Today's Obituary
美術評論家で前群馬県立近代美術館長の中山公男、肺気腫のため21日死去、81歳。
1927年生まれ。50年東京大学文学部哲学科美学美術史学科卒業。53年同大学大学院特別研究生修了。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て、59年国立西洋美術館主任研究官。在館中の63年文部省在外研修員としてヨーロッパ遊学。71年退官、執筆に専念。
86年群馬県立近代美術館館長に就任。87-90年筑波大学教授、91-97年明治学院大学教授を歴任。その後、多摩美術大教授なども務めた。著書に「西洋の誘惑」など。
1927年生まれ。50年東京大学文学部哲学科美学美術史学科卒業。53年同大学大学院特別研究生修了。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て、59年国立西洋美術館主任研究官。在館中の63年文部省在外研修員としてヨーロッパ遊学。71年退官、執筆に専念。
86年群馬県立近代美術館館長に就任。87-90年筑波大学教授、91-97年明治学院大学教授を歴任。その後、多摩美術大教授なども務めた。著書に「西洋の誘惑」など。
元衆院議員の尾形智矩、肺炎のため北九州市の病院で20日死去、71歳。
1936年福岡県京都郡苅田町生まれ。中央大学法学部卒業。
72年と76年の衆院選で福岡4区から立候補し落選。77年苅田町長選挙に無所属で立候補し当選。その後3選をはたす。
86年の衆院選で初当選。町長時代に不正経理により住民税約8000万円が使途不明になっていた問題が87年発覚。90年衆院選で落選。業務上横領容疑で告発され、東京地検特捜部も捜査に乗りだし、その後福岡地検に移送され、最終的に不起訴。
92年苅田町議選に当選。国会議員を経験者が地方議員に転じた例は当時なく、話題となる。
94年・98年・02年・05年の苅田町長選挙に立候補し落選。
1936年福岡県京都郡苅田町生まれ。中央大学法学部卒業。
72年と76年の衆院選で福岡4区から立候補し落選。77年苅田町長選挙に無所属で立候補し当選。その後3選をはたす。
86年の衆院選で初当選。町長時代に不正経理により住民税約8000万円が使途不明になっていた問題が87年発覚。90年衆院選で落選。業務上横領容疑で告発され、東京地検特捜部も捜査に乗りだし、その後福岡地検に移送され、最終的に不起訴。
92年苅田町議選に当選。国会議員を経験者が地方議員に転じた例は当時なく、話題となる。
94年・98年・02年・05年の苅田町長選挙に立候補し落選。

フランスの作家アラン・ロブグリエ(Alain Robbe-Grillet)、西部カンの病院で18日死去、85歳。
1922年フランス西部ブレスト生まれ。国立農業技術専門学校卒業。バナナなどの熱帯果実の研究技師として仏領植民地だったモロッコやカリブ海のフランス海外県マルティニクをで勤務。
熱帯病ため帰国する船上で書いた「消しゴム」で49年作家デビュ−。50年代から本格的な著作活動に入り「覗くひと」「嫉妬」などの作品を発表。伝統的な小説形式を否定し、革新的表現を探求。登場人物の心理描写を排除、視覚描写を徹底したヌーボー・ロマンの旗手となる。
他の代表作に「迷路のなかで」「ニューヨーク革命計画」など。「新しい小説のために」などの評論や、アラン・レネ監督の映画「去年マリエンバートで」(61年ベネチア映画祭金獅子賞)の脚本も執筆。自ら映画監督も務め、「不滅の女」「囚われの美女」など8本を手がけてた。
演劇評論家の川本雄三、肺炎のため東京都板橋区の病院で17日死去、76歳。
1931年熊本県生まれ。日本経済新聞記者を経て、99年熊本県立劇場館長に就任。05年退任。著書に「芝居の恋人たち」など。
1931年熊本県生まれ。日本経済新聞記者を経て、99年熊本県立劇場館長に就任。05年退任。著書に「芝居の恋人たち」など。













