政財界から文化・スポーツまで、秀でた功績を残した人々の死亡記事-obituary-で綴るブログ「死亡欄」。(敬称略)
Today's Obituary


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米数学者で初期コンピュータ理論家のアーサー・バークス(Arthur W. Burks)、アルツハイマービュ病のためミシガン州アン・アーバーの介護施設で14日死去、92歳。

1915年ミネソタ州ダルス生まれ。インディアナ州のデポー大学で物理学と数学を学ぶ。ミシガン大学で哲学の博士号取得。43年ENIAC開発チームに加わる。その後、IAS(プリンストン高等研究所)計算機の開発、EDVACにも関わるなど、計算機界の発展に貢献。

フォン・ノイマンの「自己増殖オートマトンの理論」の編者としても広く知られる。


※ENIAC(エニアック:Electronic Numerical Integrator and Computer)
 「電子式数値積分・計算機」を意味し、世界最初のコンピュータともいわれる。
 1946年2月ペンシルバニア大学で初めて公開され、55年10月まで使用されたのち解体。






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スイスの化学者アルベルト・ホフマン(Albert Hofmann)、スイス・バーゼルの自宅で心臓発作のため29日死去、102歳。

1906年スイスのバーデン生まれ。チューリッヒ大学卒業。スイス大手製薬会社サンド社(現ノバルティス)の研究施設で麦角菌の医学的有用性を研究。38-43年にかけて幻覚作用のあるLSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)の合成に成功。精神疾患の治療への実用化が期待された。58年メキシコの幻覚キノコの一種から向精神物質サイロシビンとサイロシンを初めて抽出。71年まで同社に勤務。

LSDは60年代米国のヒッピーらが麻薬として乱用し社会問題化した。66年米国が使用を禁止、他国も追随した。





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米気象学者・数学者でカオス理論提唱者のエドワード・ローレンツ(Edward Norton Lorenz)、癌のためマサチューセッツ州の自宅で16日死去、90歳。

1917年コネティカット州生まれ。ダートマス大学、ハーバード大学大学院に学ぶ。第2次大戦中は陸軍で気象予報に従事。

60年気象の数理モデルで初期条件の小さな違いが結果に大きな違いをもたらすことを発見、チョウの羽ばたきが竜巻を起こし得ることに例えて「バタフライ効果」と表現されるカオス理論を提唱した。

62年マサチューセッツ工科大教授に就任、83年クラフォード賞、87年マサチューセッツ工科大名誉教授、91年京都賞受賞。





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米物理学者で米プリンストン大名誉教授のジョン・ホイーラー(John A. Wheeler)、肺炎のためニュージャージー州の自宅で13日死去、96歳。

1911年フロリダ州ジャクソンビル生まれ。33年ジョンズホプキンズ大の物理学博士号を取得。プリンストン大学の助教授となる。
第2次大戦中にマンハッタン計画に参加。ニールス・ボーアと共同で核分裂を研究、水爆計画に参加した。
アルベルト・アインシュタインと共同で統一理論の構築に取り組み、一般相対性理論や量子重力理論で足跡を残した。60年には量子重力研究をおこない、ブライス・ドウィット(Bryce DeWitt)とともに宇宙の波動関数を記述するホイーラー・ドウィット方程式(Wheeler-DeWitt equation)を生みだした。

ワームホール(57年)やブラックホール(67年)の命名者でもある。





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情報工学者でマサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授のジョセフ・ワイゼンバウム(Joseph Weizenbaum)、癌のため独グレーベンにて5日死去、85歳。

1923年独ベルリン生まれ。両親はユダヤ人。36年ヒトラー支配下のドイツを逃れ、家族と共に米国移住。41年ウェイン・ステート大学で数学を専攻するも、戦争(兵役)で中断。

50年アナログコンピュータの仕事をしつつ、同大のデジタル型コンピュータ開発に関わる。55年ゼネラル・エレクトリック(GE)社に就職、銀行(Bank of America)で使われた最初のコンピュータの開発に従事。63年MIT客員教授に就任。

66年ELIZAと呼ばれる自然言語処理プログラムを公表。人間との対話でカウンセラーを装って対話できることを示した。




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物理学者で元米科学アカデミー会長のフレデリック・サイツ(Frederick Seitz)、ニューヨーク市マンハッタンで2日死去、96歳。

1911年サンフランシスコ生まれ。プリンストン大学卒。物質が固体の状態である時の近代量子理論を確立。62-69年まで米科学アカデミー会長、78年までロックフェラー大(ニューヨーク市)学長。冷戦時代のはじめ、ソ連の核開発に警鐘を鳴らした。

98年京都議定書の科学的根拠となった「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の見解に疑問を示し、地球温暖化に懐疑的立場をとった。ブッシュ政権が京都議定書に代わる提案を検討しようとした科学的論拠となった。





反核実験運動を指導した病理学者ウォルター・バウアー(Walter F.Bauer)、劇症呼吸器障害のため米ミズーリ州セントルイスで2日死去、82歳。

1925年 第2次大戦後に相次いだ原爆や水爆実験に反対し、セントルイスで市民団体設立。58-70年にかけ大気中の射放射能汚染を証明するプロジェクト「セントルイス乳歯調査」を実施し、幼児の乳歯約30万本を調査。その結果、汚染された牧草を食べた牛の牛乳を通じて乳歯に放射性物質が残留することを明らかにした。これにより、60年代前半に大気圏での核実験禁止の実現に貢献した。

ワシントン大学やセントルイス大学で教鞭をとり、73-87年までセントルイスの病院で病理学チームを率いた。





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米分子生物学者でノーベル賞受賞者のジョシュア・レーダーバーグ(Joshua Lederberg)、肺炎のためニューヨークで4日死去、82歳。

1925年米ニュージャージー州モントクレア生まれ。41年コロンビア大学入学、動物学を専攻。43年から軍病院で衛生兵として働き、44年医学士号を取得。47年イェール大学で博士号取得。57年ウィスコンシン大学マディソン校に医学遺伝学部門を設立。

58年微生物の遺伝子の構造と機能の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
その後、スタンフォード大学に移り遺伝学部門を創設。78年ロックフェラー大学の総長、90年同大生物情報学の名誉教授。

89年米国家科学賞を受賞、94年湾岸戦争症候群を研究する部局の責任者となる。

分子生物学以外に、NASAで行われた火星での生命探査プログラムなど人工知能や宇宙開発の研究で知られる。