政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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米プログルファーのオーヴィル・ムーディ(Orville Moody)、テキサス州で8日死去、74歳。

1933年オクラホマ州生まれ。高校時代に州のゴルフ大会で優勝。オクラホマ大学に数週間通ったのち、米軍に入り67年まで14年間勤める。その後プロゴルファーに転向。

69年テキサス州ヒューストンのチャンピオンズGCで行われた全米オープンに地区予選から勝ち上がって出場。後続に1打差をつけて優勝した。初優勝がメジャーという結果となったが、レギュラーツアー時代の優勝はこの1勝のみ。2位(タイ含む)5回。

84年50歳を過ぎてシニアツアー(現:チャンピオンズツアー)に参戦。89年全米シニアオープンで再びメジャーを制する。同ツアーで通算11勝を挙げた。





オクラホマシティー

元米大リーグ外野手でアナウンサーのボビー・マーサー(Bobby Murcer)、脳腫瘍のためオクラホマ州オクラホマシティーの病院で12日死去、62歳。

1946年オクラホマ州オクラホマシティー生まれ。60-80年代ヤンキース、カブスなどで17年間プレー。オールスター戦に5度出場、通算成績は打率.277、本塁打252、打点1043。83年引退後はヤンキースのゼネラルマネジャー補佐を務めたほか、実況アナウンサーに転じて活躍した。





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サッカーの元ポーランド代表選手でミッド・フィールダー(MF)だったアダム・レドウォン(Adam Ledwon)、オーストリア南部のクラーゲンフルトで11日死去、34歳。自宅アパートで首を吊って死んでいるのを発見された。

1974年ポーランド・オレスノ生まれ。ポーランド代表として18試合に出場、1点を挙げていた。ドイツ・ブンデスリーガ1部のバイヤー・レバークーゼン(Bayer Leverkusen)でプレーした経歴があり、ドイツ国籍も取得していた。

現在開催中運のユーロ(欧州選手権)2008では、23人の代表メンバーには選ばれなかった。ここ1年はオーストリア1部リーグのオーストリア・ケルンテンに所属。
前日のトレーニングを無断欠席したためチーム関係者がアパートを訪れたところ、同選手が死んでいたという。

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スウェーデン人元ラリードライバーでトヨタ・モータースポーツ社長などを務めたオベ・アンダーソン(Ove Andersson)、南アフリカで自動車事故に遭って11日死去、70歳。クラシックカーのラリーに出場中にほかの車と正面衝突した。

1938年スウェーデン生まれ。26歳で国際ラリーにデビュー。72年セリカによるRACラリーに参加、翌年トヨタに起用される。

その後自身のチーム「アンダーソン・モータースポーツ」を設立。同社はトヨタに買収され、75年TTE(トヨタチームヨーロッパ)となりる。世界ラリー選手権に参戦し、93・94年シリーズチャンピオンを獲得。98・99年ルマン24時間レースに挑戦、99年準優勝。01−03年までF1に参戦したトヨタ・モータースポーツ(TMG)を率いた。





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スウェーデン出身のテニス選手 (Sven Viktor Davidson)、肺炎のため米カリフォルニア州アルカディアで5月28日死去、79歳。

1928年スウェーデン・ボロース7生まれ。50年からデビスカップのスウェーデン代表選手となり、61年現役引退まで12年連続で代表選手としてプレー。55−57年まで3年連続で全仏選手権の男子シングルス決勝に進出。57年の全仏選手権決勝で初優勝を飾り、スウェーデン初の4大大会優勝者となった。同年の世界ランキングは自己最高の3位。58年ウィンブルドン選手権の男子ダブルス部門でスウェーデンのウルフ・シュミットとペアを組んで優勝し、スウェーデンのテニス選手として最初のウィンブルドン・タイトルを獲得した。





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五輪で計7個の金メダルを獲得したソ連体操男子の中心選手だったボリス・シャハリン(Boris Shakhlin)、心不全のため5月30日死去、76歳。

1932年ソ連生まれ。12歳で体操を始める。54年メルボリン五輪、60年ローマ五輪、64年東京五輪で金メダル計7つ(チーム優勝1回を含む)を獲得。世界選手権では54年、58年モスクワで金メダル計6つ(チーム優勝1回を含む)を獲得した。





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元巨人投手のジェレミー・ゴンザレス(Geremis Segundo González Acosta)、ベネズエラの西部スリア州のマラカイボ湖で落雷を受けた25日死去、33歳。
友人と2人で湖を訪れていた。遺体を引き上げた友人が、警察への遺体引き渡しを拒否しているという。

1975年ベネズエラのマラカイボ生まれ。180cm、90kg。右投げ右打ち。
コレグロ・ラ・チニータ高校を卒業後、91年ドラフト外でシカゴ・カブスと契約。97年デビュー。2年間で18勝をあげたが、怪我のため99-02年までメジャー登録なし。
03年メジャーに復帰し、タンパベイ・デビルレイズやボストン・レッドソックスなどに在籍。メジャーリーグ実働6シーズンで、131試合出場(うち先発83試合)、30勝35敗、防御率4.93。

07年読売ジャイアンツに所属。巨人時代の背番号は94、登録名は「GG」。ニックネームの登録は巨人では初めてだった。成績は5試合に登板し、1勝2敗、防御率6.52。





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フィギュアスケート女子で1936年ガルミッシュパルテンキルヘン五輪銀メダルの(Cecilia Colledge)、米マサチューセッツ州ケンブリッジの病院で4月12日死去、87歳。

1920年32年冬季五輪史上最年少の11歳3カ月でレークプラシッド五輪に出場。36年銀メダルを獲得。37年世界選手権で優勝。37-39年まで3度ヨーロッパチャンピオンを獲得。第2次大戦中は国際大会への参加をやめ、その後プロに転向。46-48年までプロの世界大会で3度優勝した。女子で初めて2回転ジャンプを跳び、キャメルスピンやレイバックスピンを考案した。