政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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声楽家で関西二期会理事長、相愛大名誉教授の木川田誠、腎不全のため兵庫県尼崎市の病院で19日死去、73歳。

仙台市出身。東京芸術大卒。声楽家(バス/バリトン)としてオペラ、オラトリオ、歌曲などの幅広い活動を行うとともに、関西二期会の総帥としてリーダーシップを発揮。オペラ制作や新人育成につとめてきた。





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米作詞家のレイ・エバンズ(Raymond Bernard Evans)、心不全のためカリフォルニア州南部の病院で15日死去、92歳。

1915年ニューヨーク州サラマンカ生まれ。ペンシルベニア大在学中にジェイ・リビングストン(Jay Livingston)と出会い、レイが作詞でジェイが作曲を担当して音楽活動を始めた。40年代から60年代初頭にかけて2人は数多くの映画音楽を生みだす。アカデミー賞歌曲賞を3回受賞(48,50,56年)。代表作には「ケ・セラ・セラ」や「モナ・リサ」などがある。





京菓子「鼓月」創業者で名誉会長の中西美世、15日死去。91歳だった。

1915年4月京都市右京区花園生まれ。戦争で夫を失ったが、戦後すぐに創業。何百年も続く老舗が多い京都にあって、一代にして「華」や「千寿せんべい」などの銘菓で知られる京菓子店「鼓月」を作りあげた。京都商工会議所婦人部会をつくるなど、経営者側から女性の地位向上にも努めた。

【関連本】
京の華―京菓子司「鼓月」中西美世あまから奮闘記  蒲田春樹:著
中西美世さん(京都新聞1998.1.3)





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漫画家のすぎ恵美子(本名:杉山恵美子)、胃癌で10日死去、47歳だった。

1959年12月神奈川県横浜市生まれ。77年小学館の少女漫画誌・少女コミック増刊号掲載の「12月のミステリー」で漫画家デビュー。「週刊少女コミック」(通称少コミ)のエッチ路線のはしりとして人気を博し、「くちびるから魔法」「♂と♀の方程式」「げっちゅー」「R―18」などのヒット作を生みだす。





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洋画家の桜井浜江、急性心不全のため東京都三鷹市の病院で12日死去、98歳。

1908年山形市生まれ。24年山形第一高等女学校卒業の後上京し、川端画学校洋画部や岡田三郎助研究所、協会洋画研究所で洋画を学ぶ。

30年に創立された独立美術協会の第1回独立展に入選。47年雑賀文子、三岸節子らと女流画家協会を創立するなど、女性洋画家の草分け的存在である。

また、太宰治と親交があり、太宰は桜井が三鷹に構えたアトリエをしばしば訪れたという。
桜井は太宰作品『饗応夫人』のモデルにもなった。





日本拳法協会会長・最高師範の森良之祐、肝臓癌のため群馬県館林市の病院で11日死去、81歳。

1926年1月徳島市生まれ。関西大学専門部、神戸経済大学(神戸大学)卒。
日本拳法の創設者である澤山勝に師事し、47年徳島市に道場を開く。53年上京し、55年日本拳法協会を設立し、師範となる。

防具を着用して、実際に叩きあう実践的な面を評価され、58年年陸上自衛隊徒手格闘教範作成に参画する。警察大学逮捕術研究科の講師も勤めた。著書に「 絵説 日本拳法」「拳法教程」「日本拳法入門」などがある。





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スウェーデンの作家マリアンネ・フレデリクセン(Marianne Fredriksson)、心臓発作で死去、79歳。

1927年3月スウェーデン南西部イエーテボリ生まれ。80年までジャーナリストとして活動し、その後執筆活動に入った。

代表作「白夜の森」は19世紀末封建的時代のスウェーデンを舞台に、残酷な運命を生きた女たちを描いた200万部のベストセラーとなる。あわせて同書は94年にスウェーデンの最優秀図書に与えられる「ブック・オブ・ザ・イヤー」賞を獲得し、著者自身も最優秀作家賞「オーサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

このほかヨーロッパでベストセラー1位を記録した『SIMON』や、『IF WOMEN WERE WISE THE WORLD WOULD STOP』『ACCORDING TO MARY MAGDALENE』などがあり、小説やノンフィクション作品を発表した。





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韓国の人気女優チョン・ダビン(Jung DaBin)、ソウル市内の交際相手の男性宅で10日死去。26歳だった。首を吊って死んでいるのが見つかり、自殺とみられている。

1980年3月生まれ。00年に映画「燃ゆる月」でチェ・ジンシルの少女時代を演じてデビュー。日本でも放送された人気ドラマ「屋根部屋のネコ」などに出演した。

04年には東国大学校演劇科随時試験に合格し、同大に入学していた。






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英俳優のイアン・リチャードソン(Ian William Richardson)、ロンドン市内の自宅で死去、72歳だった。

1934年4月英スコットランド・エディンバラ生まれ。グラスゴーのロイヤル・スコットランド音楽演劇学校で学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで多くの舞台に立った。米ブロードウェイでも活躍し、76年にはミュージカル「マイ・フェア・レディ」でヒギンズ博士を演じてトニー賞にもノミネートされた。

映画「ラ・マンチャの男」('72)、「未来世紀ブラジル」('85)、「遠い夜明け」('87)、「エム・バタフライ」('93)、「戦場のアリア」('05)などにも出演した。





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世界的に知られるデンマークの家具デザイナーであるハンス・ウェグナー(Hans J.Wegner)、コペンハーゲンで1月26日死去、92歳。

1914年4月デンマーク・トゥナーで靴職人の家に生まれる。
17歳で指物師としてのプロライセンス習得、20歳で徴兵されたのち、国立産業研究所に入り36年卒業。
アルネ・ヤコブセンらの建築事務所で家具デザイナーとして働いたのち、43年デザイン会社を設立。

家具のなかでも特にいすづくりに優れ、500脚以上のチェアをデザインし、「いすの詩人」とも呼ばれた。背の支柱がY字形をした「Yチェア」は日本でも人気がある。


【関連サイト】
『ハンス・ウェグナーの椅子100』
デザイン!What's design?
Yチェア・ハンス J ウェグナー





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米国の元モデルで女優のアンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith)、フロリダ州南部のホテルで8日急死、39歳。

1967年11月テキサス州ヒューストン生まれ。92年3月に月刊誌「プレイボーイ」の表紙を飾ってデビュー。「マリリン・モンローの再来」といわれ、翌年「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。

私生活では、17歳で結婚するが2年後に離婚。27歳でテキサスの石油富豪J・ハワード・マーシャルと結婚するが、翌年に夫が死亡。莫大な遺産をめぐり、28歳年上の義理の息子を相手に裁判を起こし、話題となった。
このほか激太りからダイエットの成功、豊胸手術などゴシップ誌の格好の的となってきた。





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ノーベル化学賞受賞者のアラン・マクダイアミッド(Alan MacDiarmid)、米ペンシルベニア州で死去、79歳。

1927年4月ニュージーランド北島のマスタートン生まれ。ウェリントンのビクトリア大で学んだ後、米ペンシルベニア大などで研究を続け、米国籍も取得した。

70年代に電気を伝えるプラスチックの一種、ポリアセチレンを開発した白川英樹と会い、ペンシルベニア大で共同研究。00年に白川英樹(筑波大学名誉教授)、アラン・ヒーガー(米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)とともに「導電性高分子の発見と発展」でノーベル化学賞を共同受賞した。

共同研究では、電気を通さないとされてきたプラスチックに、変化を加えると導電性になることを発見。次世代技術として期待される分子エレクトロニクスを切り開いた功績は大きい。この技術は現在、携帯電話などの表示画面や写真フィルムの帯電防止剤などに使われている。




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人気テレビ西部劇「ローハイド」の主題歌で知られる米歌手のフランキー・レイン(Frankie Laine)、心不全のため米カリフォルニア州サンディエゴの病院で6日死去、93歳。

1913年イタリア・シシリア島のサンレモ近郊で、8人兄弟の長男として生まれる。その後、米シカゴに移民として移り住む。
ナイトクラブ歌手などを経てデビュー。40年代はジャズ、50年代はウェスタン映画の主題化などを数多く歌った。
日本でも放送された「ローハイド」の主題歌は、“ローレン、ローレン、ローレン・・・・・・ローハーイド、イェー”という歌声とともに多くの人に親しまれた。






ベストセラー「金魂巻」「エンスー」などの著書で知られるコラムニスト兼イラストレーターの渡辺和博、肝臓癌のため東京都新宿区の病院で死去、56歳。

1950年広島県生まれ。崇徳高卒。伝説の雑誌「ガロ」編集長を経てフリーになる。
84年「金魂巻」を出版。「マル金」「マルビ」という言葉でバブル前夜の時代をとらえ、独特のユーモア感覚によって第1回流行語大賞を受賞した。





故人生幸朗の妻で漫才師の生恵幸子(本名:赤田松子)、脳出血後遺症で5日死去、83歳。

1923年9月大阪府生まれ。54年から人生幸朗とコンビを組み(当時の名は庭野千草)、世相や歌詞をネタにしたぼやき漫才で人気を得た。
1982年(昭和57年)3月漫才の相方でボケ役を務めてきた夫が死去。その後の芸能活動はなく、近年はメディアへの露出もほとんどなかった。