政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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元プロ野球日本ハム選手で日本ハム鎌ケ谷勇翔寮寮長の菅野光夫、心不全のため東京都墨田区の病院で22日死去、54歳。

1952年茨城県瓜連町生まれ。武相高校から三菱自動車川崎を経て。ら75年ドラフト1位で日本ハムに入団。内野手として81年のパ・リーグ優勝に貢献した。85年現役を引退し、日本ハムコーチに。終身打率2割2分2厘、HR21本。





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経済小説などで知られる作家の城山三郎(本名:杉浦英一)、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市の病院で22日死去、79歳。

1927年8月名古屋市中区生まれ。45年愛知県立県立愛知高専(現・名古屋工業大学)に入学し、徴兵猶予になるも海軍に志願入隊する。
46年東京商科大学予科入学、52年一橋大学卒業(在学中に洗礼を受ける)。
愛知学芸大学(現・愛知教育大学)助手を経て専任講師となる。63年同大を退職し、作家業に専念する。

この間、58年「輸出」で文學界新人賞。59年企業悪を暴いた「総会屋錦城」で直木賞受賞。本田技研の本田宗一郎、ダイエーの中内功などや実在の人物をモデルとしたノンフィクション風の小説が多く、経済小説ブームを巻き起こす。
A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相を題材にした「落日燃ゆ」で吉川英治文学賞。戦前に金解禁を断行し暗殺された浜口雄幸と井上準之助を描いた「男子の本懐」などの伝記小説、「官僚たちの夏」などの政治小説も評価が高い。
96年「もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界」で菊池寛賞。

17歳で海軍特別幹部練習生として志願入隊するも、実態は特攻要員だった。そのときの経験から戦争にまつわる著作も多い。晩年は、個人情報保護法に強く反対し、積極的に発言したことでも知られる。





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神奈川県相模原市長の小川勇夫、肺炎のため神奈川県相模原市の病院で21日死去、76歳。

1931年神奈川県生まれ。56年桜美林短期大学卒。58年早稲田大学第一商学部卒。神奈川県議(4期)を経て、96年相模原市長選に出馬して当選。

3期目だった今月8日、体調不良を理由に辞職願を提出。4月15日告示、同22日投開票の市長選が決まっている。任期を1年9カ月残しての引退だった。

相模原市は06年に城山、藤野両町と合併し、人口約70万4000人の新「相模原市」としてが誕生。政令指定都市移行の人口要件70万人を超え、10年に横浜、川崎両市に続く県内第3の政令市昇格をめざしている。





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米国の数学者でコンピューター言語の開発者ジョン・バッカス(John Warner Backus)、オレゴン州アシュランドで17日死去。82歳。

1924年ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。デラウェア州ウィルミントンで育つ。
当初バージニア大学で化学を学ぶが挫折、米陸軍に入隊して医学を学ぶが再度挫折した。ニューヨークに転居後、46年ラジオ・テレビ専門学校に入学し、そこで数学の才能に目覚める。49年コロンビア大学に転籍し、数学を学ぶ。50年IBM入社。

54年IBM704のためのFORTRAN(初期の高級プログラミング言語)の設計・開発、世界で広く使われることになる。50年代後半ALGOL(科学技術計算用のプログラミング言語)を開発した国際委員会の一員としても働き、59年ALGOL開発のために言語仕様記述のためのバッカス・ナウア記法(Backus-Naur Form=プログラミング言語の構文を定義するのに用いられるメタ言語)を考案。関数レベルプログラミング(Function-level Programming)の提唱者でもある。

これらの功績により、77年コンピューター分野のノーベル賞といわれるチューリング賞を授与。87年IBMのフェローとなり、93年にはチャールズ・スターク・ドレイパー賞を授与。91年引退した。





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米R&B歌手のルーサー・イングラム(Luther Ingram)、イリノイ州の病院で19日死去、69歳。

1937年テネシー州ジャクソン生まれ。少年時より兄弟と作曲など音楽活動に親しむ。60年代後半からニューヨークで音楽活躍を開始。72年「If Loving You Is Wrong (I Don't Want to Be Right)」が大ヒット。





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フリーカメラマン・ライターの鴨志田穣、腎臓癌のため東京都江東区の病院で20日死去、42歳。

1964年神奈川県川崎市生まれ。5歳で北海道札幌市に転居。
24歳でタイに渡り、ジャーナリストの故・橋田信介に出会い、戦場カメラマンの道を歩み始める。その後、東南アジアや旧ユーゴスラビア、ザイール、アルバニアなどを取材・撮影。
96年アマゾンで漫画家の西原理恵子と出会い、帰国後に結婚。

主な作品に「アジアパー伝」(西原さんとの共著)など。

【関連サイト】
Asia Bar−鴨志田穣非公式ファンサイト





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米テレビ演出家で映画監督のスチュアート・ローゼンバーグ(Stuart Rosenberg)、心臓発作のためロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅で15日死去、79歳。

1927年8月ニューヨーク市ブルックリン生まれ。ニューヨーク大学で文学を専攻後、テレビ業界に入る。CMの編集などを経て、58年頃より「アンタッチャブル」などテレビドラマを制作。63年「弁護士プレストン」でエミー賞を受賞。ポール・ニューマンが脱獄を図る囚人を演じた映画「暴力脱獄」(67年、写真)、ホラー映画「悪魔の棲む家」(79年)などを監督した。





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俳優の船越英二(本名:栄二郎)、脳梗塞のため静岡県内の病院で17日死去、84歳。

1923年東京都生まれ。専修大学経済学部卒業。
47年大映第2期ニューフェースに合格。映画「第二の抱擁」でデビューする。59年市川崑監督「野火」の演技が絶賛された。二枚目からコメディまで幅広い役をこなし、「四十八歳の抵抗」「夜の蝶」など出演映画は約200本にのぼる。

71年大映倒産後は、主にテレで活躍。「時間ですよ」では銭湯の主人役で親しまれた。俳優のかたわら、65年神奈川県湯河原町に会員制の旅館を創業し経営に当たった。

89年紫綬褒章、95年勲四等旭日小綬章を受賞。妻は元女優の長谷川裕見子、長男は俳優の船越英一郎。





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スイスのテノール歌手エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)、心不全のためスイス東部ダボスで17日死去、87歳。

1919年ダボス生まれ。チューリッヒ音楽院卒業後、ウィーンでジュリウス・パツァークに師事。42年コンサート歌手としてジェノヴァでデビュー。バッハ「マタイ受難曲」などの宗教曲で評価を得て、52年から74年までベルリン・ドイツ・オペラで活躍。モーツァルトの歌劇でも揺るぎない地位を築き、ドイツを代表するリリック・テノールとして世界的な名声を得た。

日本ではリヒター指揮の「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストの名唱が有名。「この道」「荒城の月」「赤とんぼ」など日本の歌曲をドイツ語で歌ったCD(写真)を発表し、話題となった。





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フランスの対ドイツ抵抗運動の中心的を役割を果たした女性活動家リュシー・オブラック(Lucie Aubrac)、パリ南郊の病院で14日死去、94歳。

1912年フランス中部のマコン生まれ。高校教師をしていた1940年代初頭、フランスを占領していたドイツに対する抵抗運動に参加。リヨンで遊撃隊を指揮、投獄中の夫や活動家を奪還するなど、運動の中心的役割を担った。

第2次大戦後は、女性の権利向上運動などに献身した。
84年自叙伝出版。96年には、戦時中のリオンで抵抗運動をしていた夫をゲシュタポに捕らえられ、その夫らを奪還する様子を描いた映画「リュシー・オブラック」がクロード・ベリ監督によって製作された。




セルビア文学翻訳家の田中一生(本名:一夫)、胃癌のため東京都多摩市の病院で9日死去、71歳。

1935年北海道生まれ。早稲田大学露文科卒業。ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。恒文社や文藝春秋社で編集職を経て、ボスニアの歴史を描いたノーベル文学賞作家イボ・アンドリッチの小説「サラエボの女」、「サラエボの鐘」(共訳)、モンテネグロの独立への戦いを描いたペトロヴィチ・ニェゴシュの長編叙事詩「山の花環」(共訳)など、翻訳多数。セルビア・モンテネグロから文化勲章を授与された。





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カンボジアの高僧マハー・コーサナンダ師(Maha Ghosananda)、米マサチューセッツ州の病院で12日死去。

自伝によると1929年カンボジア南部タケオ州生まれ。ただし正確な年齢はわからず、81歳ともいわれる。8歳から寺で修行を積み、43年に得度。

ポル・ポト派による虐殺と内戦を生き抜き、78年以降はタイのカンボジア難民キャンプを訪問。荒廃したカンボジアで、非暴力による平和を訴え、仏教再建に尽力。「カンボジアのガンジー」とも呼ばれた。
88年カンボジア仏僧の最高位につく。92年和解を訴えて、戦闘が続く危険地帯を16日間かけて平和行進する。その後毎年開催。90年代にはノーベル平和賞候補としても何度も名前が挙がった。




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英俳優ギャレス・ハント(Gareth Hunt,本名Alan Leonard Hunt )、ロンドン南部の自宅で14日死去、65歳。

1943年ロンドン生まれ。2歳のころ父は第二次大戦で死亡。15歳から6年間海軍商船で働が、ニュージーランドで逃走。1年間自動車工場で働いたあと拘束され、軍刑務所で3カ月過ごす。
その後帰国し、72年からテレビ所仕事を始める。人気スパイ・テレビ「アベンジャーズ」シリーズに主演し、98年に同名で映画化された。





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元歌手で俳優の鈴木ヒロミツ(本名:弘満)、肝細胞癌のため東京都千代田区の病院で14日死去、60歳。

1946年6月東京都生まれ。武蔵大学経済学部中退。グループサウンズ全盛期の67年にモップスのボーカルとして「朝まで待てない」デビュー。その後、「たどりついたらいつも雨ふり」「気らくにいこう」などのヒット曲を出した。
解散後は主に俳優に転進。テレビドラマ「夜明けの刑事」や映画「戦国自衛隊」の脇役などとして活躍した。





詩人で「新・現代詩」前代表の出海渓也(本名:偉成=よりしげ)、肺炎のため神奈川県横須賀市の病院で12日死去、78歳。

1928年10福岡県大牟田市生まれ。47年詩誌「詩郷」創刊。翌年上京。52年に井手則夫、関根弘らと「列島」を創刊。同年、大牟田に帰郷し、酒場「らんぼお」開店。

著作に詩集「アンダルシアの犬」「黒いマリア―旅の詩」、評論集「アレゴリーの卵」など。