政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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ものつくり大学長で元横浜国立大学長の野村東太、胆管癌のため東京都中央区の病院で21日死去、77歳。

1930年東京生まれ。幼少期を九州で過ごす。旧制福岡高校を経て、東京大学建築学科卒業。同大学院修了。横浜国立大学で教授・学生部長・工学部長を経て、94年学長に就任。

01年ものづくり大学長就任。専門は建築計画・建築設計、特に医療福祉施設・博物館・給食施設など。日本建築学会論文賞、横浜文化賞などを受賞。





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ジャズドラム奏者・パーカッショニストの富樫雅彦、心不全のため神奈川県松田町の自宅で22日死去、67歳。

1940年東京都生まれ。14歳でプロデビューし、渡辺貞夫カルテットで活動。60年代後半から佐藤允彦らとフリージャズに傾倒。山下洋輔らと事実上日本初のフリージャズグループとなるカルテットを結成。日本のジャズ界をリードする。

69年事故で下半身不随となるが、1年半後独自のドラムセットで復帰。75年「スピリチュアル・ネイチャー」でスウィングジャーナル誌「ジャズディスク大賞」「日本ジャズ賞」をダブル受賞。91年「JJスピリッツ」を佐藤允彦らと結成。





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1980年代米スムース・ジャズ界で活躍した歌手のジョン・ルシアン(Jon Lucien)、米フロリダ州オーランドで18日死去、64歳。

1942年カリブ海に浮かぶ米領ヴァージン諸島トートラ島生まれ。同セント・トーマス島で育つ。父のラテンバンドに入り、19歳でベーシストとして米ニューヨークへ。70年デビューアルバム「I Am Now」を発表。70年代にアルバム「Rashida」「Song for My Lady」などをだした。
80年代一時音楽を離れるが91年カムバック。「Listen Love」を発表し、ビルボード誌ジャズ部門でトップを獲得した。ブラジル風のグルーヴ感が特徴。





被爆画家で元二科会評議員の増田勉、急性骨髄性白血病のため広島市中区の病院で21日死去、91歳。

広島市生まれ。広島の第一国民学校(現:市立段原中)教師として建物疎開作業中、爆心から約1.5キロで生徒約150人と被爆。生徒約50人が死亡。その後、原爆への怒りと鎮魂の思いをこめを絵を描き続けた。





児童文学作家の北村けんじ(本名:憲司)、心不全のため三重県桑名市の病院で21日死去、77歳。

1929年三重県生まれ。三重大学学芸学部養成科卒。三重県内の小学校で教員や校長を務めるかたわら児童文学を創作。「まぼろしの巨鯨シマ」でサンケイ児童出版文化賞、「しいの木のひみつの話」でひろすけ童話賞、「ギンヤンマ飛ぶ空」で日本児童文学者協会賞を受賞。02年第1回三重県文化大賞を受賞。

07年児童文学書約4600冊や原稿を桑名市中央図書館に寄贈。





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英国の画家スティーブン・キャンベル(Steven Campbell)、虫垂破裂のため15日死去、54歳。

1953年グラスゴー生まれ。学校卒業後、製鉄業で働く。78年グラスゴー美術学校に入り82年卒業。同年フルブライト奨学金で米ニューヨークへ。同地で具象絵画の新しいスタイルとして国際的な評価を得る。

86年グラスゴーに戻り、比ゆ的で物語性豊かな絵画スタイルを考案。「ポスト・モダニズム」として高く評価された。






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米国の不動産投資家でホテル女王のレオナ・ヘルムズリー(Leona Helmsley)、心不全のため米東部コネティカット州の別荘で20日死去、87歳。

1920年ニューヨーク州マーブルタウン生まれ。2度の離婚の末、72年ハリー・ネルムズリー(Harry B. Helmsley)と3度目の結婚。夫とニューヨークのエンパイアステートビルやホテルなど資産価値50億ドル(約5700億円)の不動産帝国を築き、「ホテル女王」と呼ばれた。

92年脱税罪で実刑が確定し収監。





作家・銅版画家の服部まゆみ、肺癌のため東京都渋谷区の病院で16日死去、58歳。

1948年東京生まれ。現代思潮社美学校銅版画科を卒業。加納光於の版画工房で銅版画を学ぶ。84年第10回日仏現代美術展でビブリオティック・デ・ザール賞を受賞。
87年「時のアラベスク」で第7回横溝正史賞を受賞し、作家デビュー。「この闇と光」が直木賞候補になった。東




映画監督の坪島孝、肺腺癌のため東京都杉並区の病院で12日死去、79歳。

1928年広島市生まれ。52年早稲田大学第一商学部卒。東宝に入社。3年間の演技事務を経て、55年助監督。山本嘉次郎、千葉泰樹、福田純らに師事。63年、夏木陽介・星由里子主演「写真記者物語 瞬間に命を賭けろ」を初監督。監督2作目の「クレージー作戦 くたばれ!無責任」以降、クレージー・キャッツ主演の映画を古澤憲吾と監督する。
代表作に66年「クレージーだよ奇想天外」、69年「奇々怪々俺は誰だ?!」、69年松本清張原作「愛のきずな」など。

70年代に田波靖男、小川英、小谷承靖らと「ジャック・プロダクション」創立。テレビドラマやCMの監督を務めた。




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書家・篆刻家の小林斗盦(Kobayashi Toan,本名:庸浩)、心不全のため東京都千代田区永田町の自宅で13日死去、91歳。

1916年埼玉県生まれ。篆刻家の河井筌廬(せんろ)、書家の西川寧に師事。
84年に篆刻の「柔遠能邇」で恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。明朝から近代までの名印を集めた「中国篆刻叢刊」を編纂し、中国でも高く評価された。93年日本芸術院会員。同年全日本篆刻連盟を結成し会長就任。98年文化功労者。04年篆刻の分野で初の文化勲章受章。書家として独自の篆刻の世界を確立した。
著書に「篆書千字文」「篆刻全集」など。





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モデルの山口小夜子、急性肺炎のため14日死去、57歳。

1950年横浜市生まれ。杉野ドレスメーカー女学院卒。71年プロモデルとしてデビュー。パリ・コレクションなど世界のファッションショーに参加する。高田賢三や山本寛斎のショーに登場し、おかっぱ頭と切れ長の目、きめ細かな肌という東洋的容姿で注目され、世界で活躍する日本人モデルの先駆者となった。73年資生堂専属モデルとなり、その広告が注目を集める。
77年米ニューズウィーク誌の「世界の6人のトップモデル」に選出。84年第2回毎日ファッション大賞特別賞を受賞。

俳優としても寺山修司演出の演劇「中国の不思議な役人」などに出演。
このほかコンテンポラリーダンスでもヨーロッパ・アメリカの各都市約20カ所の公演に出演。勅使川原三郎、天児牛大らと共に活動する。衣装デザインを手掛けたオペラ「三人姉妹」で98年度フランス批評家協会最優秀作品賞を受賞。自らトータル・プロデュースする「SAYOKO YAMAGUCHI」ブランドも展開していた。





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劇団民芸の女優、南風洋子(本名:若杉洋子)、膵臓癌のため19日死去、77歳。

1930年神戸市生まれ。49年宝塚歌劇団に入団、同期の有馬稲子とのコンビで人気を博す。53年退団し、新東宝に入社。「鶏はふたたび鳴く」「のんき裁判」などの映画に出演する。59年宇野重吉のすすめで劇団民芸に入団、新劇女優としてスタートを切る。代表作に「泰山木の木の下で」「奇蹟の人」「にんじん」「炎の人」など。地人会や東宝などの舞台でも活躍。

85年有馬稲子と共演「噂の二人」で紀伊国屋演劇賞、96年「新版香華」で菊田一夫演劇賞を受賞。99年映画界への貢献を評価されゴールデングローリー賞を受賞。






元雑誌「新潮」編集長で文芸評論家の谷田昌平、老衰のため19日死去、84歳。

1922年徳島県生まれ。幼少年時代を同地で過ごす。小学校卒業後、大阪、東京に転居。
京都大卒業後、新潮社入社。雑誌「新潮」編集長を務める。堀辰雄研究で知られ、主な著書に「回想 戦後の文学」「堀辰雄 その生涯と文学」(共著)など。妻は詩人の牟礼慶子(本名:谷田慶子)。




国内最高齢者の中野シツ、老衰のため福岡県小郡市の特別養護老人ホーム「青寿苑」で19日死去、113歳7カ月。

1894年1月1日福岡県柳川市生まれ。今月13日世界最高齢だった同県福智町の皆川ヨ子死去に伴い国内最高齢になったばかりだった。世界では4番目の長寿者だった。





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米数学者のアトル・セルバーグ(Atle Selberg)、心不全のためニュージャージー州プリンストンの自宅で6日死去、90歳。

1917年ノルウェー生まれ。ギムナジウム終了年次にモックテータ函数の位数の決定の論文を発表。49年ポール・エルデシュとともに素数定理に初等的な証明を与えた。解析数論、とくにセルバーグ・ゼータ函数を構成しリーマン予想の類似物の証明をするなどで研究成果を挙げる。50年賞フィールズ賞を受賞。その後も不連続群を研究して跡公式を発見、50年代に米国移住。プリンストンに住み米研究機関で研究を続けた。