Today's Obituary
彫刻家で東京造形大客員教授の伊藤礼太郎、脳腫瘍のため千葉県八千代市の病院で20日死去、82歳。
1925年茨城県生まれ。新制作委員会、千葉県美術会所属。
サロン・ド・プランタン、新制作展、歩会彫刻展、丸亀猪熊美術館特別展、他多数出品。00年千葉県文化功労者。
1925年茨城県生まれ。新制作委員会、千葉県美術会所属。
サロン・ド・プランタン、新制作展、歩会彫刻展、丸亀猪熊美術館特別展、他多数出品。00年千葉県文化功労者。

フランス出身の振付家モーリス・ベジャール(Maurice Béjart)、スイスのローザンヌで22日死去、80歳。
1927年マルセイユ生まれ。14歳でバレエを始め、大学進学後ダンサーに。ローラン・プティのバレエ団などで踊った。
振付家としての処女作は50年スウェーデン映画「火の鳥」。51年クルベリバレエ団に入団するが、52年兵役のため帰国。54年ジャン・ローランとともにエトワール・バレエ団(57年バレエ・テアトル・ド・パリに改称)を結成。55年「孤独な男のためのシンフォニー」を発表。59年ブリュッセルで「春の祭典」を成功させ、60年ベルギーの支援を得て「20世紀バレエ団」結成。
87年本拠地をスイスに移し、バレエ団を「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」と改称。97年ロックバンドのクイーンの曲を使った「バレエ・フォー・ライフ」発表、02年若手だけのカンパニーを結成。
日本には67年の初来日以来、12回公演。86年「ザ・カブキ」、93年三島由紀夫をモデルにした「M」などを手掛ける。99年京都賞を受賞。
米国現代文学の研究者で東京工業大名誉教授の沼澤洽治、前立腺癌で16日死去、74歳。
1932年東京生まれ。東京大学英文科卒業、専攻はアメリカ文学ヘミングウェイ、サリンジャー、フィッツジェラルド、ジョン・アップダイクなど近・現代アメリカ文学の翻訳で知られる。SFファンでもあり60年代から70年代初めにかけヴァン・ヴォークトやアイザック・アジモフのSF作品の翻訳も手がけた。
1932年東京生まれ。東京大学英文科卒業、専攻はアメリカ文学ヘミングウェイ、サリンジャー、フィッツジェラルド、ジョン・アップダイクなど近・現代アメリカ文学の翻訳で知られる。SFファンでもあり60年代から70年代初めにかけヴァン・ヴォークトやアイザック・アジモフのSF作品の翻訳も手がけた。

米在住の音楽家で雅楽器演奏者の吉沢政和、胃癌のためロサンゼルス郊外の自宅で10月24日死去、57歳。
1950年岐阜県河合村(現:飛騨市)生まれ。東京芸術大で西洋音楽を学ぶ。70年代に渡米し、クラリネットやサックス、尺八の奏者として演奏活動を続ける。作曲家ジョン・ウィリアムズ(ohn Williams)と親交を持ち、「SAYURI」「ジュラシック・パーク」などの映画音楽の演奏に参加。琴演奏家や津軽三味線奏者と結成したグループ「古今組」(Kokin-Gumi)で活動。
米映画編集者のピーター・ジナー(Peter Zinner)、ロサンゼルス郊外の医療施設で13日死去、88歳。
1919年オーストリアのウィーン生まれ。ナチスのユダヤ人迫害を避け、38年フィリピンに脱出、40年米国へ。
タクシードライバーや無声映画のピアノ演奏者を経て、60年代から映画編集者。78年ベトナム戦争の狂気を扱ったマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」でアカデミー編集賞を受賞。その他エミー賞を2度受賞。
編集を手がけた主な作品に92年「グラディエーター」、70年「ゴッド・ファーザー」、72年「ゴッドファーザー PART2」、67年「冷血」など。
1919年オーストリアのウィーン生まれ。ナチスのユダヤ人迫害を避け、38年フィリピンに脱出、40年米国へ。
タクシードライバーや無声映画のピアノ演奏者を経て、60年代から映画編集者。78年ベトナム戦争の狂気を扱ったマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」でアカデミー編集賞を受賞。その他エミー賞を2度受賞。
編集を手がけた主な作品に92年「グラディエーター」、70年「ゴッド・ファーザー」、72年「ゴッドファーザー PART2」、67年「冷血」など。

タミル人反政府組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)の政治局長で組織ナンバー2の地位にあるS.P.タミルセルバン(S.P.Thamilchelvan)、スリランカ政府軍によるLTTE支配地域の空爆により2日死亡、40歳。
1967年スリランカのチャヴァカチェリ生まれ。83年タミル人への暴動を機に、84年LTTEに参加。インドで訓練を受ける。80年代後半はLTTE体代表プラバカランのボディガードを務める。
06年スイスの和平交渉再開に向けた会議で政府側との交渉にあたり、その実力を印象づけた。
プラバカランはタミルチェルバンを殉職として最高位に昇格、3日間の忌服を指示。異例の「国葬」が5日キリノッチで行われた。















