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大田昌秀



元沖縄県知事の大田昌秀、呼吸不全・肺炎のため那覇市内の病院で12日死去、92歳。

1925年沖縄県具志川村(現:久米島町)出身。45年沖縄県師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員。戦後、早稲田大学教育学部に進学し、54年卒業。米シラキュース大学に留学、56年同大学院修了。帰国後、琉球大学学長秘書、東京大学新聞研究所をへて、68年琉球大学教授に就任。
90年革新統一候補として沖縄県知事選挙に出馬し当選。91年大田平和総合研究所(13年沖縄国際平和研究所に改称)を設立。98年知事選挙で落選。01年参議院選(比例区・社会民主党)で当選。07年政界引退。

基地問題をめぐりって歴代知事最多の計7回訪米、基地整理縮小などを直接訴えた。95年米兵による少女乱暴事件が発生。地主が契約を拒んだ軍用地について、地主に変わって土地調書に署名押印する代理署名を拒否し、国に提訴された。著書に「沖縄―戦争と平和」「醜い日本人」「沖縄のこころ―沖縄戦と私」など。98年沖縄研究の業績により東恩納寛惇賞、09年琉球新報賞を受賞。17年ノーベル平和賞候補にノミネート。
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