Today's Obituary

青森県むつ市長の杉山粛(Sugiyama Masashi)、慢性腎不全のためむつ市の病院で31日死去、70歳。
1936年青森県生まれ。59年中央大学法学部を卒業、青森銀行に入行。67年同行を退職し、むつ市議会議員に当選。85年むつ市長に初当選し、05年に6選を果たした。
今年1月に前立腺癌で入院し、2月に公務復帰していた。
【関連サイト】
・むつ市

日本中世文学・比較文学者で筑波大名誉教授の小西甚一、肺炎のため26日死去、91歳。
1915年三重県生まれ。40年東京文理科大学卒業。東京教育大学教授、スタンフォード大学客員教授、プリンストン大学高等研究員、筑波大学副学長を歴任。飯尾宗紙の連歌や世阿弥の能を研究、松尾芭蕉の俳句にも造詣が深い。
35歳のとき日本文学と中国文学を比較研究した「文鏡秘府論考」で学士院賞受賞。92年古代から三島由紀夫までの日本の文芸を初めて世界の中で位置づけて分析・批評した「日本文藝史 全5巻」で大佛次郎賞を受賞。99年文化功労者顕彰。
著書に「梁塵秘抄考」「能楽論研究」「俳句の世界」など。高校生用の受験参考書「古文研究法」は国文学入門書として広く読み継がれている。

米経営史家のアルフレッド・チャンドラー(Alfred DuPont Chandler,Jr.)、米マサチューセッツ州ケンブリッジで5月9日死去、88歳。
1918年デラウエア州ガイエンコート生まれ。40年ハーバード大学卒業。米海軍で兵役についたのち、同大で博士号取得。MITやジョンホプキンス大学で教鞭をとったのち、70年ハーバードビジネス・スクール教授。
60年代から大企業の研究をはじめる。代表的著書「組織は戦略に従う」(Strategy and Structure)の中で、事業の多角化を進める企業の組織形態は機能別組織から事業部制組織へ移行することを示した。
77年「経営者の時代」でピューリッツァー賞受賞。企業史の立場からの各国資本主義の類型構成の試みた。06年フォーチュン誌が「アメリカの卓越した企業史家」として賞賛している。

ドイツの画家で彫刻家のイェルク・イメンドルフ(Joerg Immendorff)28日死去、61歳。
1945年ドイツ北部のリューネブルク近郊ブレッケード生まれ。60年代にデュッセルドルフ美術学校でヨーゼフ・ボイスに師事。66年「Stop Painting」と書かれた絵を描くなど、ネオダダ運動に没頭し、同校から放校処分を受ける。
68−80年は高校の美術教師を勤めるかたわら、70年代は「ノイエ・ヴィルデ(Neue Wilde)」と呼ばれる新表現主義のグループに加わる。78年から代表作「カフェ・ドイツ」シーリーズを制作。戦後ドイツで最も有名な画家の一人となった。
96年デュッセルドルフ美術学校教授に就任。98年ドイツ功労賞を受賞。
歴代首相の肖像画を飾る首相府ギャラリーに、シュレーダー前首相の黄金の肖像画を描いた。
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・作品

洋画家の高塚省吾、腹膜炎のため東京都杉並区の病院で28日死去、76歳。
193年岡山市生まれ。53年東京芸術大学美術学部油画科に卒業。
54年芸大の仲間と「8人の会」第1回展を銀座・村松画廊で開く。55年同画廊にて初の個展。77年国際青年美術家展、78年ジャパン・エンバ美術賞展に入選。81年ソビエト文化省招待によるソ連旅行。
裸婦の絵で知られた。
【画集】
・いろはにおえど―高塚省吾画集
・女たち―高塚省吾素描集

米喜劇俳優のチャールズ・ネルソン・レイリー(Charles Nelson Reilly,)、肺炎による合併症のためロサンゼルスで25日死去、76歳。
1931年ニューヨーク・ブロンクス生まれ。ニューヨークで俳優の故スティーブ・マックィーンらとともに演技を学ぶ。57年映画「A Face in the Crowd」に初出演する一方、オフ・ブロードウェーで多数の舞台に出演。62年「努力しないで出世する方法」でトニー賞を受賞。
60年代にハリウッドに移り、テレビのトークショー「Match Game」などに出演して人気を博した。
米ジャーナリストのウィリアム・ピーターズ(William Ernest Peters)、肺炎のため米コロラド州ボルダーの終末医療施設で20日死去、85歳。
1921年サンフランシスコ生まれ。47年英ノースウエスタン大学卒業。第二次大戦中は空軍飛行士だった。
PR関連の仕事を経て、フリーランスのジャーナリストに。56年8月黒人差別に反対する米公民権運動で、米雑誌に記事「愛こそわれわれの武器」を掲載。運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師(68年暗殺)の非暴力主義を取材し、その活動を全米に伝えた。
1921年サンフランシスコ生まれ。47年英ノースウエスタン大学卒業。第二次大戦中は空軍飛行士だった。
PR関連の仕事を経て、フリーランスのジャーナリストに。56年8月黒人差別に反対する米公民権運動で、米雑誌に記事「愛こそわれわれの武器」を掲載。運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師(68年暗殺)の非暴力主義を取材し、その活動を全米に伝えた。

米舞台女優で動物愛護活動家のグレッチェン・ワイラー(Gretchen Wyler)、乳癌による合併症のた米カリフォルニア州カマリロの自宅で27日死去、75歳。
1932年オクラホマ州オクラホマシティ生まれ。同州バートルズヴィル育ち。
50年代の後半からテレビを中心に活躍。ブロードウェーの「ガイズ・アンド・ドールズ」や「くたばれ!ヤンキース」などの舞台にも出演した。
60年代半ばから動物愛護活動を始め、米国最大級の動物愛護組織「ヒューメイン・ソサエティー」副会長を務めた。
【関連サイト】
・グレッチェン・ワイラー写真

元プロ野球大洋ホエールズ選手の伊藤勲、肺癌のため東京都内の病院で26日死去、65歳。
1942年5仙台市生まれ。61年東北高から大洋(現:横浜)に捕手で入団し、64年から正捕手として活躍し始める。69年自己最多の23本塁打、60打点を記録。
広瀬叔功監督に請われ、79年南海(現:ソフトバンク)へ移籍。南海時代は捕手、指名打者として活躍。80年広瀬監督の辞任とともに、伊藤も引退。
オールスターゲーム5度出場。通算1771試合で1054安打、152本塁打、495打点。
現役引退後は大洋のバッテリーコーチや社会人野球のNTT東日本でコーチを務めた。

農林水産大臣の松岡利勝、東京都港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で首をつり、搬送先の慶応大病院で28日死去、62歳。
同日午後0時18分ごろ、同議員宿舎1102号室で松岡農相が倒れているのを秘書官らが発見。同2時過ぎ慶応大病院で死亡が確認された。
1945年熊本県阿蘇町生まれ。鳥取大学農学部を卒業。69年農林水産省に入省。88年林野庁広報官を最後に退官し、90年衆議院議員総選挙に旧熊本1区から無所属で立候補し当選。
三塚派、亀井グループを経て、98年江藤・亀井派結成に参加。その後、郵政国会を機に亀井静香ら旧亀井グループと訣別。05年に6選を果たし、06年安倍内閣で農林水産大臣に就任する。
その後、自らの資金管理団体「松岡利勝新世紀政経懇話会」が政治資金収支報告書に計上した事務所費や光熱水費の不明朗な処理が問題となる。
さらに、緑資源機構談合事件に絡み疑惑企業からの献金問題などが浮上し、窮地に立たされていた。この件では、地元熊本の事務所で同相を支えてきた古くからの支援者が先週自殺している。
【関連サイト】
・大臣プロフィール(松岡利勝)
・松岡利勝農林水産相のスキャンダルの背景
・緑資源機構談合疑惑企業から政治献金

「ラスト・エンペラー」の著者として知られる英ジャーナリストで作家のエドワード・ベア(Edward Behr)、パリで26日死去、81歳。
1926年パリ生まれ。英兵として東南アジアなどに従軍後、ロイター通信のパリ支局勤務などを経て、米ニューズウィーク誌の欧州総局長、英BBCのリポーターなどを歴任。
アルジェリアやベトナムなど世界各地の紛争を取材し、ノンフィクションや小説を多数執筆。昭和天皇の伝記「裕仁天皇-神話に包まれて」、清朝最後の皇帝で満州国皇帝でもあった溥儀の伝記「ラスト・エンペラー」などを著した。
「The Artful Eater」など世界中の食に関する著作でも知られる。

人気音楽グループ「ZARD」のボーカルで作詞家の坂井泉水(本名:蒲池幸子)、脳挫傷のため東京都新宿区の慶応大学病院で27日死去、40歳。26日早朝に散歩から病室に戻る途中で病院の非常用スロープの踊り場から転落したという。昨年6月子宮頸癌を患い、入退院を繰り返していた。
1967年福岡県久留米市生まれ。松蔭女子短期大学卒業。大手不動産会社に2年間勤務後、モデルとして活動。
91年「Good‐bye My Loneliness」で歌手デビュー。「揺れる想い」「君がいない」「マイ フレンド」など、数々の大ヒットを飛ばす。93年「負けないで」がオリコン1位となり、94年選抜高校野球の入場行進曲にもなった。
一方、作詞家として人気アーティストに楽曲を提供。テレサ・テン「あなたと共に生きてゆく」やDEEN「瞳そらさないで」、WANDS「明日もし君が壊れても」などのヒット曲を生む。オリコンのシングルトップ10入り40作品は、女性ボーカルアーティストの最多記録。
経歴を明かさず、テレビ出演を控えるなど、独特のアーティスト展開で話題を集めた。
※「ZARD」は坂井泉水を中心とした音楽プロジェクトな名で、現在固定メンバーは坂井のみのため、坂井自身のことをさす場合もある。「blizzard」、「hazard」、「wizard」といった単語が名前の由来という。
【関連サイト】
・ZARD 公式サイト
・坂井泉水(写真)

ハワイとタヒチを結ぶ航海カヌー「ホクレア」の初代船長エレア・“カウィカ”・カパフレフア(Kawika Kapahulehua)、米ハワイ州ホノルル(オアフ島)の病院で24日死去、76歳。
1930年カウアイ島南西のニイハウ島生まれ。ハワイ語を母国語とし、13歳まで同島で過ごす。
76年大洋航海カヌー「ホクレア」(写真)でタヒチ往復航海の初代船長となる。
同カヌーは米建国200周年記念事業の一環として75年建造され、ハワイ先住民の伝統文化復興運動のシンボルとなっている。全長約19m、2本マストの木造双胴船で、ホクレアはハワイ語で「喜びの星」の意。
【関連サイト】
・ホクレア号を待ちながら

韓国の国民的作家・随筆家の皮千得(ピ・チョンドゥク)、ソウルの牙山病院で25日死去、96歳。
1910年ソウルで生まれ。上海・滬江大学(現・上海理工大)英文学科を卒業。46年京城大学(現・ソウル大)予科教授に就任、74年ソウル大学英文科教授として英文学を教えた。
30年代から文筆活動を始め、日本留学時代に出会った朝子との思い出をつづった「縁」(原題「因縁」)は韓国の代表的随筆とされる。

豪華客船タイタニック号を探査した深海潜水艇アルビンの設計者であるハロルド・フローリッチ(Harold Edward Froehlich)、心臓疾患のためミネソタ州メイプルウッドd19日死去、84歳。
1922年ミネソタ州ミネアポリス生まれ。第二次大戦中は米海軍の信号手。ワシントン大学卒、イリノイ大学大学院で航空技術を専攻し修士号取得。その後、無人気球や潜水艇の設計に従事する。とくに1964年就役に深海潜水艇アルビン号の設計者として知られる。
3人乗りのアルビン号(写真)は米海軍が保有し、ウッズホール海洋研究所が運用。85年海洋考古学者ロバート・バラードらがアルビン号などで沈船タイタニック号撮影に成功。深度約3750mだった。
翌年バラード博士のチームは再度アルビン号を使って、タイタニック号を探索する。
89年にはアルビン号でドイツ戦艦ビスマルク号撮影に成功。深度4700mだった。
総潜水回数は4000回を超えた。



