政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


元通産事務次官で元日野自動車工業(現:日野自動車)会長の山本重信、老衰のため3日死去、92歳。

1916年長野県生まれ。東京帝国大学を卒業。39年海軍経理学校を卒業後、旧商工省入省。
戦後、通商産業省に組織が変わる。66年通産省事務次官となる。

69年トヨタ自動車工業に入社。同社副社長、トヨタ自動車副会長を務める。その後、日野自動車工業会長も務めた。





大手住宅機器メーカーのクリナップ創業者で名誉会長の井上登、肺炎のため9日死去、87歳。

1920年福島県広野町生まれ。49年東京都荒川区で個人経営で座卓の製造販売を開始。54年クリナップの前身となる井上食卓(のち井上工業に改称)を設立し、社長に就任。60年クリナップの名でステンレス流し台を発売。73年国内初のシステムキッチンを開発。83年クリナップに商号変更した。





ロッキーアオキ

米国で日本の鉄板焼きチェーン「ベニハナ」を成功させた実業家のロッキー青木(本名:青木広彰)、肺炎のためニューヨーク市内の病院で11日死去、69歳。

1938年東京都生まれ。日本橋の洋食屋チェーン「紅花」の経営者、青木湯之助とかつの長男。慶応大学在学中に全日本学生レスリング代表団のメンバーとして渡米。その後、留学のため渡米。学業の傍らニューヨークで移動アイスクリーム屋を開き、和傘のミニチュアをアイスクリームに添えるアイデアで成功。64年ニューヨーク5番街に鉄板焼きレストラン「ベニハナ・オブ・トウキョウ」を開業。鉄板焼きのパフォーマンスが話題となり、後に一大日本食チェーンとなるベニハナの礎を築いた。

75年にはバックギャモンの全米チャンピオンとなる。80年パワーボート世界大会で2位。82年気球による太平洋横断に成功する。
98年インサイダー取引で訴追され、会長職を退く。

娘のデヴォン青木はファッションモデル。息子のスティーブ青木(キッドミリオネア)は人気のDJ。





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プレス用金型、ICリードフレーム製造大手の三井ハイテックの創業者で会長の三井孝昭、10日死去、87歳。

1921年熊本県八代市生まれ。36安川電機製作所(現:安川電機)に入社、金型工となる。
48年に独立して、福岡県八幡市(現:北九州市)で三井工作所(現:三井ハイテック)を創業。3人からスタートし、金型を軸に事業を拡大。その技術を精密製品作りに取り入れ、半導体部品の量産を実現。同社を半導体用リードフレームで世界トップクラスの企業に育てた。
84年福岡証券取引所に上場、91年東京証券取引所一部にも上場した。

90年専務だった娘婿の永田敏に後任を託し会長に就任。94年業績不振のため永田社長を専務に降格、三井が社長を兼務。98年再び永田は社長に就任したが、02年大規模合理化策の責任を取って退任。三井は三度社長についた。
04年トヨタ自動車出身の坂上隆紀副社長(当時)に社長を引き継ぎ、会長に退く。





秋田県財界

前秋田商工会議所会頭の辻兵吉、肝細胞癌のため秋田市内の病院で5日死去、82歳。

1926年生まれ。52年東京商科大学(現;一橋大学)卒。秋田ゼロックス、秋田いすゞ自動車等の社長をはじめ十数社の取締役・社長・会長を兼任。

86年秋田商工会議所会頭に就任。秋田県財界の重鎮として県経済の発展に尽力した。このほか秋田観光コンベンション協会理事長、秋田県貿易促進協会会長なども歴任。

辻兵(つじひょう)は、秋田市で呉服商を営んでいた店名。現在は一企業グループ名。その名は代々の総帥の名前として引き継がれている「辻兵吉」から取ったもの。





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元野村証券〈現:野村ホールディングス〉会長の田淵節也、心不全のため26日死去、84歳。

1923年岡山県津山市生まれ。47年京都大学法学部卒業後、野村証券入社。事業法人関係を中心に主に営業畑を歩み「法人営業の田淵」と名をはせた。常務、専務、副社長を経て、78年社長に就任。国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。85年会長に就任。

会長時代に日本証券業協会会長、東京証券取引所理事会議長などを歴任。90年証券業界から初めて経団連(現:日本経団連)副会長に就任。

91年特定の大口顧客への損失補填や、暴力団関係者との不透明な取引など一連の証券不祥事が発覚し、国会で証人喚問され、同年会長を引責辞任、相談役に退いた。





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グルメ杵屋創業者で会長の椋本彦之、肝炎のため大阪市住吉区の自宅で24日死去、72歳。

1935年大阪市生まれ。54年大阪府立阿倍野高等学校を卒業。57年両国米穀販売店を創業し、
1967年両国食品(現:グルメ杵屋)を創業。71年奈良県に手打ちうどん「杵屋」1号店をオープン。86年グルメ杵屋を設立し、代表取締役社長に就任した。回転すし大手の元気寿司に資本参加するなど多角化を進め、500店を超える外食チェーンを育てあげた。05年から会長。

関西経済同友会幹事や日本フードサービス協会理事を歴任。91年12月から学校法人大阪初芝学園の理事長として教育にも注力した。一方で、寄付金などを裏金としてプールし政治献金に流用した不祥事の責任を取り、08年1月辞任。





東京吉兆前社長の湯木昭二朗、4月26日死去、80歳。

53年吉兆に入り、61年東京本店開設時から店主。分社に伴い91年から東京吉兆社長を務めた。創始者・湯木貞一の長女・照子の婿。

吉兆・湯木家系図