Today's Obituary

元ソロモン諸島首相のバーソロミュー・ウルファアル(Bartholomew Ulufa'alu)、首都ホニアラの病院で25日死去、56歳。
1950年生まれ。78年の独立で指導的役割を果たす。その後ソロモン諸島自由党を結成。97年8月首相就任。00年ホニアラのあるガダルカナル島で地元住民とマライタ島からの移住者の対立が激化し、同年6月マライタ島系武装集団に誘拐される。解放の交換条件として辞任を受け入れた。
06年4月再び首相就任を試みるが失敗。同年5月財務相に就任し10月まで務めた。

作家の大庭みな子(本名:美奈子)、腎不全で24日死去、76歳。
1930年東京生まれ。父は海軍軍医。愛知県豊川市、広島県賀茂郡西条町(現:東広島市)などで育つ。津田塾大学学芸学部英文学科卒業。結婚後、59年から米国に住み、ウィスコンシン大学などで学ぶ。
米国暮らしの日本人夫婦をモチーフに孤独感を描いた「三匹の蟹」で、68年群像新人文学賞と芥川賞を受賞。70年帰国。
82年「寂兮寥兮」(かたちもなく)で谷崎潤一郎賞、86年「啼く鳥の」で野間文芸賞、91年「津田梅子」で読売文学賞(評論・伝記部門)、96年「赤い満月」で川端康成文学賞をそれぞれ受賞。
87年河野多恵子と共に女性初の芥川賞選考委員となる。97年まで務めた。
96年脳梗塞で倒れ、リハビリのかたわら「浦安うた日記」などを口述日記にて上梓。

日本舞踊花柳流の三世宗家家元の(本名:花柳若葉)、肝不全のため東京都内の病院で23日死去、72歳。
1935年東京・銀座木挽町生まれ。父の二世花柳寿輔に師事する。青山学院女子短期大学国文科卒業。60年芸術祭優秀賞受賞。62年日本舞踊の最大流派である花柳流の三代目家元襲名。63年三代目花柳寿輔を襲名。69年日本舞踊協会理事就任。
「花柳舞踊研究会」を主宰し、古典継承とともに「夢殿」など創作舞踊にも取り組む。
80年家元制度をめぐり国立劇場の楽屋廊下で流派の女性舞踊家・花柳幻舟に切られて首を負傷。
90年受賞。著書に「柳緑花紅」など。

浪曲師の玉川福太郎(本名:佐藤忠士)、山形県酒田市の農道で田植え機を運転中に水田に転落し、田植え機の下敷きになて23日死去、61歳。
1945年山形県生まれ。68年三代目玉川勝太郎に入門し、74年NHK浪曲新人コンクール優勝、75年二代目福太郎を襲名する。
75年フジサンケイグループ放送演芸大賞・ホープ賞、90年新作浪曲「浪花節じいさん」で文化庁芸術祭賞を受賞。日本浪曲協会副会長を務めた。読み物は「天保水滸伝」の他「清水の次郎長」「忠治山形屋」など多数。関東浪曲界の重鎮である。

映画監督の熊井啓、クモ膜下出血のため東京都内の病院で23日死去、76歳。18日早朝に自宅玄関前で倒れていた。
1930年長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。旧制松本高校を経て、新制の信州大学文理学部卒業。独立プロの助監督から、54年日活撮影所監督部に入社。
64年「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューし、平沢貞通・死刑囚の冤罪を主張。65年「日本列島」で、日本映画監督協会新人賞など受賞。社会派の監督として評判をえる。68年三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作「黒部の太陽」を製作。
69年日活退社後、70年井上光晴原作「地の群れ」、72年三浦哲郎原作「忍ぶ川」など文芸作品を監督。山崎朋子原作で田中絹代主演の74年「サンダカン八番娼館・望郷」で、ベルリン映画祭銀熊賞・主演女優賞、アジア映画祭グランプリを受賞。
86年遠藤周作原作「海と毒薬」でベルリン映画祭銀熊賞を再び受賞。89年井上靖原作「千利休 本覺坊遺文」でヴェネチア映画祭銀獅子賞、シカゴ映画祭銀賞を受賞。90年「式部物語」でモントリオール映画祭芸術貢献賞を受賞。95年遠藤周作原作「深い河」でモントリオール映画祭エキュメニカル賞受賞。松本サリン事件を描いた01年「日本の黒い夏 冤罪」でベルリン映画祭特別功労賞受賞など。
黒沢明監督が残した脚本で02年「海は見ていた」を撮り、これが遺作となった。
95年紫綬褒章を受章。

米化学者で生物学者のスタンリー・ロイド・ミラー(Stanley Lloyd Miller)、心臓疾患のためカリフォルニア州ナショナルシティの病院で20日死去、77歳。
1930年カリフォルニア州オークランド生まれ。51年カリフォルニア大バークレー校卒、54年シカゴ大大学院博士号取得。
53年シカゴ大院生時にハロルド・ユーリーの研究室で行ったユーリー‐ミラーの実験で、原始地球環境のもとメタンやアンモニアなどから有機物(アミノ酸)生成の可能性を示した。これは生命の起源に関する実験的証明となった。
54-55年カリフォルニア技術研究所で研究。その後、コロンビア大の生化学部門で5年間働き、カリフォルニアに戻る。68年カリフォルニア大サンディエゴ校教授に就任。

元ダンサーの和田妙子、心不全のため18日死去、95歳。
1911年朝鮮・忠清南道生まれ。東京松竹楽劇部を経て、中国・上海に渡る。太平洋戦争開戦前後の上海租界で、スパニッシュ風の「舞姫エキゾチック・マヌエラ」として一世を風靡した。戦後は日本に引き揚げ、喫茶店やナイトクラブを経営。
01年「上海ラプソディー 伝説の舞姫マヌエラ自伝」を出版。その半生は舞台やドキュメンタリー番組などで紹介された。

仏ノーベル物理学賞受賞者のピエール=ジル・ド・ジャンヌ(Pierre-Gilles de Gennes)、パリ郊外のオルセーで18日死去、74歳。
1932年フランス・パリ生まれ。55年エコール・ノルマル卒、59年まで原子力センターの研究技師を務める。71年コレージュ・ド・フランス教授就任。
液晶や高分子重合体の複雑な動きを解明、これを数式化。液晶の素材用途を広げるきっかけとなった。
91年ノーベル物理学賞を受賞。このほか90年オランダ王立芸術科学アカデミーのローレンツ・メダル、同年イスラエルのウルフ財団によるウルフ賞などを受賞。「現代のニュートン」との呼称でその業績を評価する声もある。

米作曲家でピアニストのベン・ワイズマン(Ben Weisman)、ロサンゼルスの病院で20日死去、85歳。同病院で長期間闘病中だった。
1921年米東部ロードアイランド州プロヴィンス生まれ、ニューヨークのブルックリン育ち。ジュリアード音楽院で学んだ後ピアニストとなる。
56年からエルビス・プレスリー(Elvis Presley)のために曲を書き始め、60年代を通して「夢の渚(Follow That Dream)」など50曲以上を作曲した。このほかバーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand)の「Love in the Afternoon」やビートルズ(The Beatles)の「Lend Me Your Comb」など作曲も手掛けた。
元法政大教授で近代文学研究者の駒尺喜美、肝細胞癌のため静岡県伊豆市の自宅で22日死去、82歳。
1925年大阪市生まれ。50年京都人民学園卒業。62年法政大学大学院博士課程に進む。74年同大学第一教養部教授となる。
フェミニズムの視点から夏目漱石や源氏物語など日本文学を批判的に解読、家族の在り方を追求した。
77年から女性解放運動家の小西綾と長く生活と行動を共にし、「友だち家族」として注目された。東京・神楽坂の自宅1室を女性に開放し、「56番館」と呼ばれた。78年出版の「魔女の論理」(小西との共著)は、女性解放を考えるバイブルともいわれた。80年「日本女性学会」創設に尽力し、代表幹事に就任。
02年「友だち村」をに伊豆市に建設、高齢者が自然のなかで暮らす社会を志向。自身も晩年をこの村で過ごす。
1925年大阪市生まれ。50年京都人民学園卒業。62年法政大学大学院博士課程に進む。74年同大学第一教養部教授となる。
フェミニズムの視点から夏目漱石や源氏物語など日本文学を批判的に解読、家族の在り方を追求した。
77年から女性解放運動家の小西綾と長く生活と行動を共にし、「友だち家族」として注目された。東京・神楽坂の自宅1室を女性に開放し、「56番館」と呼ばれた。78年出版の「魔女の論理」(小西との共著)は、女性解放を考えるバイブルともいわれた。80年「日本女性学会」創設に尽力し、代表幹事に就任。
02年「友だち村」をに伊豆市に建設、高齢者が自然のなかで暮らす社会を志向。自身も晩年をこの村で過ごす。

元経団連(現日本経団連)会長で東京電力顧問の平岩外四、心不全のため東京都内の病院で22日死去、92歳。
1914年愛知県常滑市生まれ。6歳で父親を亡くす。旧制八高を経て、39年東京帝国大学法学部卒業。東京電灯(現在の東京電力)に入社。
41年陸軍召集、ニューギニア戦線に送られる。
終戦後、復職。64年総務部長、68年54歳で取締役。76年東京電力社長に就任。84年会長に就任する。
財界活動では78年経団連副会長に就任、90年同会長に就任。証券金融スキャンダルを受けて経団連企業行動憲章を制定。94年会長職を退任し、名誉会長に。02年退任するが06年復帰。
細川内閣のもと経済改革研究会座長を務め、「平岩リポート」で規制緩和・内需拡大を促した。ほか経済審議会会長、運輸政策審議会会長、国会等移転審議会会長などの公職を歴任。
94年勲1等旭日大綬章、06年桐花大綬章を受章。

新劇界の重鎮で女優の鈴木光枝(本名:佐々木光枝)、老衰による心不全で22日死去、88歳。
1918年東京・神田生まれ。新派俳優の井上正夫に師事、32年「乳姉妹」で初舞台。42年演出家の佐佐木隆をリーダーに、俳優の山形勲、山村聡と劇団文化座を結成。67年夫・佐佐木の病死後は代表も務めた。
上演500回を重ねた「おりき」をはじめ、「荷車の歌」「サンダカン八番娼館」など、逆境を生きる女性像を演じ続けた。若い頃から老け役が多く、コミカルな味をだした。
テレビでもNHK「おはなはん」「鳩子の海」などに出演。
82年紫綬褒章、91年勲四等宝冠章を受章。

イギリスの人類学者メアリー・ダグラス(Mary Douglas)、癌のため16日死去、86歳。
1921年イタリアのサンレモ生まれ。ローハンプトンの聖心修道院で寄宿生としてカトリック中等教育を受ける。43年英オクスフォード大学卒業。
47年まで植民省で戦時勤務にあたり、同年オックスフォード人類学研究所入所し、エヴァンス・プリチャード(E.E. Evans-Pritchard)に師事。51年オックスフォード大学で博士号(哲学博士)取得。ロンドン大教授を経て、77年米国移住。81年ノースウェスタン大学教授。
88年英国に戻り、聖書研究に取り組んだ。
象徴人類学、比較宗教学を専門とし、「穢れ」論によって20世紀の文化人類学を代表する一人となる。代表的著書に「汚穢と禁忌」「象徴としての身体」「儀礼としての消費」など。

歴史学者で近代フランスの権威ユージン・ウェーバー(Eugen Weber)、膵臓がんのため米ロサンゼルスの自宅で17日死去、82歳。
1925年ルーマニア生まれ。若くして英国に移住。第二次大戦中は英陸軍に所属し、47年までヨーロッパ、インドに駐在。その後フランスのソルボンヌ大学やパリ政策大学で学ぶ。54ケンブリッジ大学で修士号取得。その後米国に移り、UCLA教授。
近代フランスを専門とし、歴史へのプログマティックなアプローチを手法とした。「フランス、世紀末」などの著書がある。

元プロ野球阪急ブレーブス投手の野口二郎、肺炎のため21日死去、87歳。
1920年愛知県名古屋市生まれ。中京商(現:中京大中京)投手として37年夏の甲子園大会決勝で熊本工・川上哲治投手(元:巨人監督)と投げ合い優勝、翌38年春の選抜大会でノーヒットノーランを含む4試合連続完封で史上初の夏春連覇。
旧制法政大学に進むが中退し、39年東京セネタースに入団、新人最多勝に輝く。42年5月24日対名古屋軍戦(後楽園球場)で当時世界最長の延長28回を、名古屋軍の西沢道夫投手とともに完投、投球数は344球に及んだ。同年66試合に登板し40勝、投球回数は527回1/3。入団から5年間で156勝(71敗)をあげ「鉄腕」と呼ばれた。
43年25勝をあげて応召。46年に阪急に復帰。54年引退。
通算237勝139敗、防御率1.96(歴代2位)、打率2割4分8厘。
200勝投手だが、大正生まれのため名球会への入会資格対象外となっている。


