政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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英国で「ニュージェネレーション」として注目を浴びた米国生まれの画家R.B.キタジ(R.B.Kitaj)、米ロサンゼルスの自宅で21日死去。74歳。

1932年米オハイオ州生まれ。父はハンガリー系移民。17歳で商業貨物船の船員となる。その後ニューヨークやウィーンで絵を学び、2年間の兵役後、英国の美術学校で学ぶ。英国に居を定め、60年代はアーリング美術大学などで教えながら、カラフルな色面と太い縁取りの作品を発表。デヴィッド・ホクニーらとともに「ニュージェネレーション」として注目を浴び、英国の具象的ポップアートに大きな影響を与えた。





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漫談家の晴乃ピーチク(本名:直井利博)、肺癌のため東京都足立区の病院で23日死去、82歳。

1925年栃木県生まれ。50年芸界入り。53年直井オサムと大沢ミツルで漫才コンビを組み、デビュー。61年「晴乃ピーチク・パーチク」と改名、同年NHK漫談コンクールで1位受賞。73年コンビ解消、似顔絵、芝居を学ぶ。78年似顔絵漫談として一人高座を始める。90年芸術祭賞を受賞。





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マレーシアのカジノ王のリム・ゴートン(Lim Goh Tong)、クアラルンプール郊外の病院で23日死去、89歳。

1918年中国・福建省生まれ。19歳でマレーシアへ移住。大工見習から転じ、建設機械販売で成功、大型開発プロジェクトに進出。初代首相アブドラ・ラーマン首相政権末期の70年頃、パハン州の高原リゾート(ゲンティン・ハイランド)開発を発案。膨大な開発資金調達のためカジノ事業をスタート。巨万の富を得た。04年引退し、子息を後継者とする。






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ギタリストのセーザル・ファリア(Cesar Faria)、心筋梗塞のためブラジル・リオデジャネイロの自宅で20日死去、88歳。

1919年生まれ。60年代にバンドリン奏者のジャコー・ド・バンドリンらと「エポカ・ヂ・オウロ」(Epoca De Ouro)を結成。19世紀末に生まれたブラジルの音楽「ショーロ」を復興させた。「サンバの貴公子」と呼ばれるパウリーニョ・ダ・ヴィオラは息子。

【関連サイト】
大ギタリスト、セーザル・ファリア死去





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俳優・歌手の山田真二(本名:常高)、間質性肺炎のため東京都文京区の病院で15日死去、70歳。

1937年東京生まれ。東洋音楽学校を中退。映画「夏目漱石の三四郎」に主演するなど二枚目俳優として活躍。56年歌手として「哀愁の街に霧が降る」がヒット、映画化もされた。「娘が口笛吹く時は」でNHK紅白歌合戦にも出場。ほかに主な出演映画として「嵐を呼ぶ男」(66年)、「東京の人さようなら」(56年)など。





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歌舞伎の地方・長唄三味線で人間国宝の松島寿三郎(本名:白石弘)、心不全のため東京都豊島区の病院で19日死去、86歳。

1920年東京都生まれ。27年稀音家政代志、38年4代目松島寿三郎に入門。40年松島寿太郎を名乗り、6代目尾上菊五郎一座で初舞台。
64年5代目松島寿三郎を襲名。歌舞伎長唄の三味線奏者の第一人者として活躍。多くの舞台で立三味線を務めたほか、舞台わきで演奏する黒御簾での演奏を指揮する舞台師や、選曲や演奏のきっかけを立案する附師の重責も担う。
98年「歌舞伎音楽長唄」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれた。





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南アフリカ出身のレゲエ・シンガー、ラッキー・デューベ(Lucky Philip Dube)、銃撃され18日死去、43歳。ヨハネスブルグで3人組の自動車強盗に襲われ、同乗の子供2人の前で射殺された。犯人は逃走中。
 
1964年ヨハネスブルク西方のエルメロ生まれ。両親はデューベ誕生前に離婚し、母親に育てられる。821年従兄弟のバンド「ラブ・ブラザーズ」に参加しデビュー。以来20枚以上のアルバムをリリース。アフリカのレゲエ・シーンを代表する歌手となった。95年米モータウンと契約、国際的な活動を展開。ジャマイカなど各地のレゲエ・フェスにも参加し、世界中で知られた。





モントリオール五輪走り幅跳び代表の湶純江(Awara Sumie)、病気のため長野県上田市の病院で17日死去、55歳。

長野県生まれ。1976年女子走り幅跳びで6m41の日本タイ記録をマークし、同年モントリオール五輪に出場(予選で6m04落選)。78年バンコク・アジア大会で銅メダル。




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米コメディアンのジョーイ・ビショップ(Joey Bishop)、米カリフォルニア州ニューポートビーチの自宅で17日死去、89歳。

1918年ニューヨーク・ブロンクス生まれ。フランク・シナトラにコメディアンとして認められ、「シナトラ一家」の一員として60年代に活躍。とぼけた芸風で人気を博し、67年―69年まで深夜テレビの90分番組「Joey Bishop Show」でトークショーなどを行ったた。映画「オーシャンと11人の仲間」に出演。





洋画家で元郡山女子大短期大学部教授の尾崎幸雄、肺癌のため東京都板橋区の病院で16日死去、83歳。

1924年東京都生まれ。東京美術学校卒業。新制作展やサロン・ドートンヌなどに出展。





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英国の女優デボラ・カー(Deborah Kerr、本名:Deborah Jane Kerr-Trimmer)、サフォーク州で16日死去、86歳。長年パーキンソン病を患っていた。

1921年英スコットランド生まれ。サドラーズ・ウェルズ・バレエ団のバレリーナから女優に転身し、40年に映画デビュー。47年マイケル・パウエル監督の「黒水仙」で注目され、ハリウッドに招かれる。アカデミー主演女優賞に計6度ノミネートされるが受賞できず、「オスカーの偉大な敗者」と呼ばれた。94年アカデミー名誉賞を受賞。
代表作に「地上より永遠に」「ジュリアス・シーザー」「情事の終り」「王様と私」など。





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東京五輪競泳代表でタレント、実業家の木原光知子(名:美知子)、蜘蛛膜下出血のため神奈川県平塚市の病院で18日死去、59歳。

1948年岡山市生まれ。岡山・山陽女子高在学中の64年東京五輪に出場し、女子400mメドレーリレーで4位入賞。「ミミ」の愛称で人気を呼んだ。日本大学文理学部在学中に競技引退。
芸能界に転身し、東レの水着モデルを務めたほかドラマやバラエティー番組などに出演。東レ関連会社の役員や自らの水着ブランドや水泳教室を運営するなどビジネス界に進出。40歳を超えてからマスターズ競技に復活し日本記録を樹立している。

05年日本水泳連盟理事に就任。「ミミスイミングクラブ」代表。





元オートレース選手の島田信広、食道癌のため千葉県成田市の病院で18日死去、57歳。

1950年長野県生まれ。73年船橋オート所属でデビューし、SG優勝回数14回は歴代第2位、最優秀選手賞6回、スーパースター王座決定戦5連覇など、一時代を築きあげた。02年現役引退。通算勝利1292。





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米写真家のアーネスト・ウィザーズ(Ernest C. Withers)、心臓病のためテキサス州メンフィスで8日死去、85歳。

1922年メンフィス生まれ。第2次大戦中にカメラマンとして従軍、帰還後スタジオを開いた。
50年代−60年代の市民権運動などをテーマにフリーランスで写真を撮り続けた。このほかジャッキー・ロビンソンらダイヤモンド・リーグの選手や故郷メンフィスのジャズ・プレイヤーも撮り続けた。
メンフィスの最初の黒人警察官9人の1人として約3年間働いた経験も持つ。




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現代的なマンダラ画で知られる画家で、武蔵野美術大学長などを務めた前田常作、心臓発作のため13日死去、81歳。

1926年富山県下新川郡椚山村(現:入善町)生まれ。富山師範学校入学後、戦争のため休学。戦後は武蔵野美術学校に入学し、53年卒業。

57年第1回国際青年美術家展で大賞受賞。前衛的画家として出発し、パリ留学で「曼荼羅的」との評を受け、これを追求し現代風曼荼羅の作風に転じた。79年京都市立芸術大学教授に就任、第11回日本芸術大賞を受賞。83年武蔵野美術大学教授、94年同学長、00年同理事長。

92年紫綬褒章を受章、00年勲三等瑞宝章受章。代表作に「西国巡礼」「坂東巡礼」など、主な著書に「曼陀羅への旅立ち」「前田常作のアクリル画」など。