政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


元全国労働組合総連合議長の大江洸、頬粘膜がんのため17日死去、78歳。

1929年京都府生まれ。同志社大学を卒業。京都府庁、元自治労連委員長、元全労連議長。その後、労働総研(労働運動総合研究所)代表理事。





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スペースシャトルで3度宇宙に行った米宇宙飛行士のデビッド・ロウ(G. David Low)、大腸癌のためノーザン・ヴァージニアの自宅で15日死去、52歳。

1956年オハイオ州クリーブランド生まれ。父は68年のアポロ8号に計画に携わった。78年ワシントン&リー大学(物理工学)、80年コーネル大学(機械工学)を卒業。82年スタンフォード大学(航空・宇宙工学)で修士号取得。

84年NASAの宇宙飛行士となる。90年スペースシャトル「コロンビア」で11日間宇宙を飛行。その後91年、93年とスペースシャトルに搭乗。




Jean-Marie Balestre

国際自動車連盟(FIA)前会長のジャン=マリー・バレストル(Jean-Marie Balestre)、27日、86歳。

1921年フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンス生まれ。第2次世界大戦後、自動車ジャーナリストとして雑誌「Auto Journal」創刊。50年フランス自動車スポーツ連盟(FFSA)の設立に関わり、73年会長就任。78年国際自動車連盟の国際スポーツ委員会(FIA-CSI)会長に就任、組織を改編。国際自動車スポーツ連盟(FISA)を設立。
78年FISA会長に就任。以降13年間会長職にあって、独裁的に組織を運営した。


80年「FISA・FOCA戦争」でF1分裂騒動が起こる。81年コンコルド協定で和解。これによりFOCAはF1商業権を獲得、FIAはF1競技規約と技術規約の決定権を得た。

86年FIA会長に就任、車輌安全規格の強化など安全対策を実施。

89年日本GPでアラン・プロストと接触したアイルトン・セナをFIAが失格処分に。バレストルがセナのスーパーライセンス剥奪を示唆したことで、同国人のプロストへのを身びいきしているのでは」という報道もなされた。

91年FISA会長選挙でマックス・モズレーに敗れ、93年FIA会長選挙でもモズレーに地位を譲った。モズレーは「FISA・FOCA戦争」でFOCAバーニー・エクレストン会長の法律顧問を務めた人物。

93年FISAはFIAの下部組織となる。バレストルは96年までFFSAの会長職を務めた。






韓国の元従軍慰安婦ムン・ピルギ、持病のため韓国京畿道の病院で5日死去、82歳。

1925年慶尚南道生まれ。43年中国・長春の慰安所で日本敗戦まで働かされた。戦後も1人暮らしの中で慰安婦時代の悪夢に苦しんだ。
00年東京で開かれた旧日本軍による性暴力を裁く民間の「女性国際戦犯法廷」で慰安婦時代の体験を証言。03年から元慰安婦が共同生活を送る京畿道の「ナヌムの家」で暮らした。





magazine National Review

米保守派の論客で元政治討論番組司会のウィリアム・バクリー・ジュニア(William Francis Buckley, Jr.)、米コネティカット州スタンフォードの自宅で27日死去、82歳。

1925年ニューヨーク市出身。エール大学卒業。55年保守系誌ナショナル・レビュー(magazine National Review)を創刊。66-99年まで政治討論番組「ファイアリング・ライン」の司会を務める。ネオコン(新保守主義)の源流をつくった。

65年「保守派」候補者としてニューヨーク市長選に立候補し落選。80年大統領選でレーガン勝利にも尽力。





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元イスラエル軍参謀総長のダン・ショムロン(Dan Shomron)、イスラエル中部テルアビブの病院で26日死去、70歳。

1937年イスラエル北部のキブツ(集団農場)出身。67年の6日間戦争でイスラエル初の落下傘兵としてスエズ運河急襲。76年軍特殊部隊がウガンダの空港を急襲、パレスチナ・ゲリラにハイジャックされた旅客機のイスラエル人乗客を救出した「エンテベ作戦」を指揮。87-91年まで参謀総長。その間78年のキャンプデービッド合意の枠組みの中で、シナイ半島のイスラエル住民及び軍基地の解体を担当。その後、軍事産業の委員長を歴任。





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米公民権運動家のジョニー・カー(Johnnie Carr)、アラバマ州モントゴメリーの病院で22日死去、97歳。

1911年同州生まれ。「米公民権運動の母」と呼ばれた故ローザ・パークス(Rosa Parks)と幼少時からの友人。人種隔離政策時代の55年、モントゴメリーの市バス内で白人席から移るよう運転手から求められたのを拒否して逮捕。この事件をきっかけに1年以上にわたり大規模な公共バス乗車ボイコット運動が起こり、パークスらとともに指導的役割を果たした。

運動を指導した故キング牧師を継いでモントゴメリーの公民権運動団体の議長も務めた。





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レバノンのイラン系イスラム教シーア派武装過激派組織ヒズボラの軍事部門最高幹部の一人イマド・ムグニヤ(Imad Fayez Mughniyah)、シリアの首都ダマスカスで5日死去、45歳。イスラエルによって車を使用した爆弾で暗殺された。

1962年レバノン南部のタイア・ディッバ村生まれ。76年アラファトの軍に狙撃手として参加。80-90年代レバノンで多発した西欧人誘拐事件、レバノンのフランスと米国両大使館爆破、200人が死亡した米海兵隊司令部爆破事件などへの関与が疑われていた。過去30年で中東における最も危険なテロリストともいわれる。