Today's Obituary
随筆家の国分綾子(Kokubu Ayako)、老衰のため川崎市幸区の病院で17日死去、97歳。
1910年宮城県仙台市生まれ。主な著書に「京の女将たち」「洛北四季」「厳選 京都味しるべ」など。
1910年宮城県仙台市生まれ。主な著書に「京の女将たち」「洛北四季」「厳選 京都味しるべ」など。
日本画家の高山辰雄、肺炎のため東京都内の自宅で14日死去、95歳。
1912年大分市に生まれる。36年東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科を卒業。在学中に松岡映丘の画塾に入り、34年帝展に初入選。戦後の46年「浴室」で日展特選、49年「少女」で再び同特選。その後東山魁夷、杉山寧とともに「日展三山」の時代を築く。
65年「穹」で芸術選奨文部大臣賞。72年日本芸術院会員。75年から2年間日展理事長。82年文化勲章を受章。
99年高野山金剛峯寺奥殿の全長100m超のる大障壁画の第1期作品「投華-密教に入る」を奉納。
1912年大分市に生まれる。36年東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科を卒業。在学中に松岡映丘の画塾に入り、34年帝展に初入選。戦後の46年「浴室」で日展特選、49年「少女」で再び同特選。その後東山魁夷、杉山寧とともに「日展三山」の時代を築く。
65年「穹」で芸術選奨文部大臣賞。72年日本芸術院会員。75年から2年間日展理事長。82年文化勲章を受章。
99年高野山金剛峯寺奥殿の全長100m超のる大障壁画の第1期作品「投華-密教に入る」を奉納。
振付師の土居甫(Doi Hajime)、悪性リンパ腫などのため東京都三鷹市の病院で14日死去、70歳。
1936年愛媛県津島町(現:宇和島市)生まれ。55年獅子文六を頼り上京。書生をしたのち、東京芸能学校(1期)入学。57年東宝演劇部に所属。
61-69年まで「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振り付けを担当。
71年から「スター誕生!」で山口百恵、桜田淳子、森昌子の「花の中3トリオ」の振り付けを手掛け、ピンクレディーでは動きの激しいダイナミックなダンスを考案した。
82年「笑っていいとも!」番組開始時から、いいとも青年隊の振り付けを担当する。
1936年愛媛県津島町(現:宇和島市)生まれ。55年獅子文六を頼り上京。書生をしたのち、東京芸能学校(1期)入学。57年東宝演劇部に所属。
61-69年まで「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振り付けを担当。
71年から「スター誕生!」で山口百恵、桜田淳子、森昌子の「花の中3トリオ」の振り付けを手掛け、ピンクレディーでは動きの激しいダイナミックなダンスを考案した。
82年「笑っていいとも!」番組開始時から、いいとも青年隊の振り付けを担当する。

全日本アマチュア野球連盟会長の長船騏郎、肺炎のため東京都港区の病院で10日死去、83歳。
1924岡山県生まれ。41年早稲田大学専門部法律学科入学、野球部捕手として活躍。43年戦時下のため繰上げ卒業、44年出征。
戦後の52年「学生野球指導委員会」(後:財団法人日本学生野球協会)に勤務。同年東京六大学野球連盟へも兼務し、その後も長く東京6大学リーグと日本学生野球協会の運営に携わった。
90年学生と社会人による全日本アマチュア野球連盟結成に貢献。同連盟会長、学生野球協会の理事を務めた。
00年シドニー五輪、04年アテネ五輪で史上初のプロ・アマ合同チームを編成。アテネでは編成委員会の委員長として、長嶋茂雄監督を中心とした代表チーム誕生に尽力し、団長として参加した。

米画家のバート・ハッセン(Burt Hasen)、ニューヨーク・マンハッタンで7日死去、85歳。
1921年ニューヨーク生まれ。アート・スチューデント・リーグに学ぶ。戦時中は空軍に所属。その際目にした航空地図などが後年の作品に大きく影響している。戦後48-50年までパリで学び、50年同地で初の個展。
90年ニューヨーク美術財団賞など受賞多数。

オーストリア出身の世界的ジャズ・キーボード奏者ジョー・ザビヌル(Joe Zawinul、Josef Erich Zawinul)、ウィーン市内の病院で11日死去、75歳。
1932年ウィーン生まれ。ウィーン音楽院でピアノを学んだのち、ジャズ・ミュージシャンを目指し、59年バークレー音楽大学への奨学金を得て渡米。
ボストン移住後、メイナード・ファーガソンのツアーに参加。その後2年間ダイナ・ワシントンと共演、61年キャノンボール・アダレイとのコラボレーション開始。その間マイルス・デイヴィスとも共演。
70年にサックス奏者のウェイン・ショーターらと「ウェザー・リポート」結成(85年解散)。その後加入したベース奏者ジャコ・パストリアスらと70、80年代に活躍した。

米女優でレーガン元米大統領の最初の妻ジェーン・ワイマン(Jane wyman)、カリフォルニア州パームスプリングズの自宅で10日死去、93歳。
1917年ミズーリ州セント・ジョゼフ生まれ。32年ミズーリ大学に入学、あわせてラジオ歌手となる。36年ワーナー・ブラザースと契約、映画女優としてスタート。同年大学卒業。
耳が不自由な暴行被害者役を演じた48年「ジョニー・ベリンダ」で、翌年アカデミー主演女優賞受賞(47年「子鹿物語」,52年「青いヴェール」,55年「心のともしび』」で同賞ノミネート)、ゴールデングローブ賞最優秀女優賞受賞。52年「ブルー・ヴェイル」で再びゴールデングローブ賞最優秀女優賞受賞
一度離婚した後、40年に当時俳優のドナルド・レーガン元大統領と再婚。48年離婚。04年レーガン死去の際「アメリカは偉大な大統領、偉大で優しく思いやりのある男性を失った」と述べた。

英化粧品専門店ザ・ボディショップ創業者アニータ・ロディック(Anita Roddick)、脳出血のため英南部サセックス州チチェスターの病院で10日死去、64歳。
1942年サセックス州リトルハンプトンでユダヤ系イタリア移民の家に生まれる。バースの高等教育大学の教職課程を経て各地を旅行。70年結婚
76年英南部ブライトンで自然素材を使用したボディショップ1号店を開店。自社製品で動物実験をしないという経営方針が支持され、日本を含む世界55カ国以上で2100以上の店舗を展開。
90年慈善団体チルドレン・オン・ザ・エッジ(Children On The Edge)を創設。東欧やアジアの恵まれない子供たちのための救済活動を展開した。










