政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


国内最高齢者の豊永常代、老衰のため22日死去、113歳。

1994年5月21日高知県生まれ。96年から介護老人保健施設「夢の里」に入所していた。





岡恒雄

兵庫県高砂市長の岡恒雄、急性骨髄性白血病による脳出血のため兵庫県明石市の病院で22日死去、57歳。

1950年高砂市生まれ。同市生活環境部長や参事を経て、06年市長選で初当選。現在1期目だった。





山崎猛
俳優の山崎猛、呼吸不全のため東京都西東京市の病院で22日死去、63歳。

1944年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」「ありがとう」「徳川慶喜」などに出演。




美術評論家で前群馬県立近代美術館長の中山公男、肺気腫のため21日死去、81歳。

1927年生まれ。50年東京大学文学部哲学科美学美術史学科卒業。53年同大学大学院特別研究生修了。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て、59年国立西洋美術館主任研究官。在館中の63年文部省在外研修員としてヨーロッパ遊学。71年退官、執筆に専念。

86年群馬県立近代美術館館長に就任。87-90年筑波大学教授、91-97年明治学院大学教授を歴任。その後、多摩美術大教授なども務めた。著書に「西洋の誘惑」など。





00845784.jpg

バンド指揮者のダン池田(本名:池田啓助)、呼吸不全のため東京都品川区の病院で12月25日死去、72歳。

1935年旧朝鮮・京城府(現:ソウル)生まれ。留萌高等学校を経て長野県松代高等学校卒業、中央大学経済学部中退。69年音楽バンド「ダン池田とニューブリード」を結成。「夜のヒットスタジオ」のカラー放送開始と同時に専属のバンドに。72-84年までNHK紅白歌合戦で指揮者を務めた。85年「夜のヒットスタジオ」が最終回を迎えたのを機にバンドマスターを降板。同年「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を出版。タレント暴露本と騒がれ、芸能界を引退した。





中川華邨

手描き友禅作家で人間国宝の森口華弘(本名:平七郎)、老衰のため京都市左京区の病院2で20日死去、98歳。

1909年滋賀県生まれ。24年友禅師の中川華邨に弟子入りし、39年独立。日本画の手法を生かしつつ現代的なデザインを取り入れたほか、蒔絵のぼかし模様を着物に写し取る蒔糊技法を創始した。

日本伝統工芸展で最高の文化財保護委員長賞などを受賞。67年重要無形文化財保持者(人間国宝)。日本工芸会副理事長などを務めた。





元衆院議員の尾形智矩、肺炎のため北九州市の病院で20日死去、71歳。

1936年福岡県京都郡苅田町生まれ。中央大学法学部卒業。
72年と76年の衆院選で福岡4区から立候補し落選。77年苅田町長選挙に無所属で立候補し当選。その後3選をはたす。

86年の衆院選で初当選。町長時代に不正経理により住民税約8000万円が使途不明になっていた問題が87年発覚。90年衆院選で落選。業務上横領容疑で告発され、東京地検特捜部も捜査に乗りだし、その後福岡地検に移送され、最終的に不起訴。

92年苅田町議選に当選。国会議員を経験者が地方議員に転じた例は当時なく、話題となる。
94年・98年・02年・05年の苅田町長選挙に立候補し落選。





haoran1932年

中国・著名作家の浩然(本名:梁金広)、病気のため北京市内の病院で20日死去、75歳。

1932年河北省(現:天津市)生まれ。49年執筆活動を始める。54-64年「河北日報」「俄文友好報」記者および雑誌「紅旗」の編集を担当。66年文化大革命が始まった年に農村の階級闘争を描いた「艶陽天」(うららかなひ)を発表。農村を舞台にした数々の小説を執筆。代表作の1つ「金光大道」のスペイン語訳「センデロ・ルミノソ」(輝く道)はペルーの左翼ゲリラの名称として用いられた。

95年北京市作家協会主席、03年同名誉主席。84年には来日した。





小野満
ジャズ・ベース奏者の小野満、肺炎で1日2日死去、78歳。

1929年千葉県生まれ。ジョージ川口らと組んだ「ビッグ・フォー」でベーシストとして活躍し、「小野満とスイング・ビーバーズ」を結成。美空ひばりら数々の歌手の伴奏を務め、戦後のジャズ人気を支えた。





180px-NataliaBessmertnova.jpg

露バレエダンサーの(Natalia Bessmertnova)、モスクワの病院で19日死去、66歳。

1941年モスクワ生まれ。61年モスクワの舞踊学校卒業。63年ボリショイ劇場に入り、早くから頭角を現す。以来95年まで30年以上に渡って同劇場のトップ級ダンサーとして活躍した。

主な出演作品は「ロミオとジュリエット」など。夫は著名なバレエ監督のユーリー・グリゴロビッチ(Yuri Grigorovich)。後年は若手ダンサーの教育にも携わった。




沈殿霞

香港の喜劇女優の沈殿霞(Lydia Sum)、香港の病院で19日死去、60歳。肝臓癌を患っていた。

1947年中国・上海生まれ。60年香港で映画デビュー。70年代テレビのバラエティ番組で人気を得る。100本以上の映画に出演し、故レスリー・チャンとも共演した。

特徴のある笑い声と体格から「肥肥(Fei-fei:太っちょ)」の愛称で、香港市民の人気者だった。





松尾洋

東京オペラ・プロデュース代表の松尾洋、呼吸不全のため東京都板橋区の病院で18日死去、65歳。

東京都生まれ。武蔵野音楽大卒業、同専攻科修了。モーツァルト「フィガロの結婚」のフィガロ役でデビュー。69年国立ウィーン・アカデミー・オペラ科に留学。バス・バリトン歌手として活躍する傍ら、オペラ演出に携わる。

75年東京オペラ・プロデュース設立。「ハムレット」などシェイクスピア原作によるオペラの演出に積極的に取り組んだ。85年以降自ら演出を担当。





Alain Robbe-Grillet

フランスの作家アラン・ロブグリエ(Alain Robbe-Grillet)、西部カンの病院で18日死去、85歳。

1922年フランス西部ブレスト生まれ。国立農業技術専門学校卒業。バナナなどの熱帯果実の研究技師として仏領植民地だったモロッコやカリブ海のフランス海外県マルティニクをで勤務。

熱帯病ため帰国する船上で書いた「消しゴム」で49年作家デビュ−。50年代から本格的な著作活動に入り「覗くひと」「嫉妬」などの作品を発表。伝統的な小説形式を否定し、革新的表現を探求。登場人物の心理描写を排除、視覚描写を徹底したヌーボー・ロマンの旗手となる。

他の代表作に「迷路のなかで」「ニューヨーク革命計画」など。「新しい小説のために」などの評論や、アラン・レネ監督の映画「去年マリエンバートで」(61年ベネチア映画祭金獅子賞)の脚本も執筆。自ら映画監督も務め、「不滅の女」「囚われの美女」など8本を手がけてた。





羽田登喜男

友禅作家で人間国宝の羽田登喜男、肺炎のため京都市上京区の病院で10日死去、97歳。

1911年金沢市生まれ。25年金沢で友禅師南野耕月に入門、加賀友禅を学ぶ。31年京都に移り、曲子光峰に師事。37年京都で独立。繊細な加賀友禅とみやびやかな京友禅を融合させ、花鳥風月を中心とした独自の手描き友禅を創作。

86年来日の英国故ダイアナ妃に振り袖を贈呈、話題となった。88年人間国宝認定。日本工芸会理事も務めた。





演劇評論家の川本雄三、肺炎のため東京都板橋区の病院で17日死去、76歳。

1931年熊本県生まれ。日本経済新聞記者を経て、99年熊本県立劇場館長に就任。05年退任。著書に「芝居の恋人たち」など。