アドセンス 


サイト内検索
検索ページへ

※ キーワードを入力ください

記憶に残る人 -女優-
6987

塩見孝也



新左翼活動で元赤軍派議長の塩見孝也、心不全のため東京都小平市の入院中の病院にて14日死去、76歳。

1941年広島県尾道市生まれ。62年京都大学文学部に入学。在学中から「ブント」活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部となる。69年関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成、議長に就任。70年「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画したが、警察に逮捕された(翌年、実行部隊によるがよど号ハイジャック事件発生)。
72年連合赤軍事件以来分裂状態にあった赤軍派に対し、74年赤軍派(プロレタリア革命派)を結成。その後プロ革派は分裂し、塩見派は79年に日本社会科学研究所(マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)を結成。
よど号事件後に塩見は首謀者として再逮捕され、よど号事件のほか、首相官邸襲撃を計画し、山梨県の山中に同派活動家を集めて武闘訓練をした「大菩薩峠事件」などで、80年懲役18年の判決、82年刑確定。府中刑務所に収監され、89年出所。
出所後はたびたび平壌を訪れ、よど号グループの支援を続けてきた。

関連記事


      











0

Comment

Comment Form

Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
0

Trackback

Trackback URL

- obituary -
月別アーカイブ
Return to Pagetop