政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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米アニメーション作家のジョゼフ・バーベラ(Joseph Roland "Joe" Barbera)、ロサンゼルス郊外の自宅で18日死去。95歳。老衰とみられるが、詳しい死因は不明。

1911年ニューヨーク生まれ。洋服屋の配達係から身を起こし、大恐慌時代にアニメーターを志す。32年にヴァン・ビューレン・スタジオでその一歩を踏み出し、36年に同社閉鎖によって映画会社MGMに移る。

故ウィリアム・ハンナ(William Hanna,1911-2001)とコンビを組み「トムとジェリー」(Tom and Jerry Tales)、「スクービー・ドゥー」(Scooby-Doo)、「フリントストーン」(The Flintstones)などのアニメーションを制作した。
50年代にハンナと共にハンナ・バーベラ・プロダクションを設立。60年代後半には最も成功したテレビ・アニメ制作会社となった。





前宮内庁侍従長の山本悟、肺炎のため東京都千代田区の病院で死去。81歳だった。

東京都出身。東大法学部卒業後、旧総理庁に入る。徳島県副知事や旧自治省の官房長、同財政局長などを経て、1978年から宮内庁次長に転じる。88年には戦後6代目の侍従長に就任した。侍従経験がない行政官としては異例の人事だった。

就任後は約8年半、公私にわたり天皇家を補佐。昭和天皇の闘病生活を見守り、平成天皇即位にともなう様々な儀式を取り仕切るなど、「奥」と呼ばれる侍従職の長としてその職責を全うした。

侍従長は、1871(明治4)年に天皇の側近奉仕を目的として新設された。明治・大正期は旧堂上公家などから侍従に選ばれることが多かったが、昭和に入り元外交官や元軍人としなどが任ぜられるようになる。
戦後は47(昭和22)年に国家公務員法が施行されるが、侍従は同法の適用を受けない特別職国家公務員とされた。なお、侍従長の職は認証官であり、その任免は天皇により認証される。






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元F1レーサーのクレイ・レガツォーニ(Clay Regazzoni,本名:ジャンクラウディオ・ジュゼッペ・レガッツォーニ)、イタリアで交通事故のため死去。67歳だった。パルマ近郊の高速道路を運転中に、トラックと正面衝突した。

1939年9月スイスのルガーノに生まれる。70年にフェラーリでF1にデビューし、80年に米国西部グランプリで事故にあい脊髄を損傷して引退した。
11年間で優勝は5回、74年にはエマーソン・フィッティパルディとチャンピオンを争い年間総合2位となった。79年には新興チームのウィリアムズにF1初勝利をもたらした。

事故で下半身の自由を失い、引退後は車椅子の生活を余儀なくされながら、パリ・ダカールに出場するなど精力的な活躍を続けた。





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米アトランティック・レコード創設者アーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun)、ニューヨークの病院で14日死去、83歳だった。ローリング・ストーンズのコンサート(10月29日,NY)の際に倒れて頭部を打ち、昏睡状態が続いていた。

1923年7月トルコ・イスタンブール生まれ。34年、父親が駐米大使となり米国ワシントンに移る。44年父親が亡くなったが、米国に留まる。

47年ハーブ・エイブラムソンらとアトランティック・レコードを設立。ベン・E・キングやレイ・チャールズの作品など、R&Bを売りだすことで一時代を築き上げた。ロック時代の到来にも即応し、クリームやレッド・ツェッペリン、イエス、ローリング・ストーンズの作品を世に送りだし、同社を世界的な企業に成長させた。





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詩人の坂村真民(本名・昂=たかし)、老衰のため愛媛県砥部町の病院で11日死去、97歳だった。

1909年熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)に5人兄弟の長男として生まれる。8歳の時に父の急逝で貧困生活に陥る。31年神宮皇学館(現・皇学館大学)を卒業し、朝鮮で教職につく。終戦後は愛媛県で高校教師となった。
18歳で短歌を志すが詩に転向。51年最初の詩集『六魚庵天国』を発行、62年詩誌『詩国』を発刊する。
65歳で退職し、以後は詩作に専念する。

“人はどう生きるべきか”を掘り下げ、仏教に根ざした詩をつくった。月刊誌『詩国』を主宰したほか、著書は『地球に額をつけて』ほか多数。80年正力松太郎賞、99年愛媛県功労賞など受賞。

【関連サイト】
坂村真民ホームページ





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12日、米国の個性派俳優ピーター・ボイル(Peter Boyle)、ニューヨークの病院で死去。71歳だった。

1935年ペンシルヴェニア州フィラデルフィア生まれ。同地のラサール大学卒業後、士官学校をへて米海軍に入隊するも軍隊生活は短かった。その後、牧師をへてニューヨークに転居。70年に映画「ジョー」で労働者の役を演じる。代表作にロバート・デニーロ主演の「タクシードライバー」('76)や「ヤング・フランケンシュタイン」('74)などがある。





9日、米国の漫画家マーティン・ノデル(Martin Nodell=写真)、ウィスコンシン州の医療施設で死去、91歳。

1915年ペンシルベヴァニア州フィラデルフィア生まれ。38年にイラストの仕事を始める。40年にDCコミックスのスーパーヒーロー「グリーンランタン(Green Lantern)」が活躍する漫画を発表。一躍、人気の連載漫画となる。その後、広告の世界に身を投じたが、連載自体は続き人気漫画となった。

50年代にはコミックを離れ、広告の世界にはいる。76年引退。しかし、87年に彼の作品が再発見され、再びコミックの世界に戻る。
マーティン・ディロンの名でも活躍した。






13日、松竹会長で歌舞伎繁栄にも大きく貢献した永山武臣、急性白血病のため東京都内の病院で死去。81歳だった。

1925年東京生まれ。45年京都大学に入学するも、同年6月茨城・水戸の連隊に二等兵として入隊する。戦後、47年に京大を卒業し松竹入社。演劇畑を歩み、戦後の歌舞伎黄金期を支えた名優たち歌舞伎史に残る舞台を制作する。
84年社長、91会長に就任。その後も、歌舞伎興行を支援するなど、その貢献度は大きい。

86年藍綬褒章、90年菊池寛賞、95年に文化功労者に選ばれた。





9日、長崎被爆報道写真「治療の順番を待つ母子」の被写体となった田中キヲ、肺炎のため長崎市内の病院で死去。91歳だった。

1945年8月9日、爆心地から約2kmの水田で被爆。翌日、 長崎本線・道ノ尾駅前(爆心地から北方3.6km)で生後4カ月の次男に授乳する姿を、陸軍報道部員の山端庸介(1917−66)の撮影した。この写真は「治療の順番を待つ母子」として国内外に紹介された。

一連の作品は、見るものの心を深く打つ。





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5日、作家の内田幹樹、前立腺癌のため東京都世田谷区の病院で死去。66歳だった。

東京都生まれ。1965年全日本空輸に入社。現役パイロットだった97年、サントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞した「パイロット・イン・コマンド」でデビュー。ほかに「操縦不能」「機長からアナウンス」などの著書がある。




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11日、ギネスブックで長寿世界一と認定されていた米国人女性エリザベス・ボールデン(Elizabeth Bolden)、テネシー州メンフィスの介護施設で死去。116歳と118日だった。2年前の脳卒中以来、ほとんど眠ったままだったという。米国では歴代4位の長寿記録となった。

1890年8月テネシー州ソマーヴィルに解放奴隷の子として生まれる。08年結婚、7人の子供をもうけた。このうち今も生存しているのは89歳と86歳の2人。今年の誕生日には、40人の孫と75人のひ孫、150人のひ孫の子、220人のひ孫の孫、さらに75人のひ孫のひ孫が集まったという。

私にも、今年106歳を迎えた祖母がいる。たとえばクジラに近づくとその巨大さに畏怖とある種の神々しさを感じる。106歳という年齢にもなにかそれに近いものがある。




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10日、チリの元大統領アウグスト・ピノチェト(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte)、心臓発作で入院中だったサンティアゴの陸軍病院で死去、91歳。

1915年11月チリ中部に位置する同国第2の都市バルパライソ生まれ。37年軍に入隊し、71年1月に陸軍大将となる。73年アジェンデ社会主義政権(自由選挙によって選ばれた史上初めての社会主義政権)を米国支援によるクーデターで打倒し、74年から90年の民政移管まで大統領を務めた。
その16年間、中南米ではいち早く自由主義経済政策を導入したが、その一方で軍事政権を率いて強権政治を行い、「独裁者」と呼ばれた。「左翼狩り」を徹底し、弾圧による死者・行方不明者は3000人を優に超えるという。
しかし、冷戦時代にあって反共の防波堤として米国に利用されたとの見方もあり、実際、冷戦終結とともに米国から見放されて、大統領の座を退いた。

98年ロンドンで入院中だったところを、英司法当局が逮捕。00年に帰国するが、01年にはチリの市民団体がピノチェトを告発。チリ最高裁は「痴呆状態」として、これを却下した。その後、痴呆は嘘との見方が強まり、04年8月に最高裁が免責特権を剥奪、同年12にサンティアゴ控訴裁は誘拐・殺人の罪で告発。05年9月チリ最高裁はピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとして罪状を棄却している。

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ピノチェトおよびクーデター後のチリについては、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスが『戒厳令下チリ潜入記 ―ある映画監督の冒険―』(後藤政子・訳)として、興味深いノンフィクションを残している。1986年の発刊当時に読んだ記憶があるが、簡潔で緊張感溢れる文章が当時の様子を克明に伝えていたと記憶している。





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7日、無声映画時代に弁士として活躍した松田完一、岡山市の自宅で焼死、85歳だった。木造2階建ての自宅から出火し、住宅は全焼した。

1921年岡山市の料亭の長男として生まれた。5歳の頃から映画を見始め、戦中・戦後の一時期をのぞき、約80年間にわたって映画を見続けてきた。
75年に同市に「岡山映画資料館」を開館し(現在は休館)、収集した映画ポスターなどを展示。80年には「岡山古典映画愛好会」設立にかかわった。

05年に開かれた「岡山映画祭」で、故人にインタビューした映画「映画の記憶」が上映された。

【関連本】
日本映画スチール集 新東宝女優篇
   ―石割平・松田完一コレクション

日本映画スチール集 新東宝大蔵篇
   ―松田完一コレクション






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9日、詩人で詩誌「木々」を主宰する鈴木亨、肺炎のため東京都多摩市の病院で死去、88歳だった。

1918年9月横浜市生まれ。慶応義塾大学国文科卒。
都立高校教師のかたわら、56年に第二次「山の樹」を創刊・主宰する。70年跡見学園女子大学講師に就任し、76年同教授に。79年を務める。詩誌「木々」を創刊・主宰。
H氏賞、伊東静雄賞、現代詩人賞などの選考委員を務める。
98年詩集『火の家』で丸山薫賞受賞。

【関連本】
鈴木亨詩集




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8日、新保守主義の国際政治学者で米国初の女性国連大使を勤めたジーン・カークパトリック(Jean Kirkpatrick)、メリーランド州ベセスダの自宅で死去、80歳。

1926年11月、米オクラホマ州ダンカン生まれ。68年コロンビア大で比較政治学の博士号取得。ジョージタウン大学教授を勤めるかたわら、70年代には民主党員として活動を展開する。その後カーター大統領の外交政策に反発して民主党を去り、共和党員となる。共和党大統領候補だったレーガンの外交政策顧問となり、当選後は米国国連大使として4年間務める。

82年に起きたフォークランド紛争のあと、故人はアルゼンチンの軍事独裁政権を強く支持したことでも知られる。