政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


言語学の第一人者で東京大学名誉教授のの柴田武、低酸素症のため神奈川県横須賀市の病院で12日死去、88歳。

1918年名古屋市生まれ。東京大学言語学科卒。国立国語研究所を経て、東京外大東京大、埼玉大の教授などを務めた。国語研時代の「日本言語地図」や、新潟県糸魚川地域の方言を調査分析した「糸魚川言語地図」などにより、方言学、言語地理学、社会言語学の発展に寄与。ユニークな説明文で注目された「新明解国語辞典」の編纂に参画、このほか著書にベストセラーになった「知ってるようで知らない日本語」「日本の方言」など。





音楽評論家の青木啓、結腸癌のため東京都杉並区の病院で23日死去、77歳。

1929年東京都生まれ。音楽雑誌の編集長を務めた後、62年フリーになる。主にジャズやポップスの評論を手がけた。著書に「アメリカン・ポピュラー」「ジャズ・スタンダード100」など。06年ポップスやジャズの「名唱」443曲を25枚にしたCD集「スタンダード音辞典」をまとめた。





アフガニスタン元国王のザヒル・シャー(Muhammad Zāhir Shāh)、23日死去、92歳。

1914年カブール生まれ。パリの高等中学校、パステルとモンペリエの大学で学んだ。即位の3年前に帰国し、歩兵士官学校に入校した。

33年バーラクザイ朝を中興した父ムハンマド・ナーディル・シャー国王の暗殺を受け、19歳で即位。60年代に立憲君主制を導入、出版や政党の設立の自由を認めた。外交は中立政策を採用。69年日本訪問。
73年目の治療でイタリア滞在の間に、元首相ムハンマド・ダーウードによる共和制クーデターで追放された。

タリバン政権崩壊を受け、02年にイタリアから帰国。「国父」(ババ=エ=ミラート)の称号を送られ、アフガン復興と統一の象徴となった。





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ハーレム生まれの詩人でパフォーマンス・アーティストのシーコウ・サンディアータ(Sekou Sundiata)、心臓疾患のためニューヨーク市で18日死去、58歳。

1948年米ニューヨーク市ハーレム生まれのアフロ・アメリカン。ニューヨーク市立大学で文芸創作の修士号取得。同市のニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで教鞭をとる。クレイグ・ハリス(Craig Harris )が率いるバンドとともに国内やヨーロッパ各地で、奴隷制などをテーマにポエトリー・リーディング(詩の朗読)を展開した。

ディジェリドゥー(詩作品)





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箏曲家で三弦奏者の高田和子(本名:野津和子)、悪性脊髄腫瘍のため東京都文京区の病院で18日死去、56歳。

東京都生まれ。箏を中能島欣一と谷珠美に、三絃を杵屋正邦に師事。NHK邦楽技能者育成会18期首席修了。東京芸術大学大学院修了。
83年より三絃リサイタルを開始。一柳慧、石井眞木、細川俊夫、北爪道夫など、多くの作曲家の作品を委嘱初演。海外でも高い評価を得る。96年米川裕枝とコンサート・シリーズ「闌声」をスタート。99年和楽器プロジェクト「糸」を結成し、代表となる。ミュージック・フロム・ジャパン中央アジア公演に参加。2000年東京芸術大学非常勤講師。





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元文化庁長官で臨床心理学者の河合隼雄、脳梗塞のため19日死去、79歳。

1928年兵庫県多紀郡篠山町(現:篠山市)生まれ。52年京都大理学部数学科卒業後、天理高校の数学教諭となる。その後、京都大学大学院で心理学を学び、59年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学。さらに62-65年スイスのユング研究所に留学し、日本人で初めてユング派分析家の資格を取得。帰国後、ユング心理学を基礎に「箱庭療法」(Sandplay Therapy)を完成させた。

天理大学教授を経て、75年京都大教授に就任、92年退官。95-01年国際日本文化研究センター所長。95年紫綬褒章受章、96年日本放送協会放送文化賞、98年朝日賞を受賞、00年文化功労者顕彰。
故小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会の座長、教育改革国民会議委員、文部科学省顧問も務めた。
02年文化庁長官に就任。06年奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画の損傷を未公表のまま修復していた問題などで責任をとり、給与の一部を自主返納。

82年「昔話と日本人の心」で大佛次郎賞、88年「明恵夢を生きる」で新潮学芸賞。98年心理学での画期的研究と臨床実践、日本文化論での独創的実績が評価され、朝日賞を受賞。

兄雅雄は元日本モンキーセンター所長の動物生態学者。一度やめていたフルートを58歳から始める。ほかに「日本ウソツキクラブ会長」を名乗るなど多彩な人として知られた。





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米国の著名テノール歌手ジェリー・ハドリー(Jerry Hadley)、ニューヨーク州ポキプシーの病院で18日死去、55歳。10日空気銃で自殺を図り、脳損傷で生命維持装置を装着していた。

1952年イリノイ州プリンストン生まれ。指揮者志望だったが歌手に転向。イリノイ大学で声楽の修士号取得。2年間コネチカット大学で教える。76年レイク・ジョージ・オペラでプロのオペラ歌手としてデビュー。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場などで活躍し、グラミー賞を3度受賞。





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共産党元議長の宮本顕治、老衰のため東京都内の病院で18日死去、98歳。

1908年山口県光市上島田生まれ。旧制松山高等学校時代に社会科学研究会を創立、同時に文芸誌「白亜紀」を発行。東京大学経済学部に進み、29年芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で雑誌「改造」の懸賞論文に当選、文壇にデビュー。

31年東大を卒業し、日本共産党に入党。日本プロレタリア作家同盟に加盟。32年作家の中條(宮本)百合子と結婚。33年街頭連絡中に逮捕、警察・予審の取調べに黙秘を貫く。その間に共産党アジトで小畑達夫の死体が発見され、殺人容疑で34年市ヶ谷刑務所未決監に移監。45年5月無期懲役が確定し、6月網走刑務所に収監されたが、終戦となる。

45年10月政治犯の釈放により出獄。51年百合子が死去。50年代前半は主に文芸評論家として活躍。58年党書記長、70年党委員長に就任。77年参院選の全国区で初当選し、89年まで務める。その間82年党中央委員会議長に就任。

97年党大会で欠席のまま引退し、名誉議長に退く。晩年は東京都多摩市の私邸で隠遁生活を送った。  ※写真は産経新聞より





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ロシア系フランス人で20世紀を代表するバレリーナのニナ・ヴィルボワ(Nina Vyroubova)、パリで6月25日死去、86歳。

1921年クリミア半島のグルゾフ生まれ。母にバレエを習ったのち、パリでヴェラ・トレフィロワらに師事。37年フランス北部のカーンでビュー。バレエ・リュスなどを経て、ローラン・プティ(Roland Petit)と出会い、バレエ・デ・シャンゼリゼの結成に参加する。

その後49年パリ・オペラ・バレエにエトワール(プリマ)として参加。国際的評価を得る。
57から62年までマルキ・ド・クエヴァ・大バレエ団に所属。その間61年にルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)が亡命した際、西側で最初のパートナーとなる。





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ドイツの小説家で詩人のヴォルフガング・ヒルビッヒ(Wolfgang Hilbig)、癌のため6月2日日死去、65歳

1941年独ライプツィッヒ南部の小都市モイセルヴィッツ生まれ。炭鉱町で祖父母に育てられる。旋盤工の技術を身につけ、東ドイツ軍の兵役後は火夫や金属細工師、レストラン給仕として郷里や東ベルリンで働く。

詩を書き始めたのは60年代。その後社会主義リアリズムを拒絶したため、その著作物は70年代終わりまで出版を禁止された。78年西ドイツで詩が公表される。
85年西ドイツへ旅行。同地に転居する。
89年東西ドイツ統一に際しては融合の困難さと不安感を表現。ドイツの重要な作家とされながら、超現実的な作風から一般に広く知られることはなかった。著作に「ゆるぎない土地」「私」など。





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ロシアの前衛的詩人ドミトリー・プリゴフ(Dmitri Prigov)、心臓疾患のためモスクワの病院で16日死去、66歳。

1940年モスクワ生まれ。モスクワ高等芸術工学院彫刻科を卒業。56年詩作を始める。67-72年モスクワ市建築局所属の建築家として活動。72年モスクワ若手芸術家展覧会でデビュー。70年代以降は旧ソ連のアンダーグラウンドで非公認芸術家・文学者として活動し続け、80年代後半まで出版を禁じられた。
この間71-80年にかけて詩集45冊、長編詩12編、戯曲4編、連作テクスト5編を書いた。ロシアで最初の出版は87年、以降著作は15点以上にのぼる。

エッセイスト、劇作家としても活躍、美術作品も制作した。01年本の印象を基にした著作も出版した。
モスクワ・コンセプチュアリズムを代表する表現者で、その理論家でもある。90年ドイツ芸術アカデミー(DAAD)のヴィジュアル・アート部門賞、96年プーシキン文学賞を受賞。





書家の(本名:栄三)、肺炎のため東京都世田谷区の病院で16日死去、87歳。

1920年東京生まれ。青山杉雨に師事。64年日展特選、87年「杜甫詩」で日展内閣総理大臣賞。2年日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。01年文化功労者。中国の行草書を研究し、運筆による独自の書風を確立。現代書壇を代表する一人だった。

日展参事、読売書法会顧問、謙慎書道会最高顧問などを歴任した。





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エベレストをはじめ世界各地の最高峰を踏破した米女性登山家クリスティン・ボスコフ(Christine Feld-Boskoff)、中国南西部の山岳地帯で3日遺体発見、39歳。

1967年ウィスコンシン州アプレントン生まれ。91年ウィスコンシン大学電気工学科を卒業。パイロット免許を取得し、ロッキード航空システム社に入社する。95年28歳で同社を退社し、登山に専念するとともに、登山家のボスコフと結婚。その後登山ガイドの会社「マウンテン・マッドネス」を買い取るが、2年後に夫が自殺。スポンサードを拒否し、一人で会社を運営し、登山を続ける。

登山家で写真家のチャーリー・ファウラーと知り合い、2人で各地の山を踏破。エベレスト2回を含む8000m級の6山を征服した。
06年11月中国南西部の標高約6000mの山岳地帯でファウラーとともに消息を絶ち、12月捜索願が出された。




元琉球大学学長で戦後沖縄における刑事法、公法の第一人者として活躍した金城秀三、肺炎のために浦添市前田の自宅で14日死去、82歳。

1926年那覇市生まれ。53東京大法学部卒業。67年琉球大学刑法学教授に就任。73年46歳で同大学長に就任し、78年まで2期務めた。

米国統治下の60年と62年の論文「琉球における裁判所の法令審査権」で、琉球政府裁判所に米国の布告・布令を審査する権能があると論じ、米民政府の権力行使に対する歯止めを明示した。

ほかに沖縄人権協会副理事長など歴任。02年勲二等瑞宝章を受章。





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劇作家で演出家の太田省吾、肺癌のため東京都港区の病院で13日死去、67歳。

1939年中国済南市生まれ。62年学習院大学政経学部を中退。68年程島武夫の主宰する劇団転形劇場の旗揚げに参加。70年から同劇団を主宰し、赤坂の工房を拠点に活動開始する。

78年「小町風伝」で第22回岸田國士戯曲賞受賞。81年「水の駅」初演し、ドラマツルギーを否定した無言劇と呼ばれる独特のジャンルを生みだす。「地の駅」「風の駅」とあわせて沈黙劇3部作と称された。

88年劇団を解散。その後、神奈川県の藤沢市湘南台文化センター市民シアター芸術監督や近畿大教授、京都造形芸術大教授などを務めた。
93年タシュケント国際演劇祭グランプリ受賞。
主な著書に「裸形の劇場」「動詞の陰翳」「劇の希望」など。