政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった故佐々木禎子の友人だった大倉記代、癌のため東京都清瀬市の病院で23日死去、67歳。

広島市生まれ。4歳のとき爆心地から約3.3キロの南観音町(西区)にあった自宅で被爆。肺浸潤を患い、55年6月から3カ月間、佐々木禎子と同じ病室で過ごす。病気の回復を願ってともに千羽鶴を折った体験をもとに、05年絵本「想い出のサダコ〜思春期の入り口にいた三か月」を出版。





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セルビア(旧ユーゴスラビア)の歌手シャバン・バイラモヴィッチ(Saban Bajramovic
)、心臓疾患のためセルビア南部の町ニシュで8日死去、72歳。

1936年ニシェ生まれ。小学校4年で中退。路上音楽を始める。19歳で軍隊から逃亡、脱走兵として3年間投獄。軍事法廷で反抗的な態度を取ったため5年半の懲役。刑務所で音楽を始める。

服役後、64年最初のアルバムをリリース。以降650に及ぶ曲を作り、20枚以上のアルバム、50枚のシングルを発表した「。セルビアのジプシー・キング」「ロマ(ジプシー)音楽の帝王」と呼ばれた。

エミール・クストリッツァ監督の映画「アンダーグラウンド」の主題歌「Mesecina」の原曲の作者で、映画「黒猫・白猫」では主題歌「Bubamara」を歌うなど、バルカンの音楽や映画に大きな影響を与えた。

葬儀にはタディッチ大統領をはじめ、1万人以上がつめかけた。





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ホルン奏者で国立音楽大学名誉教授の千葉馨、遷延性無呼吸のため21日死去、80歳。

1928年大分生まれ。49年東京音楽大学(現:東京芸術大学)卒業。ホルンを上宮勝に師事。6−58年までドイツ、イギリスに留学し、デニス・プレイン、ダスタフ・ノイデッカー、M・シュトルプ伯に師事。

大学在学中より日本交響楽団(現:NHK交響楽団)に研究員として入団。49年正団員となり、83年退団まで首席奏者として活躍した。





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米コメディアン・俳優のジョージ・カーリン(George Carlin)、心臓疾患のためカリフォルニア州サンタモニカで21日死去。71歳。

1937年ニューヨーク生まれ。高校中退後、米空軍でレーダー技術を学ぶ。その後ラジオのDJを務める。50年代後半にスタンドアップ・コメディ(一人漫才)を始める。政治風刺やブラックユーモアなど、タブーに切り込んだ辛辣な話術で人気を得る。

「サタデー・ナイト・ライブ」のホストを務めたほか、映画「ドグマ」など俳優としても多くの作品に出演した。





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香港誌元社長でジャーナリストの陸鏗(Lu Keng)、米サンフランシスコの病院で呼吸困難のため21日死去、89歳。

1919年生まれ。原籍は中国雲南省。40年重慶の中央政治学校を卒業。中国初の放送記者となり、第2次大戦中に米国のアイゼンハワーやマッカーサーにインタビュー。南京の国民党「中央日報」で取材主任・副編集長を務めた。49年投獄され、文化大革命により計22年間監獄生活を送る。

78年香港に移住し、81年に政治問題雑誌「百姓」を創刊。香港、台湾、アメリカで活躍。85年胡耀邦総書記と会見した際に書いた記事が総書記失脚の理由の一つとされる。90年許家屯・新華社香港支社長の米国亡命を助けた。





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元プロレスラーで元ラグビー日本代表のグレート草津(本名:草津正武)、食道癌の肺への転移により静岡県長泉町の病院で21日死去、66歳。

1942年熊本市生まれ。熊本工業高校、八幡製鐵所でラグビー選手として活躍。八幡製鉄時代の63年俊足ロックとして日本代表で1試合出場。

65年日本プロレスに入団、ジャイアント馬場の付け人となる。66年本間和夫戦でデビューするが同年退団。吉原功とともに国際プロレスの旗揚げに参加。68年TBS定期放送初回でルー・テーズに挑戦したTWWA世界ヘビー級選手権でKO敗戦。その後IWA世界タッグ王座を計5人のパートナーと長く保持。英国西部ヘビー級および同南部ヘビー級王座、ヨーロッパタッグ王座などシングルタイトルも獲得。
80年6月、試合中にアキレス腱断裂の重傷を負い長期欠場。81年引退。全盛時の身長192cm、体重118kg。

「グレート草津」のリングネームは元K-1選手の次男・賢治が継承していた。





元参院議長で元文相の井上裕、肺線維症のため千葉県市川市の病院で22日死去、80歳。

1927年千葉県生まれ。旧制東京歯科医専(現:東京歯科大学)卒業。63年千葉県議会議員選挙に出馬し初当選(連続3回)。76年衆議院議員選挙に無所属で旧千葉2区から出馬し初当選。79年衆議院議員選挙で自民党公認で再選を目指すも落選。80年参院選に千葉県地方区から出馬し初当選(連続4回)。

90年第2次海部改造内閣で文相を務めた。00年10月ー02年4月まで参院議長。02年公共工事の口利きをめぐり秘書が逮捕された責任を取って議長を辞任、03年議員辞職した。





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俳優の汐見直行、硬膜下血腫のため大阪府の病院で21日死去、62歳。
知人で児童文学作家の吉田定一の自宅(大阪府高石市)で吉田容疑者に顔を殴られ、転倒して頭を強打。そのまま放置されたのち病院に搬送されたが、16時間後に死亡した。

1945年福井県生まれ。「劇団手織座」所属の舞台俳優として活躍。テレビ「徳川慶喜」「花神」、舞台「利休の妻」「季節のない街」などに出演した。

吉田容疑者は1941年大阪府生まれで、81年出版の詩集「海とオーボエ」で野間児童文芸推奨作品賞を受賞。




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タレント・女優の神戸みゆき(本名:神戸美有紀)、心不全のため川崎市の病院で18日死去、24歳。

1984年神奈川県生まれ。日出女子学園高校卒業。99年オーディション番組「夢☆おうえん隊」にて選抜、同番組のアイドルグループ「ゆめっこ☆娘」の一員として活動。00年約500人の中から選ばれ、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」の3代目セーラームーン(月野うさぎ)を演じる。バラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」をはじめ、CMや舞台などで活躍。このほか映画「バトル・ロワイアル2」、ドラマ「仮面ライダー響鬼」などに出演した。

昨年公演の舞台「レ・ミゼラブル」で、エポニーヌ役に抜てきされたが体調不良を理由に降板。以後、入退院を繰り返していた。





法学者で筑波大大学院教授の元永和彦、13日死去、46歳。

1961年宮崎市生まれ。ラサール高校を経て、85年東京大学法学部第I類卒業。92年同大学院法学政治学研究科単位取得退学。
日本学術振興会、金沢大学を経て、99年筑波大学社会科学系助教授に。05年同大学院ビジネス科学研究科教授に就任。研究分野は国際法、国際民事訴訟法。





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画家・評論家の宮迫千鶴、リンパ腫のため19日死去、60歳。

1947年広島生まれ。広島県立女子大学文学部卒。20代の頃から独学で絵を描きはじめる、明るい色彩と自由な構成による絵画を発表。その一方で、写真論や美術論をはじめ、女性問題や家族論など多岐にわたるエッセイや評論活動を展開。70年代の終わりから80年代にかけ、団塊の世代の女性たちのオピニオンリーダー的存在となる。

88年静岡の伊豆高原に移住。「心と体をめぐる癒し」に関心をもち、自然をテーマとした文章や絵画を発表。





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米絵本画家で園芸家のターシャ・テューダー(Tasha Tudor)、バーモント州マールボロの自宅で18日死去、92歳。

1915年マサチューセッツ州ボストン生まれ。名家に生まれ、家にはマーク・トゥエインやオルコット、アインシュタインらが集ったが、9歳のとき両親が離婚。コネチカット州レディングに住む両親の友人の家で育つ。15歳で自立し農業を始める。

38年「Pumpkin Moonshine」で絵本作家としてデビュー。45年絵本「Mother Goose」でコールデコット賞を受賞。57年数字やアルファベットの絵本「1 is One」で再びコールデコット賞を受賞。代表作にコーギー犬が大活躍する絵本「コーギービル」シリーズがある。

生涯に80冊以上の本を出版。その絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭のポスターなどに多く使われている。

私生活では38年結婚。4人の子供に恵まれるが、61年46歳で離婚。72年57歳のときバーモント州の小さな町で自給自足の一人暮らしを始める。




元「プレイガイドジャーナル」編集長の山口由美子、心不全のため18日死去、57歳。

1951年大阪生まれ。70-80年代にかけて関西サブカルチャーをリードした情報誌「プレイガイドジャーナル」(通称プガジャ、休刊)の創立メンバーの一人。76-80年同誌第3代編集長をに務めた。
のち「文房具探偵」として、チャンネルゼロのサイトで活躍。

●プレイガイド・ジャーナル
1971年創刊された大阪発のタウン誌。1970年に創刊され1年で休刊となった「月刊プレイガイド」のあとを受ける形で誕生。タウン情報以外にコラム、インタビューを中心とした誌面づくりが人気を呼ぶ。いしいひさいちや井筒和幸らも連載をもつなど、京阪神の若者たちに支持された。88年休刊。





詩人の伊良子正、肺炎のため鳥取市の病院で4月30日死去、87歳。

1921年京都市生まれ。明治期の詩人、伊良子清白の次男。医師として各地を転々とした父や肉親を題材にした作品で知られる。詩集に「十二月の蝉」「毒茸と髑髏と」「菱」「上機嫌な岬」「湾口と骨」など。





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フランスの映画監督ジャン・ドラノワ(Jean Delannoy)、フランス北部ウールエロワール県ガンビルの自宅で18日死去、100歳。

1908年パリ郊外生まれ。30年ごろ俳優となり「カサノバ」などに出演、後に監督に転向。46年アンドレ・ジイドの小説を映画化した「田園交響楽」で第1回カンヌ国際映画祭のグランプリを獲得。「メグレ警視」シリーズなどのヒット作を送り出した。

他の代表作に43年ジャン・コクトーとの共作「悲恋」、56年「ノートルダムのせむし男」、64年「悲しみの天使」など。フランソワ・トリュフォーやジャンリュック・ゴダールらヌーベルバーグの監督からは作風が職人的、形式主義的だとして批判された。