政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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米ジャズ・トランペット奏者のピート・カンドリ(Pete Candoli、本名:Walter Joseph Candoli)、前立腺癌のためカリフォルニア州の自宅で11日死去、84歳。

1923年インディアナ州ミシャワカ生まれ。10代でプロに。44年ウッディ・ハーマンのバンドに参加。55年ロサンゼルスに移り、スタジオや映画のサウンドトラックなどで活躍。50年レン・ヒュームズ、53年エフィ・スミス、60年B.B.キングの録音などを伴奏した。

弟のコンテ・カンドリ(Conte Candoli,01年死去)とともに、50-60年代米西海岸のジャズ・シーン形成に重要な役割を果たした。





Heath Ledger


オーストラリア出身の俳優ヒース・レジャー(Heath Ledger、本名:Heath Andrew Ledger)、ニューヨーク・マンハッタンの自宅アパートで22日遺体で発見された。28歳。薬物中毒死とみられる。

1979年オーストラリア・パース生まれ。97年オーストラリア映画「ブラックロック」の端役でデビュー。99年「恋のからさわぎ」でハリウッド進出。05年ベネチア映画祭金獅子賞を受賞した「ブロークバック・マウンテン」でゲイのカウボーイ役を好演し、06年アカデミー賞主演男優賞の候補となる。

歌手ベン・ハーパー(Ben Harper)とレコード会社を設立、音楽ビデオなども手がけた。
06年女優ミシェル・ウィリアムズと結婚、07年破局。




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元NHKアナウンサーで放送評論家の藤倉修一、心不全のため11日死去、96歳。

1914年東京都大田区生まれ。法政大卒。40年NHK入局。終戦直後に始まったNHKラジオ「街頭録音」の専任インタビュアーを務めた。51年第1回紅白歌合戦のラジオ放送で白組司会、53年英国エリザベス女王の戴冠式の実況を担当。クイズ番組「二十の扉」などの司会で人気を集めた。「デンスケ」と呼ばれた携帯録音機を最初に活用したことでも知られる。

70年NHKを定年退職した後も民放に出演、アナウンス学園で後進を指導した。




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元テレビマンユニオン社長でメディアプロデューサーの村木良彦、肝不全のため東京都新宿区の病院で21日死去、72歳。

1935年仙台市生まれ。東京大学卒業後、59年ラジオ東京(現:TBS)入社。。ドキュメンタリー「ハノイ・田英夫の証言」やドラマ「陽のあたる坂道」など、歴史に残る番組を手掛けた。70年萩元晴彦や今野勉らと番組制作会社の草分けとなるテレビマンユニオンを設立。数多くのテレビドキュメンタリー制作を手がけ、放送界に新風を巻き起こした。76年から8年間社長。

95年東京メトロポリタンテレビジョン開局にともないゼネラルプロデューサーに就任。07年関西テレビの情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題で、放送倫理検証委員会の委員を務めた。東京メトロポリタンテレビジョンの総合プロデューサーなども歴任。著書に「創造は組織する」「ぼくのテレビジョン」。




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元桐朋学園大学長でバイオリニストの江藤俊哉、22日死去、80歳。

1927年東京都豊島区生まれ。4歳で鈴木鎮一に師事。12歳で音楽コンクール(現:日本音楽コンクール)第1位。43年アレクサンドル・モギレフスキーに師事。東京音楽学校(現:東京芸大)で井上武雄に師事。在学中、渡邉暁雄(ヴァイオリン)、松浦君代(ヴィオラ)、斎藤秀雄(チェロ)と弦楽四重奏団を結成。

48年卒業後、渡米。カーティス音楽院でエフレム・ジンバリストに師事。在学中の51年カーネギーホールでリサイタル開催。61年帰国。63年上野学園客員教授、桐朋学園大学非常勤講師に就任。千住真理子や諏訪内晶子らを育てた。79年日本芸術院賞を受賞。97年桐朋学園大学学長に就任。著書に「ヴァイオリンと共に」。





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プロ野球阪神や大洋(現:横浜)などで俊足巧打の外野手として活躍した野球解説者の加藤博一、肺癌のため神奈川県逗子市内の病院で21日死去、56歳。

1951年佐賀県多久市生まれ。多久工業高校(現:佐賀県立多久高校)卒。70年テスト生で西鉄に入団。76年阪神に移籍、レギュラーに定着。80年112試合に出場、打率.314でリーグ5位。83年大洋に移籍、2番打者として85年高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成。86年17年目で初のオールスター出場。90年現役引退。

2年前肺癌と診断され、昨年左肺を摘出。





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日本画家の片岡球子、急性心不全のため神奈川県内の病院で16日死去、103歳。

1905年札幌市生まれ。26年女子美術専門学校(現:女子美大)日本画科高等科卒。神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校に勤めながら創作を続ける。30年「枇杷」で院展に初入選。戦後は安田靫彦に師事し、52年「美術部にて」で日本美術院賞・大観賞を受賞。55年横浜市立大岡小学校を依願退職、女子美術大学日本画科専任講師となる。65年同大教授に就任。66年愛知県立芸術大学の開校にともない日本画科主任教授に。

戦国武将や浮世絵師など歴史上の人物を、大胆で華麗な色彩と筆遣いで描いたライフワーク「面構」シリーズで画壇に独自の地位を築く。82年日本芸術院会員。89年文化勲章を受章。

他の代表作に富士山や裸婦像の連作がある。100歳を過ぎてなお現役だった。




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元AP通信ホワイトハウス担当記者のフランセス・ルイン(Frances Lewine)、脳卒中のため19日死去、86歳。

1921年米ニューヨーク市生まれ。ロングアイランドのファー・ロッカウェイ育ち。ハンター・カレッジ卒。AP通信入社後、56年からワシントン支局勤務。アイゼンハワー大統領からカーター大統領まで6人の大統領を取材。女性記者の地位向上運動のパイオニア的存在で、ナショナルプレスクラブの女人禁制をやめさせるなどした。77年AP退職。その後、米運輸省報道副部長やCNNテレビのプロデューサーなどを務めた。





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米音楽家のジョン・スチュワート(John Stewart)、脳内疾患のためカリフォルニア州サンディエゴの病院で19日死去、68歳。

61年米フォークグループ「キングストン・トリオ」に参加。60年代に活躍した米グループ「モンキーズ」のヒット曲「デイドリーム・ビリーバー」を作曲したことで知られる。同曲は忌野清志郎のバンド「ザ・タイマーズ」がカバーした。このほかジョーン・バエズの曲などを作曲。





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元日本社会党参院議員で労相を務めた浜本万三、多臓器不全のため広島市中区の病院で21日死去、87歳。

広島県生まれ。74年旧社会党から参院議員に初当選。通算3期18年務める。94年3党連立による村山富市内閣発足で労相に就任。被爆者援護法の制定に力を注いだ。95年政界引退。




河林 満
作家の河林満、脳出血のため東京都文京区の病院で死去、57歳。

1950年福島県生まれ。東京都立川市・昭島市に育つ。都立立川高校定時制卒。郵便局集配課勤務を経て、73年から25年間立川市役所に勤務。
86年「海からの光」で第9回吉野せい賞奨励賞。90年「渇水」で文学界新人賞受賞。同作及び93年「穀雨」で芥川賞候補になった。





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米女優スザンヌ・プレシェット(Suzanne Pleshette)、呼吸器不全のためロサンゼルスの自宅で19日死去、70歳。06年肺癌で化学療法を受けていた。

1937年米ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。女優を志し、ネイバーフッド・カレッジで演技を専攻。ブロードウェイの「奇跡の人」の演技で注目される。58年「底抜け慰問屋行ったり来たり」で映画デビュー。その後62年「恋愛専科」、63年ヒチコック監督「鳥」などに出演。





作家の南里征典(本名:勝典)、膵臓癌のため静岡県伊東市の別荘で18日死去、68歳。

1939年福岡県生まれ。福岡県立香椎高等学校を中退後、上京。探偵小説作家の大下宇陀児に師事。60年日本農業新聞の記者となり、20年間勤務。

78年立原夏彦名義で「危険な童話」を第4回問題小説新人賞に応募。受賞を逃すが、79年同作を「鳩よ、ゆるやかに翔べ」と改題し南里征典名義で「問題小説」9月号に発表。92年「紅の翼」で第1回日本文芸家クラブ大賞特別賞を受賞。他の作品に「怒涛がゆく」「未完の対局」など。「未完の対局」は映画化され、モントリオール映画祭でグランプリを受賞。官能タッチのサスペンス小説や冒険小説で活躍した。




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写真家の中山万里、転移性乳癌のため兵庫県尼崎市の自宅で17日死去、37歳。

1970年兵庫県尼崎市生まれ。大学卒業後、広告代理店や写真スタジオを経て、98年独立。森高千里や福山雅治ら人気ミュージシャンのCDジャケット写真や音楽雑誌などの撮影を中心に活動。
01年風景を撮り始める。04年乳癌の手術。06年肺へ転移、余命1年の宣告を受ける。その後、東京や関西で個展を開き、07年初の写真集「空地への感謝」を出版。





プロ野球オリックス球団社長の雑賀忠夫、内臓疾患のため東京都港区の病院で19日死去、62歳。

1946年神戸市生まれ。69年関西学院大学卒、オリエント・リース(現:オリックス)入社。グループ内企業で取締役などを歴任し、07年日鉄リース社長からオリックス球団社長に就任。低迷にあえぐチームの再建に尽力した。