
元AP通信東京特派員で元日本外国特派員協会会長のジョン・ロデリック(John Roderick)、米ハワイ州ホノルルで11日死去、93歳。
1914年メイン州ウォータービル生まれ。16歳で孤児になる。
37年AP通信入社。42年ワシントンに移り、兵役。エール大学で日本語を学ぶ。44年はじめて中国訪問。40年代に中国共産党の拠点だった延安で毛沢東らに会見。その後、米メディア界で中国報道の第一人者とされた。中国に駐在できない時代は東京に拠点を置き中国報道を続け、日本を含むアジアの報道に貢献。79年AP通信社北京事務所再開。
65-66年日本外国特派員協会会長。86年日本政府から勲三等瑞宝章授与。
この記事へのコメント
こちらこそ、詳しい情報をほんとうにありがとうございました。日本滞在が長かった方だけに、親交の深かった方は多いと思います。寄せていただいた情報で、在りし日を偲んでいただければ何よりですが。
2008/03/18(火) 18:14 | URL | エピタフ #-[ 編集]
早速の返信ありがとうございます。
そう、先日その家を見に行ってきましたが瀧下ロドリックという表札がありましたので…もしかしたら親戚かな?と思いましたが…。
また、家も昔の面影がありながら結構新しくなっているような感じがしましたので修復を少しづつしていたんですネ。そして極めつけのその写真ですが、後ろの額に写っているヒゲをはやしている左側の人物が当時とまったくかわっていないジョン氏そのものです。かなり昔の写真ですが、昭和50年頃もその毛沢東と一緒に写っているのとまったく同じでしたヨ!。
そしてそのふるい民家といってもかなり立派な大きな家なんです。昔は仏像とかいろいろなものが置いてありました。そんなところです…。
そう、先日その家を見に行ってきましたが瀧下ロドリックという表札がありましたので…もしかしたら親戚かな?と思いましたが…。
また、家も昔の面影がありながら結構新しくなっているような感じがしましたので修復を少しづつしていたんですネ。そして極めつけのその写真ですが、後ろの額に写っているヒゲをはやしている左側の人物が当時とまったくかわっていないジョン氏そのものです。かなり昔の写真ですが、昭和50年頃もその毛沢東と一緒に写っているのとまったく同じでしたヨ!。
そしてそのふるい民家といってもかなり立派な大きな家なんです。昔は仏像とかいろいろなものが置いてありました。そんなところです…。
はじめまして、元鎌倉市民さん。
いいお話、ありがとうございます。ご交流の様子が鎌倉の町と重なって、目に浮かぶようです。私はロデリックさんの名前は存じていましたが、残念ながら直接の交流はありません。
晩年はホノルル在住で、1年のうち一定の期間は日本で古民家を修復しそこで過ごしておられたと聞いています。Yoshihiro Takishitaさんという方を養子にされて、その方が古民家修復に当たられたとか。
ちなみに、最近の写真でこんなのも残っています。http://flickr.com/photos/pritheworld/2328795035/in/set-72157604101877588/
いいお話、ありがとうございます。ご交流の様子が鎌倉の町と重なって、目に浮かぶようです。私はロデリックさんの名前は存じていましたが、残念ながら直接の交流はありません。
晩年はホノルル在住で、1年のうち一定の期間は日本で古民家を修復しそこで過ごしておられたと聞いています。Yoshihiro Takishitaさんという方を養子にされて、その方が古民家修復に当たられたとか。
ちなみに、最近の写真でこんなのも残っています。http://flickr.com/photos/pritheworld/2328795035/in/set-72157604101877588/
2008/03/17(月) 02:46 | URL | エピタフ #-[ 編集]
こんばんは、と言った方がよかったかも…。まさか Re があるとは思いませんでした。小生は現在52歳で戸塚在住です。どのようにしてジョン氏と行き来するようになったかは憶えていません。オートバイにのったりしていたのですがそれで鎌倉で偶然に話すようになったのではと思っています。当時、私は24歳でしたが、ジョン氏を知ったのは19歳か20歳の頃です。私の弟もジョン氏の事を知っていたし回りの何人かの友人たちもジョン氏とは親しく付き合ったりしていたのを憶えています。昭和49年頃から昭和54年頃の話で18歳から26歳くらいの若者たちと一緒にいたということになりますネ。とはいっても四六時中一緒にいたわけではなく休みの日とかにたまたまということでしょう。実際に私は新橋で待ち合わせをしてお寿司をご馳走になった事もありました。どのように待ち合わせをしたかは憶えていません。そして後日そのお礼にケーキを買って家を訪問しましたがあいにく留守だったのでケーキを置いて帰った記憶があります。
正直言って本当に懐かしい出来事です。そして昨日、ジョン氏が鎌倉で
住んでいた家は今どうなっているのだろうかとふいに思いたち…葛原が岡からチョッっと行った、そう左側に鎌倉の町と海が一望できるところにいってみました。そこにあったのが当時の家だったのかどうかは記憶が
あやふやで定かではありませんが、
家の大きさからするとこの家だったのかな〜と思います。当時はまっすぐいって右側に曲がり左側に玄関があった記憶があったのですが少し変わっていました。でもジョン氏が私より41歳も上だったなんて…せいぜい20歳くらい上なのではと思っていたのですから。
そんな事が昔にあったんです。
そして申し訳ありませんエピタフさんは、ジョン氏とどのような続柄になるのでしょうか?。
よろしければお教えください。では…
正直言って本当に懐かしい出来事です。そして昨日、ジョン氏が鎌倉で
住んでいた家は今どうなっているのだろうかとふいに思いたち…葛原が岡からチョッっと行った、そう左側に鎌倉の町と海が一望できるところにいってみました。そこにあったのが当時の家だったのかどうかは記憶が
あやふやで定かではありませんが、
家の大きさからするとこの家だったのかな〜と思います。当時はまっすぐいって右側に曲がり左側に玄関があった記憶があったのですが少し変わっていました。でもジョン氏が私より41歳も上だったなんて…せいぜい20歳くらい上なのではと思っていたのですから。
そんな事が昔にあったんです。
そして申し訳ありませんエピタフさんは、ジョン氏とどのような続柄になるのでしょうか?。
よろしければお教えください。では…
メディアに登場する人物が意外に近しい人だったり、反対に身近な人がメディアに登場したりして驚いたりすることがあって、その人は同じなのに、メディアの魔力なんでしょうね。
いずれにせよ、大なり小なり人の死はなにかしら時代の移ろいを感じさせます。
いずれにせよ、大なり小なり人の死はなにかしら時代の移ろいを感じさせます。
2008/03/16(日) 17:16 | URL | エピタフ #-[ 編集]
読売新聞の訃報欄に写真入りで掲載されていたのですぐわかりましたが実際に長生きされたことはいいことだと思います。でも私が知ったのは今から28年前になりますからかなり老けてしまっていて…でも面影は当時と変わっていませんでした。変な外人のおじさんは実は凄いおっさんだったと言う事を後でしったんです。NHKにもたまに出ていたし!
びっくりしました。悪がきどもを相手に結構くだらに冗談いったりしていましたから…。こちら側からするとその功績とかが信じられないし、
そちら側からすればそんな若者たち
を相手になにをしていたのか?ということになるかもしれませんネ。
いずれにしてもなんか寂しい気がしてひとつの時代が終わったって感じ
と寂寥感で一杯です。
びっくりしました。悪がきどもを相手に結構くだらに冗談いったりしていましたから…。こちら側からするとその功績とかが信じられないし、
そちら側からすればそんな若者たち
を相手になにをしていたのか?ということになるかもしれませんネ。
いずれにしてもなんか寂しい気がしてひとつの時代が終わったって感じ
と寂寥感で一杯です。
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