Today's Obituary
映画監督で映像文化協会代表の高岩仁、肝細胞癌のため29日死去、72歳。
1935年福岡生まれ。東京写真短期大学卒。57年東映株式会社に入社、編集部員となる。69年退社しフリーカメラマンに。71年劇映画「どぶ川学級」、75年から「公害原論」「水俣一揆」「実録公調委」など、公害反対の記録映画を撮影。89年「日の丸と君が代」、90年から「教えられなかった戦争」(マレー半島編)、(フィリピン編)、(沖縄編)の戦争関連シリーズを製作した。
1935年福岡生まれ。東京写真短期大学卒。57年東映株式会社に入社、編集部員となる。69年退社しフリーカメラマンに。71年劇映画「どぶ川学級」、75年から「公害原論」「水俣一揆」「実録公調委」など、公害反対の記録映画を撮影。89年「日の丸と君が代」、90年から「教えられなかった戦争」(マレー半島編)、(フィリピン編)、(沖縄編)の戦争関連シリーズを製作した。
シナリオライター兼放送作家の鳥海尽三、肝臓癌のため東京都新宿区の病院で17日死去、78歳。
1929年北海道空知郡滝川町(現:滝川市)生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。学生時代から映画脚本家の陶山鉄と松浦健郎に師事。
64年虫プロダクション入社、文芸部に所属。65年タツノコプロに契約社員として移籍。その草創期から70年代まで、ほぼ全作品の企画・脚本を手掛けた。主な作品に「昆虫物語みなしごハッチ」「科学忍者隊ガッチャマン」「ヤッターマン」など。
シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師を務めていた。
1929年北海道空知郡滝川町(現:滝川市)生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。学生時代から映画脚本家の陶山鉄と松浦健郎に師事。
64年虫プロダクション入社、文芸部に所属。65年タツノコプロに契約社員として移籍。その草創期から70年代まで、ほぼ全作品の企画・脚本を手掛けた。主な作品に「昆虫物語みなしごハッチ」「科学忍者隊ガッチャマン」「ヤッターマン」など。
シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師を務めていた。

映画監督の、脳出血のため奈良県橿原市の病院で20日死去、87歳。
1920年大阪市東区(現:中央区)船場生まれ。関西学院大学文学部卒、48年大映入社。溝口健二らに師事する。58年「化け猫御用だ」で監督デビュー。勝新太郎主演の「悪名」シリーズ、「兵隊やくざ」シリーズ、「座頭市」シリーズほか、市川雷蔵主演の「眠狂四郎」シリーズ数作など時代劇中心に作品を量産。
71年大映倒産後は、テレビ「必殺」シリーズや「赤かぶ検事」シリーズほか、2時間ドラマなどを監督した。今年11月に30数年ぶりに監督した映画「田中徳三監督 少年河内音頭取り物語」が完成。
映画プロデューサーの金子正且、肺炎のため埼玉県川越市の病院で21日死去、89歳。
1918年群馬県生まれ。京都大学卒業。東宝に入社後、戦時中は宇部興産に勤務。戦後東宝に再入社するが、争議の影響で退社。東宝の大物プロデューサー藤本真澄が設立した藤本プロを経て、三たび東宝に入社。プロデューサーとして総計99本の作品を製作した。
成瀬巳喜男、小津安二郎、木下恵介などの巨匠から、鈴木英夫、岡本喜八、恩地日出夫、出目昌伸、森谷司郎らの監督作品を手がける。76年今井正監督「あにいもうと」を最後にプロデューサー業から退いたあと、東京・銀座の名画座「並木座」の代表取締役、ヨコハマ映画祭審査委員長を歴任。
1918年群馬県生まれ。京都大学卒業。東宝に入社後、戦時中は宇部興産に勤務。戦後東宝に再入社するが、争議の影響で退社。東宝の大物プロデューサー藤本真澄が設立した藤本プロを経て、三たび東宝に入社。プロデューサーとして総計99本の作品を製作した。
成瀬巳喜男、小津安二郎、木下恵介などの巨匠から、鈴木英夫、岡本喜八、恩地日出夫、出目昌伸、森谷司郎らの監督作品を手がける。76年今井正監督「あにいもうと」を最後にプロデューサー業から退いたあと、東京・銀座の名画座「並木座」の代表取締役、ヨコハマ映画祭審査委員長を歴任。
女優八千草薫の夫で映画監督の谷口千吉、肺炎のため東京都世田谷区の病院で29日死去、95歳。
1912年東京生まれ。早稲田大在学中から、新劇演出家を志し千田是也らと活動。学生運動弾圧で大学中退後、新劇での活動をへて東宝の前身、PCLに助監督として入社。47年黒沢明との共同脚本「銀嶺の果て」で監督デビュー。同作で三船敏郎が俳優デビューした。続いて「ジャコ万と鉄」「暁の脱走」を発表。大阪万博の記録映画「日本万国博」では総監督を務めた。脚本家の水木洋子、女優若山セツ子と結婚・離婚し、57年八千草薫と結婚。
74年タンザニアの日本青年海外協力隊を素材にした劇映画「アサンテ・サーナ」を監督。
1912年東京生まれ。早稲田大在学中から、新劇演出家を志し千田是也らと活動。学生運動弾圧で大学中退後、新劇での活動をへて東宝の前身、PCLに助監督として入社。47年黒沢明との共同脚本「銀嶺の果て」で監督デビュー。同作で三船敏郎が俳優デビューした。続いて「ジャコ万と鉄」「暁の脱走」を発表。大阪万博の記録映画「日本万国博」では総監督を務めた。脚本家の水木洋子、女優若山セツ子と結婚・離婚し、57年八千草薫と結婚。
74年タンザニアの日本青年海外協力隊を素材にした劇映画「アサンテ・サーナ」を監督。
脚本家・映画監督の犬塚稔、老衰のため17日死去、106歳。
1901年東京市(東京都台東区)生まれ。台湾の台北市で育ち、台北銀行に就職するも、脚本家を志し退社。24年松竹下加茂撮影所脚本部に入社。27年新人俳優・林長丸(のち長谷川一夫)のデビュー作「稚児の剣法」の脚本・監督を担当。以後売れっ子監督となる。
戦後、東宝(宝塚映画)・大映で各1本監督し脚本に専念。大映に移籍し、勝新太郎主演の「不知火検校」ほか、「座頭市」シリーズの脚本を執筆。
02年NHK-BSドキュメンタリー「「101歳のシナリオ」〜日本映画に生きた男・犬塚稔〜」で紹介される。著書に「映画は陽炎の如く」など。晩年は滋賀県安曇川に在住して執筆を続けてた。
1901年東京市(東京都台東区)生まれ。台湾の台北市で育ち、台北銀行に就職するも、脚本家を志し退社。24年松竹下加茂撮影所脚本部に入社。27年新人俳優・林長丸(のち長谷川一夫)のデビュー作「稚児の剣法」の脚本・監督を担当。以後売れっ子監督となる。
戦後、東宝(宝塚映画)・大映で各1本監督し脚本に専念。大映に移籍し、勝新太郎主演の「不知火検校」ほか、「座頭市」シリーズの脚本を執筆。
02年NHK-BSドキュメンタリー「「101歳のシナリオ」〜日本映画に生きた男・犬塚稔〜」で紹介される。著書に「映画は陽炎の如く」など。晩年は滋賀県安曇川に在住して執筆を続けてた。

ドキュメンタリー映画作家の佐藤真、全身打撲のため東京都板橋区の病院で4日死去、49歳。都内の団地の階段から飛び降りた。昨年から鬱病を患い入退院を繰り返していたという。
1957年青森県弘前市生まれ。東京大学文学部哲学科卒。85年各務洋一監督のもとで助監督。のちフリーとなってPR映画、TV番組を多数手掛ける。新潟水俣病が発生した阿賀野川流域の人々をユーモラスに描いた92年「阿賀に生きる」で、山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞、スイスのニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞を受賞。96年有限会社カサマフィルム設立。02年文化庁派遣芸術家在外研究員として英ロンドンに1年間滞在。
映画美学校主任講師。京都造形芸術大学教授。
ドキュメンタリーを現実の素材を再構成した「フィクション」と定義。他の監督作品99年「まひるのほし」、01年「花子」、01年「SELF AND OTHERS」、05年「エドワード・サイードOUT OF PLACE」など。
映画監督の坪島孝、肺腺癌のため東京都杉並区の病院で12日死去、79歳。
1928年広島市生まれ。52年早稲田大学第一商学部卒。東宝に入社。3年間の演技事務を経て、55年助監督。山本嘉次郎、千葉泰樹、福田純らに師事。63年、夏木陽介・星由里子主演「写真記者物語 瞬間に命を賭けろ」を初監督。監督2作目の「クレージー作戦 くたばれ!無責任」以降、クレージー・キャッツ主演の映画を古澤憲吾と監督する。
代表作に66年「クレージーだよ奇想天外」、69年「奇々怪々俺は誰だ?!」、69年松本清張原作「愛のきずな」など。
70年代に田波靖男、小川英、小谷承靖らと「ジャック・プロダクション」創立。テレビドラマやCMの監督を務めた。
1928年広島市生まれ。52年早稲田大学第一商学部卒。東宝に入社。3年間の演技事務を経て、55年助監督。山本嘉次郎、千葉泰樹、福田純らに師事。63年、夏木陽介・星由里子主演「写真記者物語 瞬間に命を賭けろ」を初監督。監督2作目の「クレージー作戦 くたばれ!無責任」以降、クレージー・キャッツ主演の映画を古澤憲吾と監督する。
代表作に66年「クレージーだよ奇想天外」、69年「奇々怪々俺は誰だ?!」、69年松本清張原作「愛のきずな」など。
70年代に田波靖男、小川英、小谷承靖らと「ジャック・プロダクション」創立。テレビドラマやCMの監督を務めた。



