政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
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ロシアのノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Alexandr Isaevich Solzhenitsyn)、急性心不全のためモスクワの自宅で3日死去、89歳。

1918年ロシア南部北カフカスのキスロボツク生まれ。ロストフ大物理・数学科卒業。直後に独ソ戦に召集される。45年スターリン批判の疑いで告発され、欠席裁判で8年間収容所生活を送る。フルシチョフによるスターリン批判の翌57年名誉回復。中部ロシアのリャザンに移り住み,中学校の物理・数学の教師をしながらひそかに文筆活動を始めた。
「雪解け」の自由化政策に乗って62年デビュー作「イワン・デニーソビッチの一日」を発表。ソ連の強制収容所の実態を描き、世界的ベストセラーとなる。

64年フルシチョフ失脚から暗転。67年ソ連作家同盟大会に書簡を送って検閲の廃止を求め当局と激しく対立。長編「ガン病棟」などの発表は許されなかった。

70年ノーベル文学賞を受賞するも、74年2月12日逮捕。国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、76年9月米国に移住。この間、73-75年「収容所群島」執筆。
米バーモント州に居を構え、20世紀ロシアを扱った歴史小説「赤い車輪」の執筆に打ち込む一方、評論や講演で「合理主義に毒された」西欧世界を激しく批判。76−90年までソ連崩壊を先取りする形でソ連を解体しロシアなどスラブ系3国同盟を提案、激しい議論を巻き起こした。

大作「収容所群島」などでソ連の全体主義体制による民衆抑圧を告発した

82年9月密かに短期来日。宗教界のノーベル賞とも言える1983年度テンプルトン賞受賞。90年8月ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカでソ連市民権回復。同年9月、

94年5月27日20年間の亡命生活を経て帰国。回想録やロシアの作家論などの執筆を続けた。05年TVインタビューで「1917年の革命前と同様、国家と社会の対立が深まっている」と民主主義の現状を批判し反響を呼んだ。
07年ロシア文化勲章を受章。




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