政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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ロシアの前大統領ボリス・ニコラエビッチ・エリツィン(Boris Nikolayevich Yeltsin)、モスクワで23日死去、76歳。心臓が突然停止したもよう。

1931年ウラル地方スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)市の農家に生まれる。第二次世界大戦中に手榴弾の暴発で左手の親指と人さし指を失う。ウラル工科大学卒業。

スヴェルドロフスク州党第一書記を経て、76年ソ連共産党中央委員会建設部長に就任。81年ブレジネフ書記長に抜擢され、ソ連共産党中央委員となる。

ゴルバチョフ政権発足後の85年にモスクワに引き上げられ、86年ソ連共産党政治局員候補兼中央委員会書記に昇格。保守派と対立し一時失脚したが、民主改革派の旗手として再び頭角を現わす。その後民主改革派の指導者的存在となり、ソ連解体を主導した。

91年6月ロシア初代の大統領に選ばれ、新生ロシアの民主化と市場経済化を推進。93年10月のモスクワ騒乱では軍を動員し、議会を攻撃・解体した。94年12月独立を求めるチェチェン共和国に進攻。96年大統領選で再選される。しかし、99年12月任期を残したままプーチン首相(当時)を大統領代行に任命し、引退した。

対日関係では、93年の訪日で「東京宣言」に署名。択捉・国後・歯舞・色丹の4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することで合意した。97年と「クラスノヤルスク合意」で20世紀中の平和条約締結をめざす、平和条約締結は果たせなかった。





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空力弾性・航空力学の世界的権威でバージニア工科大学教授のリビウ・リブレスク(Liviu Librescu)、バージニア工科大学銃乱射事件の犠牲となり17日死去、76歳。

30年ルーマニアのプロイエスチでユダヤ人の両親のもとに生まる。第二次世界大戦中は同国フォクサニの強制居住区域に送られたが生還。52年ブカレスト工科大学卒業、69年ルーマニア科学アカデミー・流体力学研究所で博士号取得。

78年にはイスラエルに移住し、79年-86年テルアビブ大学で航空力学・機械工学の教授として教鞭をとる。

85年休暇研修で訪れたバージニア工科大学の教授に就任。
07年4月17日講義中に銃乱射事件が発生。講義をすぐに中止し、学生たちに窓から逃げる指示をだし、自らは銃撃を受けながらドアを押えて犯人の侵入を防いだ。死後、学術的功績と事件での行動が称えられルーマニア大統領から勲章が送られた。





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米陸上競技選手(砲丸投げ)で五輪金メダリストのパリー・オブライエン(Parry O’Brien)、カリフォルニア州サンタクララで水泳大会出場中に21日死去、75歳。

1932年カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。高校時代に砲丸投げを始め、52年ヘルシンキ五輪から4大会連続で五輪出場。金メダル2つ、銀メダル1つを獲得した(ヘルシンキとメルボルンで金、ローマで銀獲得、東京では米国選手団の旗手)。

投擲方向に背を向けた姿勢から準備動作に移る独自の投法を考案し、オブライエン投法と呼ばれた。この投法で53年18.00mの世界新記録を樹立。56年19mを突破し、59年までに15回の世界記録を達成した。




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静嘉堂文庫長で漢学者の米山寅太郎、呼吸不全んぼため東京都世田谷区の病院で19日死去、93歳。

1914年長野県諏訪市生まれ。33年東京高等師範学校国語漢文科第3学年修了。37年東京文理科大学漢文学科卒業。群馬県立高崎中学校教諭から、東京文理科大助手、40年陸軍教授となる。
43年には三菱の創業家が創設した図書館・美術館「静嘉堂文庫」嘱託となり、その後同司書を経て、56年同文庫長となる。

諸橋轍次著「大漢和辞典」(全14巻)の編集を手伝い、諸橋の死後は鎌田正と編集を引き継いだ。





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米連邦下院議員(民主党)のジャニタ・ミレンダー=マクドナルド(Juanita Millender-McDonald)、癌のため米カリフォルニア州カーソンの自宅で21日死去、68歳。

1938年アラバマ州バーミングハム生まれ。レッドランズ大学卒、UCLAで修士号取得。民主党員。96年カリフォルニア州選挙区から下院議員に初当選。07年下院運営の監督などに当たる下院管理委員会の委員長に黒人女性として初めて就任した。







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木版画家の北岡文雄、肺炎のため東京都渋谷区の病院で22日死去、89歳。

1918年東京生まれ。41年東京美術学校油絵科卒。在学中に平塚運一から木版画も学んだ。55年から56年フランスに留学し、エコール・デ・ボザールで木口木版を学ぶ。64年から65年フルブライト交換教授として米国で木版画を指導。80年及び87年中国で木版画を教える。
日本と中国の木版技法を融合する作風で知られた。97年勲四等旭日小紋章。





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歌舞伎俳優の中村四郎五郎(本名:植田孝男)、クモ膜下出血で22日死去、76歳。

1931年生まれ。四代目中村もしほ(十七代目中村勘三郎)に師事し、47年中村たかほの名で初舞台。50年中村仲三郎、64年三代目中村清五郎と改名。76年七代目中村四郎五郎を襲名した。中村勘三郎一門で脇役として活躍した。





グループサウンズ(GS)研究などで知られる音楽評論家の黒沢進、肺炎のため秋田県大仙市の病院で19日死去、52歳。

秋田県出身。著書に「熱狂!GS図鑑」「日本ロック紀GS編」や「日本フォーク紀」などの著作がある。「B級GS」「カルトGS」「一人GS」などのコンセプトを創出し、GSの音楽を再評価した功績がある。





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ギタリストの浅野祥之、肺炎のため横浜市青葉区の病院で20日死去、48歳。

1959年北海道北見市生まれ。80年プロ活動を始め、“ブッチャー”の愛称で知られる。92年と1994年に「空と海と風と・・・」として2枚のアルバムをリリース。99年ギタリスト梶原順と「J&B」を結成し、4枚のアルバムをリリース。
ミュージシャンの角松敏生らのレコーディングにも参加するほか、数多くのミュージシャンとライブ展開してきた。





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米ジャズピアニストのアンドリュー・ヒル(Andrew Hill)、肺癌のため米ニュージャージー州の自宅で20日死去、75歳。

1931年イリノイ州シカゴ生まれ。13歳でピアノを始め、10代半ばでプロとなり、チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスらと共演。61年ボーカルのダイナ・ワシントンの伴奏者としてニューヨークに進出。63―71年まで「ブルーノート」レーベルで多くの作品を録音した。
その音楽は、前衛を志向した「ポスト・バップ」に位置づけられる。

70年代から80年代はポートランド州立大学などで教えた。06年にも「ブルーノート」からアルバムを出した。





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フランスの俳優ジャン=ピエール・カッセル(Jean-Pierre Cassel、本名:ジャンピエール・クロション)、パリで19日死去、74歳。

1932年パリ生まれ。舞台俳優を経て、57年ジーン・ケリーに認められ映画「ハッピー・ロード」で本格デビュー。60−70年代はジャン・ルノワール監督らのもとで映画に出演する。代表作に「捕えられた伍長」「影の軍隊」「三銃士」「素晴らしきヒコーキ野郎」など。
ヴァンサン・カッセルとセシル・カッセルの父で、女優のモニカ・ベルッチは息子の嫁(義理の娘)。




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日本画家で日本美術院同人の岩壁冨士夫、肝不全のため東京都世田谷区の病院で19日死去、81歳。

1925年神奈川県出身。47年東京美術学校(現東京芸大)日本画科卒業。
75年院展日本美術院賞、92年院展内閣総理大臣賞を受賞。著書に「ポルトガルの詩」がある。





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フランスの絵本作家ピエール・プロブスト(Probst Pierre)、心筋梗塞のためパリ近郊の病院で12日死去、93歳。

1913年ミュルーズ生まれ。地元の美術学校で絵を学ぶ。53年から「カロリーヌキャンプにいく」「カロリーヌつきへいく」など、少女カロリーヌと小さな動物たちが登場する絵本シリーズを制作。日本語を含む約15カ国語に翻訳された。





ディスコ「ダンステリア」経営者で音楽プロデューサーのドン勝本(本名・勝本謙次)、大腸癌のため19日死去、57歳。

日本のソウル音楽の草分け的存在で、74年には全国ディスコ協会を設立、会長に就任。数多くのイベントを手がけ、70年代後半のディスコシーンをを盛り上げた。90年ニック岡井、マイケル鶴岡とともに「KING of SOUL」を結成。
ソウル歌手の故ェームス・ブラウンと親交を結び、歌手の振り付けなどでも活躍した。




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宗教法人釈尊会会長の小野兼弘、肝不全のため自宅で18日死去、54歳。

岡山県生まれ。父は日蓮宗系の宗教団体「大尊会」開祖の小野雅皓。立正大学卒業、同大学院修了。79年岡山県倉敷市に本拠を置く宗教団体「釈尊会」を設立。87年宗教法人の認可を得た。

03年女優の若村麻由美と結婚。“巨漢の教祖”として話題になった。
日印文化交流協会会長。