政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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マレーシアのカジノ王のリム・ゴートン(Lim Goh Tong)、クアラルンプール郊外の病院で23日死去、89歳。

1918年中国・福建省生まれ。19歳でマレーシアへ移住。大工見習から転じ、建設機械販売で成功、大型開発プロジェクトに進出。初代首相アブドラ・ラーマン首相政権末期の70年頃、パハン州の高原リゾート(ゲンティン・ハイランド)開発を発案。膨大な開発資金調達のためカジノ事業をスタート。巨万の富を得た。04年引退し、子息を後継者とする。






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米国の不動産投資家でホテル女王のレオナ・ヘルムズリー(Leona Helmsley)、心不全のため米東部コネティカット州の別荘で20日死去、87歳。

1920年ニューヨーク州マーブルタウン生まれ。2度の離婚の末、72年ハリー・ネルムズリー(Harry B. Helmsley)と3度目の結婚。夫とニューヨークのエンパイアステートビルやホテルなど資産価値50億ドル(約5700億円)の不動産帝国を築き、「ホテル女王」と呼ばれた。

92年脱税罪で実刑が確定し収監。





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フランスの実業家でユダヤ系財閥ロスチルド(ロスチャイルド)一族のエリー・ロベール・ド・ロチルド(Elie Robert de Rothschild)、心臓発作のためオーストリア西部インスブルック近郊シャルニッツ村の別荘で6日死去、90歳。

1917年生まれ。第2次大戦に連合国側兵士として従軍し、ベルギー国境近くでドイツ軍捕虜となる。戦後一族の銀行とフランス南西部ボルドーの世界的ワイン製造元「シャトー・ラフィット・ロートシルト」を再建。レンブラントやピカソ、デュビュッフェなどの美術蒐集家としても知られる。74年引退。





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世界的大富豪ロスチャイルド(フランス読み:ロートシルト)一族に所属するパリ・ロスチャイルド家の当主でフランスの銀行家ギ・ド・ロスチャイルド(Guy Edouard Alphonse Paul de Rothschild)、パリで12日死去、98歳。

1909年パリ生まれ。名門ルイ・ル・グランなどで学ぶ。不況下の31年銀行事業に参画。第2次世界大戦中はナチスのユダヤ人迫害を逃れ米国亡命。戦後フランスに戻り、銀行再建に尽力する。67-79年までロスチャイルド銀行を統括。81年社会党ミッテラン政権下で銀行が国有化され、一時ニューヨークに逃れる。その後87年息子らと再び銀行を再建する。

競走馬育成の愛好家としても知られ、フレンチダービー優勝馬を出した。ワイン醸造家でもある。





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経営学者で国際文化会館理事、日経サイエンス取締役のジェームス・C・アベグレン(James C. Abegglen)、前立腺癌のため東京都千代田区の自宅で2日死去、81歳。

1925年米国生まれ。シカゴ大学在学中に海兵隊に入隊。戦後、アメリカ戦略爆撃調査団の一員として初来日。その後シカゴ大学大学院で文化人類学と臨床心理学の博士号取得。フォード財団の研究員となり、ハーバード大学でE.O.ライシャワー教授らに師事。

55年に再来日し、各地の工場を訪問して58年「日本の経営」を著す。アーサー・D・リトル、マッキンゼーなどを経て、65年ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の設立に参加し、日本支社初代代表を務める。

82年以降は日本に住み、経営コンサルティング会社経営のかたわら、上智大学教授として教団に絶った。97年日本国籍を取得。。





米レンタカー大手エイビスレンタカー創業者のウォーレン・エイビス(Warren Avis)、老衰のためミシガン州の自宅で24日死去、92歳。

第二次大戦中は爆撃機パイロットとして米空軍に所属。車の販売代理店主から身を起こし、エイビスレンタカーを設立。46年1946年ミシガン州のデトロイト空港とフロリダ州のマイアミ空港で世界初の事業所を開設した。その後事業網を拡張し、ハーツに追い抜かれるまで米業界1位だった。54年800万ドルで同社を売却。





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香港の女性実業家で『アジアで最も富裕な女性』として知られるある王如心(Gŏng Rúxīn、英:ニーナ・ワン=Nina Wang)、香港で病気のため3日死去。69歳。

1937年(40年の記述もある)中国上海生まれ。55年に王徳輝(英:テディ・ワン=Teddy Wang)と結婚し、その後香港に移住。製薬企業チャイナチェム社を夫が設立する。不動産開発などで事業を拡大したが、90年に夫が誘拐され失踪。義父と8年間の法廷闘争を経て、彼女が事業を引き継いだ。

米経済誌「フォーブス」による世界長者番付の常連で、2006年度版では78位だった。
ミニスカートとおさげ髪がトレードマーク。香港新界の超高層ビル「ニーナタワー」(如心廣場:Nina Tower One and Two)の名の由来ともなった。





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米ワイン会社創業者のアーネスト・ガロ、米カリフォルニア州中部モデストの自宅で6日死去、97歳。

1909年モデスト近郊シェラネバダ・フットヒルズでイタリア移民の家に生まれる。
禁酒法が廃止された1933年、弟ジュリオ(Julio,1910–93)とともにワイナリーを開設し、ワインの安売り事業をはじめる。当時、アーネスト24歳、ジュリオ23歳。
その後、同ワイナリーを世界最大級のワイン会社「E&Jガロ」に発展させた。現在、世界90カ国以上にワインを輸出し、カルフォルニアワインの名産地ソノマに約2500haの土地を所有している。