不妊治療の中心的役割を担ってきた。日本産科婦人科学会会長、日本不妊学会会長などを歴任。

凍結精子による人工授精を開発したほか、精子の分離(パーコール法)による女児産み分け法を開発し、社会的な論議を呼ぶ。

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29日、英国の禁煙活動家アレン・カー(Allen Carr)、肺癌のためスペイン南部マラガ付近の自宅で死去、72歳。

1934年9月生まれロンドン出身。1日100本というヘビースモーカーの会計士だったが、83年禁煙に成功。自ら開発した“やさしい禁煙法”(Easyway to stop smoking)は、1日に5時間のセラピーを受けることで禁断症状に苦しむことなく、タバコがやめられるという。欧州ではニコチン代替療法と並ぶスタンダードな禁煙法として一般に普及している。

世界30カ国以上に禁煙クリニックを開設し、自らの体験を基にした著書『禁煙セラピー』は日本でもベストセラーとなった。「
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24日、米国のサスペンス作家ウィリアム・ディール(William Francis Diehl,Jr.)、大動脈瘤で死去、81歳。

1924年ニューヨーク州ジャマイカ生まれ。ミズーリ大学卒業後、雑誌記者や編集者を経て、50歳を過ぎて作家デビュー。代表作に「シャーキーズ・マシーン」、「フーリガン」('87)、法廷サスペンス「真実の行方」('93)などがある。

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26日、前日本商工会議所会頭で石川島播磨重工業社長を務めた稲葉興作、心不全のため死去。82歳だった。

1914年1月生まれ。東京工業大学機械工学科を卒業、石川島芝浦タービンに入社。61年同社が石川島重工業と東京芝浦電気に分割合併されたのに伴い、石川島重工業に移る。さらに同社は播磨造船所と合併して現在の石川島播磨重工業となる。
稲葉は48歳の若さで同社取締役に就任、83年に同社社長となり6期12年、95年から会長として3期6年を務めた。

また、93年から8年間、日本商工会議所会頭として財界活動に身を置き、99年の中小企業基本法の抜本改正では金融税制面の支援を強化するなど、中小企業振興に尽力した。
一方で、会頭職を退く際、自ら内規で定めた会頭・副会頭の任期(2期6年)が切れた後も「副会頭の大部分の同意があれば規定は適用されない」と宣言して続投、批判を浴びた。

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21日、自閉症治療に取り組んだ米心理学者バーナード・リムランド(Bernard Rimland)、癌のためカリフォルニア州南部エルカホンの介護施設で死去。78歳だった。

1928オハイオ州クリーブランド生まれ。サンディエゴ州立大学卒、53年ペンシルバニア州立大学で博士号取得。65年アメリカ自閉症協会を設立し、67年には自閉症研究学会を創設するなど自閉症の権威として世界的に認められてた。

自閉症の研究に向かったは、56年に生まれた息子に異常があったことがきっかけとなる。当時は自閉症という言葉には馴染みがなかったが、息子にその診断がくだされ、リムランドは自閉症の原因や治療方法の研究に関わっていくことになった。

その頃、自閉症は母親の愛情欠如が原因とされていたが、リムランドは脳機能障害によるものであるとする研究を発表し、注目を集めた。しかし、医療機関が長い間リムランドの自閉症研究に疑問を持っていたことも事実。
自閉症の原因について、かつては「冷蔵庫マザー」理論(母親の愛情欠如)によって引き起こされた情緒障害説が優勢だったが、現在は神経発達障害であるといの認識が大勢を占めている。

 なお、ダスティン・ホフマンが自閉症の男性を演じた映画「レインマン」('88)の撮影で、リムランドはアドバイザーを務めている。
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23日、元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐のアレクサンダー・リトゥビネンコ(Alexander Litvinenko)、毒を盛られて入院していた英ロンドンの病院で死去、43歳。病院は死亡理由「不明」としている。元中佐の体からは放射性物質ポロニウム210が検出されているほか、ロンドン中心部のミレニアム・ホテルとすし店「イッツー」、ロンドン北部の自宅から同物質の痕跡が検出されているという。

リトゥビネンコ元中佐は2001年にロシアから英国に亡命。最近は、今年10月7日に露モスクワ市内で射殺されたロシアの女性新聞記者アンナ・ポリトコフスカヤについての情報提供者と連絡をとっていたらしい。同記者は第二次チェチェン戦争報道の第一人者で、自宅アパートにあるエレベーター内で射殺された。
2人の死は関係があるものと見られている。

「だれがリトゥビネンコに毒を盛ったのか」。その謎は深まるばかりで、プーチン・ロシア大統領の関与や反体制派の陰謀、FSBの元同僚による犯行、チェチェン問題との関係などさまざまな憶測が飛んでいる。
なお、大量のポロニウム210を人工的につくるには、大規模な施設が必要とされ、なんらかの形で国家機関が関与した可能性は高いとされる。


【関連用語】
ロシア連邦保安庁
ポロニウム

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23日、ボクシングの元世界フェザー級王者のウィリー・ペップ(Willie Pep)死去。84歳だった。

1922年9月生まれ(イタリア系アメリカ人、本名:Gugliermo Papaleo)。40年にプロボクサーとしてデビュー。2年後に世界王座を獲得。
48年、7度目の防衛戦でサンディ・サドラーに4回KO負けを記するが、翌年再戦し8回TKO勝利をおさめる。サドラーとはその後も50年、51年と結局生涯に4度対戦し、1勝3敗の成績だった。どれも見ごたえのある試合だったという。
ペップは230勝11敗1分け65KOの成績を残して66年に引退した。

1969年7月、ファイティング原田が3階級制覇を賭けてシドニーでのジョニー・ファメションと戦った。ペップはレフェリーを務めたが、14Rにダウンして失神状態だったファメンションをペップは無理やり立ち上がらせて試合を続行。結局、試合は判定となり計3度もダウンを奪った原田が判定負けという疑惑つきの結果となった。

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23日、米国の女性ジャズ・シンガーのアニタ・オディ(Anita O'Day)、肺炎のためロサンゼルスの病院で死去。87歳だった。

1919年10月米イリノイ州シカゴ生まれ(本名:Anita Belle Colton)。10代の頃からシカゴのジャズクラブ“Off- Beat”で歌い始め、「レット・ミー・オフ・アップタウン」がヒット。40-50年代を代表する女性ジャズ・シンガーとなる。

白人の女性ジャズ・ボーカルとして先陣を切った人物。30代で録音されたアルバム“THIS IS ANITA”('56)は、少しハスキーな声で歌う曲に、彼女の生き様まで映しだされているようで迫力がある。
10代のクラブ歌手時代からヘロイン中毒やアルコール依存症で苦しみ、刑務所や病院で過ごした期間もあったというアニタには、どこか斜に構えた魅力があり、50年代のロスという時代と場所を体現した女性とも言える。75-78年にかけては来日してその歌声を日本のファンに聴かせた。

96年に泥酔して自宅の階段から転落。病院で肺炎などにかかり、寝たきりとなったが、その後復活してロサンゼルスで歌い続けた。

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23日、フランス映画の最高賞セザール賞(主演男優賞)を2度受賞したフランスの男優フィリップ・ノワレ(Philippe Noiret)、癌のため死去、76歳。

1930年10月フランス・ノール県生まれ。大学時代に演劇に魅せられ、51年から約10年にわたって国立民衆劇場の舞台で活躍する。同じ時期に映画(主にコメディ作品)にも出演するようになり、トボけた味が評判を呼ぶ。

「追想」('75)と「素顔の貴婦人」('89)でセザール賞を獲得。日本では「ニュー・シネマ・パラダイス」('88)の映写技師役などで知られ、このほかの代表作に「イル・ポスティーノ」('94)などがある。
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21日、神戸大名誉教授で物理学者の橋本萬平、肺炎のため兵庫県姫路市の病院で死去。93歳だった。

京都大学出身、京都府の海軍兵学校舞鶴分校の文官教官として終戦を迎える。“鳴り砂”(現在は主に鳴き砂と呼ばれるが、故人はこれに異を唱えていた)の権威として知られ、その音の波形などを調べる。

古くからの信仰や民俗にも深い関心を寄せ、暦注から始まって庶民のやがて生活百科全書にまで発展した『寛永九年版大ざつしよ』(小池淳一・弘前大助教授との共編)の編纂や、参道狛犬を論じた名著『狛犬をさがして』(自費出版)などの本も著している。

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23日、子供をテーマにした著作が多い作家の灰谷健次郎、食道癌のため静岡県内の病院で死去。72歳だった。

1934年10月31日、兵庫県神戸市で7人兄妹の3男として生まれる。働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)へ。神戸で小学校教師を務めながら児童詩誌『きりん』の編集に携わり、詩誌『輪』の同人としても活動する。71年教師を辞めて、翌年インドやタイ、沖縄などを放浪。

74年工場地帯の学校を舞台に荒廃した学校での心のふれあいを描いた「兎の眼」でデビュー。同作品は児童文学者協会新人賞を受賞したほか、国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれた。
80年からは、兵庫県淡路島で農耕生活を10年余り続ける。83年、坪谷令子らと神戸に太陽の子保育園を開園。91年には沖縄県渡嘉敷島に移住した。

97年の神戸連続児童殺傷事件では、新潮社の写真週刊誌『フォーカス』が加害少年の顔写真を載せたことに抗議し、同社から自著の版権すべてを引きあげた。

【主な著作】
『太陽の子』(第1回路傍の石文学賞)
『ひとりぼっちの動物園』(小学館文学賞)
『我利馬の船出』
『砂場の少年』
『島で暮らす』
『天の瞳』 

個人的には、短編「日曜日の反逆」が心に残っている。子供の視点、あるいは教師の立場からの小説が多いなかで、普通の大人と少年のふれあいが飾り気のない文章で描かれている。

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18日、児童文学者で翻訳家でもあった渡辺茂男、出血性脳梗塞で死去。78歳。

1928年静岡市生まれ。慶応義塾大学文学部を卒業後、ウェスタン・リザーヴ大学大学院修了。ニューヨーク公共図書館の児童図書部員を経て、慶応義塾大学教授となる。多くの図書館員を育成したほか、児童文学の国際交流に力を尽くす。

絵本作家(文章)としては「寺町三丁目十一番地」で厚生大臣賞、サンケイ児童出版文化賞を受賞。初めて乗り物に乗る子どもや、乗り物を主人公にした幼児向けの童話も多い。訳書に「エルマーのぼうけん」シリーズ、「おさるのジョージ」シリーズなどがある。

【その他の絵本作品】
「しょうぼうていしゅつどうせよ」(絵:柳原良平)
「月夜のじどうしゃ」(絵:井上洋介絵)
「とらっく とらっく とらっく」(絵:山本忠敬)
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20日、朝鮮戦争の野戦病院を舞台にベトナム戦争を風刺した映画「M★A★S★H(マッシュ)」などで知られる米国の反体制派映画監督ロバート・アルトマン(Robert Altman)、がんによる合併症のためロサンゼルスで死去。81歳だった。

1925年2月ミズーリ州カンザス・シティ生まれ。20歳のとき米空軍のB-24爆撃機のパイロットなどを経験、その後ミズーリ大学を卒業し映画産業に入る。
風刺コメディー「M★A★S★H」('70)でカンヌ映画祭パルムドール受賞、「ビッグ・アメリカン」でベルリン国際映画祭金熊賞受賞、「ショート・カッツ」('93)でヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞と、三大国際映画祭の最高賞をすべて制覇した。

一方で「ポパイ」('80)の興行的失敗により評価を落とすが、「ザ・プレイヤー」('92)のカンヌ映画祭監督賞を受賞で復活した。アカデミー監督賞には5度ノミネートされたが受賞を逃している。
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