Today's Obituary

日本精神衛生会会長で精神科医の、肺炎のため25日死去、106歳。
1906年長野市生まれ。東京帝国大学医学部卒業後、北海道帝国大学医学部助手を皮切りに、金沢医科大学(金沢大学医学部)教授、東大医学部教授となり、66年退官。その後、国立武蔵療養所(現:国立精神・神経センター)所長、都立松沢病院院長などを歴任した。
障害者の社会復帰運動に尽力する一方で、帝銀事件の平沢貞通元死刑囚(獄中死)の再審請求に取り組んだ。昨年2月にはオウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)被告(当時)に接見し、訴訟能力を否定する意見書を出した。
80歳をすぎてパソコンを習得、05年「99歳 精神科医の挑戦」を出版した。
元女優で作曲家・故黛敏郎夫人の桂木洋子(本名:黛住恵)、3月に死去、76歳。
1930年東京四谷区(現・新宿区)生れる。46年松竹歌劇団の2期生として入団。48年木下恵介監督に見いだされ黒澤明脚本の映画「肖像」でデビュー。木下作品の「破戒」出演を機に歌劇団を退団、松竹入社。黒澤作品にも多く出演。50年「三つの結婚」で初主演。
53年作曲家の黛敏郎と結婚。63年日活「丘は花ざかり」を最後に引退した。
1930年東京四谷区(現・新宿区)生れる。46年松竹歌劇団の2期生として入団。48年木下恵介監督に見いだされ黒澤明脚本の映画「肖像」でデビュー。木下作品の「破戒」出演を機に歌劇団を退団、松竹入社。黒澤作品にも多く出演。50年「三つの結婚」で初主演。
53年作曲家の黛敏郎と結婚。63年日活「丘は花ざかり」を最後に引退した。

世界的なチェロ奏者で指揮者でもあるムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Mstislav Rostropovich)、モスクワの病院で27日死去、80歳。
1927年旧ソ連アゼルバイジャン共和国のバクー生まれ。7歳で父からでチェロを習い始める。モスクワ音楽院でコゾルポフ(チェロ)とショスタコーヴィッチ(作曲)に学ぶ。国際チェロ・コンクールで優勝を重ね、師であるショスタコービッチをはじめプロコフィエフら著名な作曲家が、ロストロポービッチのために作曲した。
48年から母校で教え、57年教授就任。欧米諸都市で積極的に演奏活動も行った。
しかし、旧ソ連時代の反体制作家でノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンらを擁護して政府と対立。74年夫人でオペラの女王といわれたソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ(Galina Vishnevskaya)とともに出国し、ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督に就任。78年ソ連の市民権を剥奪された。
その後、ゴルバチョフ政権になった90年に市民権を回復。16年ぶりに故国でコンサートを開いた。40以上の名誉学位を持ち、30カ国以上の国から130以上もの主要な賞と勲章を授与されている。07年には母国ロシアで最高栄誉とされる勲1等祖国功労章を授与。その技量は現存するチェロ奏者のなかで最高とされた。
小澤征爾とも親交が深く、親日家として知られた。
【関連音楽CD】
・R.コルサコフ:シェヘラザード
・フォーレ:エレジー
・ショスタコーヴィチ : 交響曲 第5番 ニ短調

米舞台女優のアン・ピトニアック(Anne Pitoniak)、癌のためニューヨークの自宅で22日死去、85歳。
1922年マサチューセッツ州ウエストフィールド生まれ。ノース・カロライナ大学卒業。女優としての出発は遅く、68年の離婚後のことで40代半ばを過ぎていた。
85年主演3作目の舞台「'night, Mother」で、さらに93年「Getting Out」で、計2度にわたりブロードウェーのトニー賞最優秀女優賞にノミネートされた。芯の強いアメリカ女性を演じ続けてきた。

ポーランド出身の天文学者ボフダン・パチンスキー(Bohdan Paczynski)、脳腫瘍のため米ニュージャージー州プリンストンの自宅で19日死去、67歳。
1940年リトアニアのビリニュス生まれ。ワルシャワ大学卒業後、ポーランドで研究を続け、81年に米国に移住。82年からプリンストン大学教授。重力レンズ、変光星、ガンマ線バースト、銀河の構造など恒星進化論の分野で主導的な研究を続けてきた。
重力レンズを使って新しい天体を発見し、その天体の質量を計測する方法によって世界的な評価を得た。重力マイクロレンズ現象の存在を予言した。ガンマ線バースト(宇宙最大規模の爆発現象)が遠方の宇宙で起きていることいち早く提唱した。
韓国元首相の申鉉碻(シン・ヒョンファク、Shin Hyeon Hwak)、脊椎骨折で入院中だったソウル市内の病院で26日死去、86歳。
1920年生まれ。38年京城帝国大学入学。43年高級文官試験に合格し、商務省に入省。59年復興部長官に就任するも、翌年四月革命で失脚し拘束される。
73年民主共和党公薦で国会進出。副首相だった79年10月朴正熙大統領(当時)が暗殺され、当時首相だった崔圭夏が大統領代行となり、同12月後任首相(13代国務総理)に就任。全斗煥将軍(後に大統領)ら軍部が全権掌握するなか約6カ月間務めた。
80年代以降は韓日協力委員会会長なども歴任した。 - 2007年4月26日)は大韓民国の。
1920年生まれ。38年京城帝国大学入学。43年高級文官試験に合格し、商務省に入省。59年復興部長官に就任するも、翌年四月革命で失脚し拘束される。
73年民主共和党公薦で国会進出。副首相だった79年10月朴正熙大統領(当時)が暗殺され、当時首相だった崔圭夏が大統領代行となり、同12月後任首相(13代国務総理)に就任。全斗煥将軍(後に大統領)ら軍部が全権掌握するなか約6カ月間務めた。
80年代以降は韓日協力委員会会長なども歴任した。 - 2007年4月26日)は大韓民国の。
歌人の池田まり子(本名:鞠子)、自宅で25日死去、81歳。東京都出身。
小説家の中河与一と歌人の中河幹子の二女。同人誌「をだまき」主宰。主な歌集に「ヒースの丘」「飛天」など。世田谷文学賞の選考委員などを務める。
小説家の中河与一と歌人の中河幹子の二女。同人誌「をだまき」主宰。主な歌集に「ヒースの丘」「飛天」など。世田谷文学賞の選考委員などを務める。
米レンタカー大手エイビスレンタカー創業者のウォーレン・エイビス(Warren Avis)、老衰のためミシガン州の自宅で24日死去、92歳。
第二次大戦中は爆撃機パイロットとして米空軍に所属。車の販売代理店主から身を起こし、エイビスレンタカーを設立。46年1946年ミシガン州のデトロイト空港とフロリダ州のマイアミ空港で世界初の事業所を開設した。その後事業網を拡張し、ハーツに追い抜かれるまで米業界1位だった。54年800万ドルで同社を売却。
第二次大戦中は爆撃機パイロットとして米空軍に所属。車の販売代理店主から身を起こし、エイビスレンタカーを設立。46年1946年ミシガン州のデトロイト空港とフロリダ州のマイアミ空港で世界初の事業所を開設した。その後事業網を拡張し、ハーツに追い抜かれるまで米業界1位だった。54年800万ドルで同社を売却。
家電量販大手のコジマ創業者で前社長の小島勝平、肺炎のため24日死去、71歳。
1936年生まれ。55年栃木県宇都宮市に電気店「小島電気商会」を個人創業。63年法人化して「小島電機」を設立。93年「コジマ」に社名変更。その後、家電の安売りで家電量販店大手に成長。02年会長、03年から名誉会長。
1936年生まれ。55年栃木県宇都宮市に電気店「小島電気商会」を個人創業。63年法人化して「小島電機」を設立。93年「コジマ」に社名変更。その後、家電の安売りで家電量販店大手に成長。02年会長、03年から名誉会長。

サッカー元イングランド代表のアラン・ボール(Alan Ball)、心臓発作で死去、61歳。
1945年イングランド・ランクシャー州ファームワース生まれ。66年最年少のメンバーとしてワールドカップ(W杯)イングランド大会に出場し優勝する。71年にエヴァートンからアーセナルに加入し1976年までミッドフィールダーとしてプレー(177試合45得点)、キャプテンも務めた。

米国のバレエ振付師マイケル・スムイン(Michael Smuin)、サンフランシスコの病院で心臓発作のため23日死去、68歳。
1938年モンタナ州ミズーラ生まれ。少年時にタップを学ぶ。15歳だった53年から8年間サンフランシスコ・バレエ団で本格的なバレエ・ダンサーとして活動。61年ニューヨークに移り、ブロードウェーのミュージカルで活躍した後、振付師となる。
88年「エニシング・ゴーズ」でトニー賞最優秀振付賞を受賞。その後も自らのバレエ団を率いた。
元最高裁長官の藤林益三、心不全のため東京都稲城市の病院で24日死去、99歳。
1907年京都府五ヶ荘村(現・南丹市日吉町)生まれ。31年東大法学部卒。32年弁護士登録し、第一東京弁護士会に入会。協和銀行や日本興業銀行の顧問弁護士を務めた。
70年最高裁判所判事に就任。ロッキード事件さなかの76年5月に故村上朝一の後を継ぎ、弁護士出身で初の最高裁長官となった。
長官就任直後、ロッキード社元副会長らから証言を得るため、「不起訴宣明(刑事免責)」をだして米国裁判所に証人尋問を嘱託。76年7月「不起訴確認は守られる」との宣明書を出し、嘱託尋問調書が日本に引き渡された。
77年7月「津地鎮祭訴訟」の大法廷判決で裁判長を務め、公共施設の起工式を神式で行ったことの合憲性が争われた同訴訟で、合憲とした多数意見に対して政教分離を厳格に解釈する立場から反対意見を述べた。
77年8月26日最高裁判所長官を退任。
1907年京都府五ヶ荘村(現・南丹市日吉町)生まれ。31年東大法学部卒。32年弁護士登録し、第一東京弁護士会に入会。協和銀行や日本興業銀行の顧問弁護士を務めた。
70年最高裁判所判事に就任。ロッキード事件さなかの76年5月に故村上朝一の後を継ぎ、弁護士出身で初の最高裁長官となった。
長官就任直後、ロッキード社元副会長らから証言を得るため、「不起訴宣明(刑事免責)」をだして米国裁判所に証人尋問を嘱託。76年7月「不起訴確認は守られる」との宣明書を出し、嘱託尋問調書が日本に引き渡された。
77年7月「津地鎮祭訴訟」の大法廷判決で裁判長を務め、公共施設の起工式を神式で行ったことの合憲性が争われた同訴訟で、合憲とした多数意見に対して政教分離を厳格に解釈する立場から反対意見を述べた。
77年8月26日最高裁判所長官を退任。
歌人の川島喜代詩、慢性気管支肺炎で24日死去、80歳。
191964年学術書出版の川島書店(新宿区西新宿)を創業し、出版業に携わりながら歌人の佐藤佐太郎門下で活躍した。歌誌「運河」同人。75年第一歌集「波動」で第14回現代歌人協会賞を受賞。81年「冬街」30首で第17回短歌研究賞を受賞。短歌誌「運河」を主宰してきた。
191964年学術書出版の川島書店(新宿区西新宿)を創業し、出版業に携わりながら歌人の佐藤佐太郎門下で活躍した。歌誌「運河」同人。75年第一歌集「波動」で第14回現代歌人協会賞を受賞。81年「冬街」30首で第17回短歌研究賞を受賞。短歌誌「運河」を主宰してきた。

現役最高齢の天文学者ドリット・ホフライト(Ellen Dorrit Hoffleit)、ニューヨーク州ニューヘブンの自宅で9日死去、100歳。
1907年3アラバマ州フローレンス生まれ。ラドクリフ大学で数学を専攻した後、29年にハーバード大学で研究助手として天文学研究を始める。48年まではハーバード大学に在職。56年からはイェール大学で研究を続けた。
肉眼で観測可能な9110個の星の目録「イェール輝星目録(The Bright Star Catalogue)」を編纂したことでも知られる。

ピュリツァー賞受賞の米作家デイビッド・ハルバースタム(David Halberstam)、カリフォルニア州メロンパークでの自動車事故で23日死去、73歳。
1934年ニューヨーク生まれ。55年ハーバード大学(ジャーナリズム専攻)卒業後、ミシシッピ州ウエストポストの地方紙記者となる。60年ニューヨーク・タイムズ紙に入社。ベトナム戦争報道で64年ピュリツァー賞受賞。
米政府の政策を批判したことで知られ、ケネディ政権からジョンソン政権の人間ドラマを描いた「ベスト・アンド・ブライテスト」で名声を確立。ほかに、日米の自動車産業の栄枯盛衰を描いた「覇者の驕り」、タイム誌など米4大メディアグループの内幕を追った「メディアの権力」などがある。
スポーツジャーナリストとしても知られ、マイケル・ジョーダンや大リーグに関する著作もある。



