政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


児童書出版のポプラ社創業者で名誉会長の田中治夫、心不全で21日死去、87歳。

1920年埼玉県生まれ。明治大学を卒業。47年同社を創業。児童書の専門出版社として「少年探偵・江戸川乱歩全集」や「かいけつゾロリ」「ズッコケ三人組」シリーズなどを刊行。 学校図書館の充実や書店振興にも尽力した。

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カザフスタン出身のスーパーモデル、ルスラナ・コルシュノワ(Ruslana Korshunova)、ニューヨーク・マンハッタンのアパートの9階自室から転落し28日死去、20歳。
ジーンズにタンクトップ姿でウォーター・ストリートに転落。ニューヨーク市警は、部屋の中に争った形跡がないことなどから自殺とみているが、詳細は不明。7月2日には21歳の誕生日を迎えるはずだった。

1987年旧ソ連カザフスタン共和国南東部のアルマトイ生まれ。03年モデル事務所「Models 1」のデビー・ジョーンズ(Debbie Jones)によりスカウト。その後ニューヨークやパリに拠点を置くモデル事務所に所属。マーク・ヤコブスやニナ・リッチ、DKNYなど有名ブランドの広告やショーに起用される。英ファッション誌「ヴォーグ」の表紙を飾り、05年同誌に「旬の顔(a face to be excited about)」として絶賛された。「現在のファッション界の女神」と評されるなどトップモデルの1人。

身長174cm、髪ブロンド、目グリーン、サイズ84-62-86cm。

米大衆紙デーリー・ニューズはインターネットの会員制サイトの心ない書き込みに傷つき怒っていたと報じ、自殺の原因となった可能性があるとしている。
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フランスのピアニストで作曲家のレイモン・ルフェーブル(Raymond Lefèvre)、パリ郊外のセーヌポールで27日死去、亜78歳。長く闘病生活を送っていた。

1929年ランス北部カレー生まれ。パリ音楽院を卒業。専攻はピアノとフルート。在学中にジャズに親しみ、56年9月、女性歌手ダリダのデビュー曲「バンビーノ」の編曲と伴奏指揮を担当。56年自らの楽団を設立。60年代「バラ色の心」「シバの女王」がヒットし、2曲が全米ヒットチャートに登場。

72年初来日。70-90年代にかけ特に日本で人気を博し、「レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ」を率いてたびたび日本ツアーを行った。作曲家として多くの映画音楽やテレビ音楽も手がけた。

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米ピアニストで作曲家のレオナード・ペナリオ(Leonard Pennario)、パーキンソン病のためカリフォルニア州ラ・ジョラで27日死去、83歳。

1924年ニューヨーク州バッファフォー生まれ。7歳のときアパートで演奏を披露。10歳でロサンゼルスに転居。12歳でシカゴ交響楽団でデビュー。

56年ピアノ曲「断崖の真夜中」の作曲・演奏などをはじめ、ショパンを中心に生涯に60以上のLPレコードを残した。90年代に引退。
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1933年全国中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会)の準決勝で中京商(現:中京大中京高)と延長25回を戦った元明石中二塁手の嘉藤栄吉、前立腺癌で28日死去、90歳。

兵庫県明石市生まれ。33年夏の準決勝では、0-0で迎えた延長25回裏無死満塁で二塁ゴロを処理し。バックホームの送球がわずかにそれ、サヨナラの走者が生還した。結果、愛知の中京商に0-1で敗れた。球史に残る4時間55分の熱戦だった。

卒業後、旧満州(中国東北部)の実業団チームで活躍。戦後は内外ゴム(明石市)で硬式球の感覚に近い準硬式球「トップボール」の開発に尽力し、国内に広く普及させた。

当時の甲子園出場メンバーで最後の生存者だった。

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元野村証券〈現:野村ホールディングス〉会長の田淵節也、心不全のため26日死去、84歳。

1923年岡山県津山市生まれ。47年京都大学法学部卒業後、野村証券入社。事業法人関係を中心に主に営業畑を歩み「法人営業の田淵」と名をはせた。常務、専務、副社長を経て、78年社長に就任。国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。85年会長に就任。

会長時代に日本証券業協会会長、東京証券取引所理事会議長などを歴任。90年証券業界から初めて経団連(現:日本経団連)副会長に就任。

91年特定の大口顧客への損失補填や、暴力団関係者との不透明な取引など一連の証券不祥事が発覚し、国会で証人喚問され、同年会長を引責辞任、相談役に退いた。

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和太鼓奏者で日本太鼓連盟副会長、御諏訪太鼓保存会宗家会長の小口大八、交通事故による出血性ショックのため長野県諏訪市の病院で27日死去、84歳。岡谷市の自宅前の県道で26日夜、歩行中に自動車にはねられた。

1924年長野県岡谷市生まれ。アマチュアジャズバンドのドラム奏者だった経験を生かし、音色が異なる大小さまざまな太鼓を集めて演奏する「複式複打法」を考案。

53年御諏訪太鼓保存会を結成。諏訪地方に古くから伝わる神楽太鼓の譜面を解読し、廃れていた御諏訪太鼓を復活させた。70年に始まった岡谷市の市民祭り「岡谷太鼓まつり」の運営にも当初から参画。
98年長野冬季五輪閉会式で長野県太鼓連盟加盟チームを率いて「勇駒」を演奏した。

太鼓曲を数多く作り、現代の和太鼓に大きく影響をおよぼした第一人者。著書に「日本の太鼓」「天鼓」など。

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ゴスペル歌手のアイラ・タッカー(Ira Tucker)、心臓疾患のためフィラデルフィアで24日死去、83歳。

1925年サウスカロライナ州スパータンバーグ生まれ。13歳でゴスペルグループ「ディキシ−・ハミングバード」に参加し、リードシンガーを務める。42年ニューヨークのナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」に登場、その後ハーレムの「アポロシアター」にも進出。66年ニューポート・フォーク・フェスティバルにも参加。
代表的な曲に「Let's Go Out to the Program」「In the Morning」などがある。

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最高齢でノーベル賞を受賞した米経済学者のレオニド・ハーウィックス(Leonid Hurwicz)、老衰のため米ミネソタ州の病院で24日死去、90歳。

1917年ロシアのモスクワ生まれ。両親は第1次大戦後ポーランドから流入したユダヤ人。その後家族でポーランドに戻る。ワルシャワ大学で修士号取得。ニコラス・カルドアやフリードリヒ・ハイエクに師事。40年米国に移住。ポール・サミュエルソン教授の研究助手となる。

第2次大戦中はシカゴ大学の気象学研究所に籍を置き、経済統計学を講義。51年ミネソタ大学の教授に就任、経済学・数学を教える。のちミネソタ大名誉教授。

07年ノーベル経済学賞を受賞。複雑な経済的・社会的タスクを解決する「メカニズム・デザイン理論」の基礎構築と発展に貢献したことが評価された。同賞の受賞者として過去最高齢の90歳だった。

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カルドゾ・ブラジル前大統領夫人で人類学者のRuth Cardoso)、サンパウロの自宅で24日死去、77歳。

1930年サンパウロ州アララクアラ生まれ。53年カルドゾと結婚。サンパウロ州立大で人類学を学び、75年同大教授。ラテンアメリカ社会科学大学、チリ大学、米カリフォルニア州立大学バークレイ校、米コロンビア大学などでも講義。

72年の博士論文で、同州の日系人がブラジル社会に同化する過程を調べるなど、日本通としても知られた。

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松山バレエ団の創立者で同バレエ団理事長の清水正夫、多臓器不全のため東京都内の病院で25日死去、87歳。

1921年東京生まれ。日本大学工学部土木工学科を卒業。のちに東京大学工学部建築学科で学ぶ。

48年バレリーナの妻・松山樹子と松山バレエ団を創立。「白鳥の湖」「ジゼル」など古典の普及に努めた。一方で、中国の民話に基づく「白毛女」など多くの創作バレエを世に送り出した。58年初の訪中から12回の中国公演を実施、日中交流にも貢献した。

長男の哲太郎(同バレエ団総代表)とバレリーナの森下洋子が結婚、日本を代表するバレエ団として発展した。

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中国撮影家協会主席で毛沢東主席の次男の妻である邵華(Shao Hua)、病気のため北京の病院で24日死去、69歳。

1938年中国革命根拠地の陝西省延安生まれ。毛主席の次男。59年北京大学に入学、66年同卒業。その間の60年毛沢東主席の次男・毛岸青(昨年3月に死去)と結婚。79年中国共産党に入党。人民解放軍軍事科学院の副部長も務めるかたわら、作家としても知られる。84年から中国作家協会会員。

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グルメ杵屋創業者で会長の椋本彦之、肝炎のため大阪市住吉区の自宅で24日死去、72歳。

1935年大阪市生まれ。54年大阪府立阿倍野高等学校を卒業。57年両国米穀販売店を創業し、
1967年両国食品(現:グルメ杵屋)を創業。71年奈良県に手打ちうどん「杵屋」1号店をオープン。86年グルメ杵屋を設立し、代表取締役社長に就任した。回転すし大手の元気寿司に資本参加するなど多角化を進め、500店を超える外食チェーンを育てあげた。05年から会長。

関西経済同友会幹事や日本フードサービス協会理事を歴任。91年12月から学校法人大阪初芝学園の理事長として教育にも注力した。一方で、寄付金などを裏金としてプールし政治献金に流用した不祥事の責任を取り、08年1月辞任。

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漫才師・故横山やすしの妻の木村啓子、心筋梗塞のため23日死去。61歳。勤務先の大阪府摂津市内の喫茶店から自宅に戻った後に倒れ、府内の病院に搬送された。

大阪府堺市生まれ。75年横山やすし(本名:木村)と結婚。96年1月やすしが亡くなるまで約20年間連れ添った。同年やすしとの思い出を綴った著書「ひとつ星のように」を出版。

漫才コンビ「さゆみ・ひかり」の木村光(ひかり)は長女。俳優の木村一八は義理の息子。

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ドキュメンタリー映画監督の土本典昭、肺癌のため千葉県南房総市の病院で24日死去、79歳。

1928年岐阜生まれ。46年早稲田大学入学。全学連副委員長を務め、52年早大事件の不法集会の責任を問われ文学部除籍。54年日中友好協会事務局に就職。

56年岩波映画製作所に臨時雇員として入社、羽仁進らに師事。57年退社しフリーとなる。羽仁監督の60年「不良少年」で監督補佐などを務める。

65年胎児性水俣病を取材したテレビドキュメンタリー番組「水俣の子は生きている」を発表。71年「水俣−患者さんとその世界」、73年「水俣一揆、75年「不知火海」など16本の水俣病をテーマにしたドキュメンタリーや記録映画などの製作。海外でも高く評価された。

このほか79年中野重治の葬儀の記録「偲ぶ・中野重治」、84年原子力行政と漁業者の攻防を描いた「海盗りー下北半島浜関根」などを製作した。

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