Today's Obituary

経済小説などで知られる作家の城山三郎(本名:杉浦英一)、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市の病院で22日死去、79歳。
1927年8月名古屋市中区生まれ。45年愛知県立県立愛知高専(現・名古屋工業大学)に入学し、徴兵猶予になるも海軍に志願入隊する。
46年東京商科大学予科入学、52年一橋大学卒業(在学中に洗礼を受ける)。
愛知学芸大学(現・愛知教育大学)助手を経て専任講師となる。63年同大を退職し、作家業に専念する。
この間、58年「輸出」で文學界新人賞。59年企業悪を暴いた「総会屋錦城」で直木賞受賞。本田技研の本田宗一郎、ダイエーの中内功などや実在の人物をモデルとしたノンフィクション風の小説が多く、経済小説ブームを巻き起こす。
A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相を題材にした「落日燃ゆ」で吉川英治文学賞。戦前に金解禁を断行し暗殺された浜口雄幸と井上準之助を描いた「男子の本懐」などの伝記小説、「官僚たちの夏」などの政治小説も評価が高い。
96年「もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界」で菊池寛賞。
17歳で海軍特別幹部練習生として志願入隊するも、実態は特攻要員だった。そのときの経験から戦争にまつわる著作も多い。晩年は、個人情報保護法に強く反対し、積極的に発言したことでも知られる。

米国の数学者でコンピューター言語の開発者ジョン・バッカス(John Warner Backus)、オレゴン州アシュランドで17日死去。82歳。
1924年ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。デラウェア州ウィルミントンで育つ。
当初バージニア大学で化学を学ぶが挫折、米陸軍に入隊して医学を学ぶが再度挫折した。ニューヨークに転居後、46年ラジオ・テレビ専門学校に入学し、そこで数学の才能に目覚める。49年コロンビア大学に転籍し、数学を学ぶ。50年IBM入社。
54年IBM704のためのFORTRAN(初期の高級プログラミング言語)の設計・開発、世界で広く使われることになる。50年代後半ALGOL(科学技術計算用のプログラミング言語)を開発した国際委員会の一員としても働き、59年ALGOL開発のために言語仕様記述のためのバッカス・ナウア記法(Backus-Naur Form=プログラミング言語の構文を定義するのに用いられるメタ言語)を考案。関数レベルプログラミング(Function-level Programming)の提唱者でもある。
これらの功績により、77年コンピューター分野のノーベル賞といわれるチューリング賞を授与。87年IBMのフェローとなり、93年にはチャールズ・スターク・ドレイパー賞を授与。91年引退した。

フリーカメラマン・ライターの鴨志田穣、腎臓癌のため東京都江東区の病院で20日死去、42歳。
1964年神奈川県川崎市生まれ。5歳で北海道札幌市に転居。
24歳でタイに渡り、ジャーナリストの故・橋田信介に出会い、戦場カメラマンの道を歩み始める。その後、東南アジアや旧ユーゴスラビア、ザイール、アルバニアなどを取材・撮影。
96年アマゾンで漫画家の西原理恵子と出会い、帰国後に結婚。
主な作品に「アジアパー伝」(西原さんとの共著)など。
【関連サイト】
Asia Bar−鴨志田穣非公式ファンサイト

スイスのテノール歌手エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)、心不全のためスイス東部ダボスで17日死去、87歳。
1919年ダボス生まれ。チューリッヒ音楽院卒業後、ウィーンでジュリウス・パツァークに師事。42年コンサート歌手としてジェノヴァでデビュー。バッハ「マタイ受難曲」などの宗教曲で評価を得て、52年から74年までベルリン・ドイツ・オペラで活躍。モーツァルトの歌劇でも揺るぎない地位を築き、ドイツを代表するリリック・テノールとして世界的な名声を得た。
日本ではリヒター指揮の「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストの名唱が有名。「この道」「荒城の月」「赤とんぼ」など日本の歌曲をドイツ語で歌ったCD(写真)を発表し、話題となった。
セルビア文学翻訳家の田中一生(本名:一夫)、胃癌のため東京都多摩市の病院で9日死去、71歳。
1935年北海道生まれ。早稲田大学露文科卒業。ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。恒文社や文藝春秋社で編集職を経て、ボスニアの歴史を描いたノーベル文学賞作家イボ・アンドリッチの小説「サラエボの女」、「サラエボの鐘」(共訳)、モンテネグロの独立への戦いを描いたペトロヴィチ・ニェゴシュの長編叙事詩「山の花環」(共訳)など、翻訳多数。セルビア・モンテネグロから文化勲章を授与された。
1935年北海道生まれ。早稲田大学露文科卒業。ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。恒文社や文藝春秋社で編集職を経て、ボスニアの歴史を描いたノーベル文学賞作家イボ・アンドリッチの小説「サラエボの女」、「サラエボの鐘」(共訳)、モンテネグロの独立への戦いを描いたペトロヴィチ・ニェゴシュの長編叙事詩「山の花環」(共訳)など、翻訳多数。セルビア・モンテネグロから文化勲章を授与された。

カンボジアの高僧マハー・コーサナンダ師(Maha Ghosananda)、米マサチューセッツ州の病院で12日死去。
自伝によると1929年カンボジア南部タケオ州生まれ。ただし正確な年齢はわからず、81歳ともいわれる。8歳から寺で修行を積み、43年に得度。
ポル・ポト派による虐殺と内戦を生き抜き、78年以降はタイのカンボジア難民キャンプを訪問。荒廃したカンボジアで、非暴力による平和を訴え、仏教再建に尽力。「カンボジアのガンジー」とも呼ばれた。
88年カンボジア仏僧の最高位につく。92年和解を訴えて、戦闘が続く危険地帯を16日間かけて平和行進する。その後毎年開催。90年代にはノーベル平和賞候補としても何度も名前が挙がった。
詩人で「新・現代詩」前代表の出海渓也(本名:偉成=よりしげ)、肺炎のため神奈川県横須賀市の病院で12日死去、78歳。
1928年10福岡県大牟田市生まれ。47年詩誌「詩郷」創刊。翌年上京。52年に井手則夫、関根弘らと「列島」を創刊。同年、大牟田に帰郷し、酒場「らんぼお」開店。
著作に詩集「アンダルシアの犬」「黒いマリア―旅の詩」、評論集「アレゴリーの卵」など。
1928年10福岡県大牟田市生まれ。47年詩誌「詩郷」創刊。翌年上京。52年に井手則夫、関根弘らと「列島」を創刊。同年、大牟田に帰郷し、酒場「らんぼお」開店。
著作に詩集「アンダルシアの犬」「黒いマリア―旅の詩」、評論集「アレゴリーの卵」など。









