Today's Obituary

著作「ゲームの達人」などで知られる米作家のシドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)、肺炎による合併症のためカリフォルニア州南部の病院で30日死去、89歳。
1917年2月イリノイ州シカゴ生まれ。父はドイツ系ユダヤ人、母はロシア系ユダヤ人。10歳で詩を書き始め、17歳でハリウッドに移り映画の脚本を書く。その後、第2次大戦ではパイロットとして従軍。戦後はブロードウェーでミュージカルの脚本や映画脚本を手がける。
69年に"The Naked Face"で作家デビュー。平易で文章とスリリングな物語展開は「超訳」シリーズとして出版され、多くの作品が日本でも人気を得た。
ベトナム戦争時の良心的兵役拒否者デール・ノイド(Dale Edwin Noyd)、ワシントン州シアトルで肺気腫による合併症のため11日死去、73歳だった。
1933年ワシントン州ウィナッチ生まれ。ミシガン大学で心理学を学ぶ。
1955年ワシントン州立大学で予備士官訓練を受けたのち、空軍大尉として戦闘機パイロットとなる。しかし、空軍で11年間勤務後の66年、ベトナム戦争は法と道義に反するとして、任務を拒否。軍法会議で禁固1年と不名誉除隊の処分を受けた。
良心的兵役拒否者として一般的な戦争反対ではなく、ベトナム戦争だけを対象に兵役を拒否したのは米軍初のケースとなった。
建築史家で東大名誉教授の太田博太郎、老衰のため東京都狛江市の病院で19日死去、94歳だった。
1912年東京都生まれ。東京帝国大学建築学科で建築史を専攻し、東大教授、九州芸術工科大学長、武蔵学園長、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任する。
第二次世界大戦後に法隆寺や薬師寺、平城宮のなどの寺社建築の保存修理に携わり、中世の寺院建築や古民家の研究をリードした。著書「日本建築史序説」は名著として評価が高い。

新日本製鉄会長の千速晃、肺炎のため22日死去、71歳だった。
1935年3月生まれ。東京大学経済学部卒業。57年八幡製鉄(現新日本製鉄)に入社し、稲山嘉寛、永野重雄といった重鎮に秘書として仕える。アジア通貨危機で鉄鋼業界が苦境に陥った98年に社長就任。03年から会長。
このほか元経団連副会長、日本鉄鋼連盟会長、日中経済協会会長などを歴任。新日鉄の協力で上海宝山鋼鉄を誕生させるなど、対中経済支援に携わる。その経緯は山崎豊子の小説「大地の子」のモデルになった。

ポーランドのルポルタージュ作家リシャルド・カプシチンスキ(Ryszard Kapuscinski)、ワルシャワで23日死去、74歳。
1932年3月旧ポーランド領ピンスク(現ベラルーシ)生まれ。56年ワルシャワ大学卒業。週刊誌「ポリティカ」や国営ポーランド通信記者としてアフリカや中央アジアで取材。その数は64年からの10年で世界50カ国にわたる。
現場にこだわったルポルタージュでロシアの大地を取材した旅の個人的な報告「帝国 ロシア辺境への旅」や「皇帝ハイレ・セラシエ」などの著書で日本でも知られる。戦争と貧困の問題を追及したほか、「サッカー戦争」などの著書もある。
現代ルポルタージュの類まれなる魔術師と称される国際的なスター・ジャーナリストで、2006年のノーベル文学賞候補とされた。

ウォーターゲート事件の主犯格で元米中央情報局(CIA)要員のハワード・ハント(Everrette Howard Hunt Jr.)、フロリダ州マイアミで23日死去、88歳だった。
1918年10月ニューヨーク州ハンブルグ生まれ。49年から70年までCIAに勤務し、キューバ侵攻作戦やカストロ暗殺計画に関与し、東京支局の経験も持つ。
リチャード・ニクソン大統領のもとで働き、働きホワイトハウスの「鉛管工」(plumbers=「情報の漏れ」をふさぐ責任を負った秘密工作班だった。
72年のウォーターゲート事件では、民主党本部への侵入・共謀・盗聴の有罪判決をうけ、2年9カ月服役した。
1974年連邦議会のロックフェラー委員会は、ハントとフランク・スタージスをジョン・F・ケネディ大統領の暗殺('63)の容疑者と見なした。

「クラッシャー・バンバン・ビガロ」(Crusher Bam Bam Bigelow)のリングネームで人気を博した米プロレスラーのスコット・ビガロ(Scott Bigelow)が19日、フロリダ州の自宅で遺体で発見された。45歳だった。外傷はなく、最近は感染症や糖尿病で苦しんでいたという。
1961年9月ニュージャージー州アッシュブリー出身のプロレスラー。身長195cm、体重160kg。プロレスラー養成所のモンスター・ファクトリーを経て、1985年12月にラッシャー・ユーコフのリングネームでプロレスデビュー。名付け親はフリッツ・フォン・エリックで、当初はロジア人悪役というキャラクターだった。
1987年初来日、アントニオ猪木の新たなライバルとして新日本プロレスにリングに立った。
スキンヘッドに刺青、炎をあしらった全身コスチュームで注目を集め、大柄な体型にもかかわらず動きが速く、プロレスもうまかった。
1996年キモと総合格闘技で試合を行った。「入れ墨対決」として話題を呼んだが、試合はルールの違いなどで不本意な敗戦に終わる。
40歳を過ぎてセミリタイアの状態だった。

女子キックボクサーの先駆けとなった米格闘家のリリー・ロドリゲス(Lilly Rodriguez)、ロサンゼルスの病院で13日死去、59歳。
父親はアマチュアボクサー、母親は“クレージー・リンダ”の異名をもつ女子プロレスラーだった。彼女自身も6歳からボクシングを始める。
1970年代フェザー級ボクシングとフェザー級キックボクシングのタイトルを保持。79年11月キックボクサーの夫ウィリアム”ブリンキー”ロドリゲスと同時にリングに発ち試合をしたことで知られる。
90年代前半に引退。03年カリフォルニア州の格闘技歴史博物館で殿堂入りした。

米ジャズ・トロンボーン奏者のジミー・チーサム(Jimmy Cheatham)、カリフォルニア州サンディエゴの自宅で心臓疾患のため12日死去、82歳。
1924年アラバマ州バーミンガム生まれ。第2次大戦中、陸軍で音楽隊に所属した後、ニューヨークで音楽を学ぶ。
59年に結婚したピアニストであり歌手でもある妻のジニー・チーサムとともに、ジャズ・ミュージシャンとして音楽活動を続けてきた。「スウィート・バイビー・ブルース・バンド」のリーダーでもある。85年のデビューアルバム「スイート・ベイビー・ブルース」のほか、「ラブ・イン・ジ・アフタヌーン」などで知られる。

ホームレスの救援活動を続けたフランスの聖職者のアベ・ピエール神父(本名:アンリ・グルエ,Henry Grouès)、パリの病院で22日死去、94歳。
1912年8月フランスのリヨン生まれ。30年カトリック教会カプチン会の修道院入り。第2次大戦後、私財をなげうって慈善団体エマユス(Emmaus)を創設し、ホームレスの救済運動を始めた。その後、世界38カ国に拠点を広げた。
洋画家で二紀会理事の松井叔生(本名:良通)、脳梗塞のため神奈川県茅ケ崎市の病院で20日死去、72歳。
1934年9月兵庫県生まれ。57年武蔵野美術大学西洋画科卒業、二紀会努力賞受賞。58年二紀会佳作賞受賞。62年現代日本美術展入選。87年二紀会文部大臣賞受賞。
春風駘蕩とした気配のなかに、自然や人間の生命力を喚起させる風景画・人物画などで知られる。
【関連サイト】
日動画廊 -松井叔生-
松井叔生(絵画/委員)
1934年9月兵庫県生まれ。57年武蔵野美術大学西洋画科卒業、二紀会努力賞受賞。58年二紀会佳作賞受賞。62年現代日本美術展入選。87年二紀会文部大臣賞受賞。
春風駘蕩とした気配のなかに、自然や人間の生命力を喚起させる風景画・人物画などで知られる。
【関連サイト】
日動画廊 -松井叔生-
松井叔生(絵画/委員)
「いっちゃん」の愛称で沖縄の芸能関係者から親しまれ、「舞台の神様」とも称された喜名定市、誤嚥による心肺停止のため搬送先の病院で12月30日死去、68歳。
1938年那覇市生まれ。幼い頃から、同市内の劇場で行われるうウチナー(沖縄)芝居などの舞台に連日のように出入りしていた。当時は那覇劇場(1948-69)の時代で、本番はもとより稽古やリハーサルまで見るほどの芝居好きだった。
軽い知的障害で言葉は少なかったが、面白くない芝居だと、すっと席を立つなど好き嫌いがはっきりしていた。いつしか「いっちゃん」が会場に現れると芝居がヒットするというジンクスも生まれ、公演には顔パスで入り、楽屋弁当まで出されていたという。
芥川賞作家の大城立裕が書いた小説「芝居の神様」('96)のモデルにもなった。
1938年那覇市生まれ。幼い頃から、同市内の劇場で行われるうウチナー(沖縄)芝居などの舞台に連日のように出入りしていた。当時は那覇劇場(1948-69)の時代で、本番はもとより稽古やリハーサルまで見るほどの芝居好きだった。
軽い知的障害で言葉は少なかったが、面白くない芝居だと、すっと席を立つなど好き嫌いがはっきりしていた。いつしか「いっちゃん」が会場に現れると芝居がヒットするというジンクスも生まれ、公演には顔パスで入り、楽屋弁当まで出されていたという。
芥川賞作家の大城立裕が書いた小説「芝居の神様」('96)のモデルにもなった。

米ポップグループ「ママス・アンド・パパス」メンバーのデニー・ドハーティ(Denny Doherty)、カナダ・ミシソーガの自宅で19日死去、66歳。
1940年9月カナダのノバスコシア州ハリファクス生まれ。60年にモントリオールでフォークグループ「ザ・コロニアルズ」結成するが63年解散。
その後、ジョン・フィリップス(01年死去)を中心に4人組グループ「ママス・アンド・パパス」(写真、デニーは一番左)結成され、1965年から68年まで活動。男女混声の爽やかなハーモニーで人気を博した。ヒット曲に「夢のカリフォルニア」「マンデー・マンデー」などがある。

女性として世界最高齢のジュリー・ウィンニフレッド・ベルトラン(Julie Winnefred Bertrand)、モントリオールの医療施設で18日死去、115歳。 ※写真(CREDIT: Canadian Press)
先月、116歳の米女性エリザベス・ボールデンが死去し、ギネスブックが最高齢女性に認定していた。世界最高齢者は、ベルトランさんより26日早く生まれている米自治領プエルトリコに住む115歳の男性エミリアノ・メルカド。
1891年9月16日カナダのケベック州コーティクック生まれ。6人兄弟の長女。生涯独身を通し、若いころはデパートのバイヤーとして活躍した。のちに第12代カナダ首相となったルイ・ステファン・サンローラン(Louis Stephen St.Laurent)から求婚されたこともあったという。
後年、老いた両親を介護し、両親が亡くなるとモントリオールに転居。最近35年間はモントリオールの医療施設で暮らし、10年前までは健康状態もきわめて良好だった。

米コラムニストのアート・バックウォルド(Art Buchwald)、腎不全のためワシントン市内の息子宅で17日死去、81歳だった。
1925年12月ニューヨークでカーテン職人の息子として生まれる。高校を中退し17歳で家出。42年から45年にかけ海兵隊に所属。その後、南カリフォルニア大学に入る。48年フランスに渡り、その後「パリ・アフター・ダーク」と題したオフ・ビートなコラムで人気を得る。その後もパリの様子などを本国に送り続け、62年に帰国。
ワシントン・ポスト紙などに知的センスに富んだコラムを長年にわたって書き続けた。82年ピュリツァー賞受賞。著書は30冊を超える。
昨年11月に最後の著作「さよならを言うのは早すぎる」を出版した。



