政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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ビートルズの側近でロードマネージャーを務めたニール・アスピナル(Neil Aspinall)、肺癌のため米ニューヨークで23日死去、66歳。

1942年英ノースウェールズのプレステイティン生まれ。ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンと少年時代に知り合う(リバプール・インスティチュートでポールと同級生)。
ピート・ベスト(リンゴ以前のドラマー)の親友としてビートルズの運転手兼ロードマネージャーとなる。その後マル・エバンスとともにビートルズ現役時代の側近として活動を補佐。ビートルズ解散後は権利訴訟問題を担当した。
68年にアップル(Apple corps)設立とともに専務取締役に就任、のちに代表となりビートルズの著作権管理を行う。





地唄舞閑崎流家元の閑崎ひで女(本名;河合澄子)、肺炎のため東京都渋谷区の病院で19日死去、79歳。

名古屋市生まれ。神崎ひでに師事して地唄舞を始める。神崎流を修めた後、源流をたどって山村たかに山村流を学ぶ。その後、閑崎流を起こす。
85年イタリア・ミラノのスカラ座で浅利慶太演出のオペラ「蝶々夫人」に出演。90年フランス政府から芸術文化勲章シュバリエが贈られた。





Israel Lopez

ベース奏者でダンス音楽「マンボ」の生みの親の一人イスラエル・ロペス(Israel Lopez)、米フロリダ州コーラルゲーブルズの病院で22日死去、89歳。

1918年キューバの首都ハバナ生まれ。ベース奏者として10代から地元の交響楽団で演奏。30年代後半兄オレステス・ロペスとともにダンス音楽「ダンソン」の即興演奏をする中から「マンボ」を生み出した。「カチャーオ」の愛称で知られる。

62年キューバを脱出し、スペインで短期間亡命生活を送った後、渡米。故ティト・プエンテら有名なラテン・ミュージシャンと共演。95年・05年にグラミー賞を受賞した。





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日本の民間ラジオ放送で第一声を発した中部日本放送(CBC)元アナウンサーの宇井昇、東京都江戸川区のアパートで起きた火災のため18日死去、84歳。

1923年東京都墨田区生まれ。東京工業大学卒業後、大蔵省を経て、51年CBC入社。同年9月1日午前6時半のラジオ放送担当アナウンサーとして第一声を発した。その語、プロ野球・中日ドラゴンズ戦や大相撲の実況中継、クイズ番組の司会を務める。

59年フリーとなり、81年からはリクルートで企業の社員研修を行うトレーナーを務めた。02年退社。





小沢重雄

俳優の小沢重雄、脳梗塞のためさいたま市桜区の病院で20日死去、81歳。

1926年東京都生まれ。小学校から敗戦まで満州で暮らす。日大芸術学部に進学。劇団「民衆舞台」創立者。「夕鶴」などの舞台やテレビドラマに出演。声優としてテレビ番組「サンダーバード」のジェフ役も演じた。53歳から民話の語り部としても活動。インディージャパンに所属。





考古学者で奈良女子大特任教授、元奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長の金子裕之、癌のため奈良市の病院で17日死去、63歳。

1945年富山県生まれ。国学院大学大学院修士課程修了。
高校教師などを経て、72年奈文研に入所。平城宮跡や藤原宮跡の調査を担当。高松塚、キトラ両古墳の壁画保存問題では、文化庁の検討会や委員会のメンバーを務めた。古代祭祀の研究者としても知られた。





元敦賀気比高校野球部監督の渡辺孝一、肺癌のため福井市の病院で21日死去、64歳。

福井県生まれ。
中学生の硬式野球で全国にも名の通るチーム「福井ボーイズ(現鯖江ボーイズ)」から、92年敦賀気比高校(福井県敦賀市)の監督に就任。94年夏に同校を初めて甲子園に導き、95年夏はベスト4進出。春1回、夏3回甲子園に出場。

98年体罰問題が発覚し、同高校野球部監督を辞めた。





ハンセン病元患者でハンセン病国家賠償訴訟全国原告団協議会事務局長の国本衛(本名:李衛)、解離性胸部大動脈瘤破裂のため21日死去、81歳。

1926年韓国・全羅南道生まれ。4歳で母に連れられ先に渡日していた父を頼って茨城県土浦に移住。41年14歳でハンセン病を発病、第一区府県立全生病院(現:国立ハンセン病療養所多磨全生園)に入所。

50年同人雑誌「灯泥」創刊、詩作活動を始める。53年全国療養所詩人連盟発行「石器」編集。74年から全生園入園患者自治会中央委員を10期10年務める。99年「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求」訴訟に第1次提訴原告の1人として参加するなど、中心的な役割を果たした。

著書に「生きて、ふたたび」「生きる日、燃ゆる日」など。






俳人の林徹(本名:哲夫)、大腸癌のため20日死去、82歳。

1926年生まれ。01年句集「飛花」で第40回俳人協会賞を受賞。俳誌「雉」主催。





Jacob Daniel DeShazer

牧師で日本初空襲のドーリトル隊(Doolittle Raid)搭乗員のジェーコブ・ダニエル・ディシェーザー(Jacob Daniel DeShazer)、老衰のため米オレゴン州セーレムの自宅で15日死去、95歳。

1912年セーレム生まれ。太平洋戦争開戦から約4カ月後の42年4月東京や名古屋など日本を初めて空襲した「ドーリトル隊」の一員。還途中、中国沖に墜落し日本軍の捕虜となり、40カ月間捕虜生活を送る。

終戦で解放され帰国した後、48年シアトル・パシフィック大学卒業。同年牧師として来日。77年まで約30年間、名古屋などで教会開設やキリスト教布教に尽力した。





料理研究家で社団法人栄養改善普及会前会長の近藤とし子、肺癌のため20日死去、95歳。。

1913年福井県生まれ。東京の栄養学校を卒業後、栄養士として工場給食の指導などに携わってきた。戦後GHQで主食配給の改善を訴えたという。

53年厚生省(現:厚生労働省)を退職し、栄養改善普及会を設立。「全国台所会議」「食べ方教室」などを全国各地で開催。「栄養三色運動」に取り組んだことでも知られる。





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英写真家のフィリップ・ジョーンズ・グリフィス(Philip Jones Griffiths)、72歳。

1936年ウェールズ生まれ。リバプール大学で薬学を学ぶ。61年フリーランスの写真家となり、英「オブザーヴァー」誌と契約。62年アルジェリア戦争を取材後、中央アフリカ、アジアへと活動を広げる。
66-70年の間3年以上に渡りベトナムを取材、当時世界最高の戦争写真家と評された。写真集「Vietnam, Inc.」を出版(01年ノーム・チョムスキーが序文を添えて再出版)。

67年にマグナム準会員、71年正会員。
70年代はアジアの紛争地を取材、80年ニューヨークに移住してマグナムの会長を5年間務めた。96年集大成の写真集「Dark Odyssey」を出版。





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ベルギーの詩人で作家のヒューホ・クラウス(Hugo Claus)、ベルギー北部アントワープの病院で19日死去、78歳。アルツハイマー病にかかり、本人が安楽死を希望した。

1929年ベルギー・オランダ語圏のブリュージュ生まれ。47年詩集を出版。以降、多数の小説・戯曲を著し「現代オランダ語文学の巨匠」として数回ノーベル文学賞候補に名が挙がった。48年芸術グループ「コブラ」に参加。83年第2次大戦前後の1家族長を描いた小説「ベルギーの悲しみ」が代表作。作品35作、翻訳31作を残した。

50年代前半フランスやイタリアで暮らす。70年代オランダ出身の女優シルビア・クリステル(Sylvia Kristel)と同居していたことでも知られ、息子1人をもうけた。






Ivan Dixon

米俳優のアイヴァン・ディクソン (Ivan Dixon)、出血多量のためノースカロライナのシャーロットで16日死去、76歳。

1931年ニューヨーク生まれ。54年ノース・カロライナ中央大学卒。67年テレビ番組「The Final War of Olly Winter」でエミー賞ノミネート。他の出演作品に「カー・ウォッシュ」「いつか見た青い空」「流血島の決戦」など。

72年「野獣戦争」で初監督。




児童文学者で元日本児童文学者協会会長の砂田弘、胃癌のため千葉市美浜区の病院で29日死去、74歳。

旧朝鮮生まれ。61年少年小説「東京のサンタクロース」で注目される。71年「さらばハイウェイ」で日本児童文学者協会賞を受賞。他の著作に「二死満塁」「少年探偵事件ノート」など。

02年から4年間同協会会長を務めた。元山口女子大教授。