Today's Obituary

ロシア国立アカデミー民族舞踊アンサンブル(モイセーエフ・バレエ団)の創立者で同国を代表する演出家・コレオグラファー(振付家)の一人イーゴリ・モイセーエフ(Igor Moiseyev)、モスクワ市内の病院で2日死去、101歳。
1906年キエフ(現:ウクライナの首都)生まれ。24年モスクワのボリショイ劇場舞踊学校を卒業。同劇場のバレエダンサーとして活躍。37年ソ連民族舞踊アンサンブルの創立に参加、半世紀以上にわたり芸術監督、演出家、振付家を務めた。日本を含む国外でも数多くの公演を行った。

英国で「ニュージェネレーション」として注目を浴びた米国生まれの画家R.B.キタジ(R.B.Kitaj)、米ロサンゼルスの自宅で21日死去。74歳。
1932年米オハイオ州生まれ。父はハンガリー系移民。17歳で商業貨物船の船員となる。その後ニューヨークやウィーンで絵を学び、2年間の兵役後、英国の美術学校で学ぶ。英国に居を定め、60年代はアーリング美術大学などで教えながら、カラフルな色面と太い縁取りの作品を発表。デヴィッド・ホクニーらとともに「ニュージェネレーション」として注目を浴び、英国の具象的ポップアートに大きな影響を与えた。
カナダの写実主義画家 ケン・ダンビー(Ken Danby)、23日カナダ・オンタリオ州北部でカヌーをこいでいた際に死去、67歳。
1940年オンタリオ州生まれ。オンタリオ美術大学で学ぶ。80年代にアメリカズ・カップ(ヨット)やサラエボ五輪の選手を水彩画で描き話題となる。ほか風景をはじめ、アイスホッケーなどスポーツ選手を描いた写実的な水彩画で知られる。

米画家のバート・ハッセン(Burt Hasen)、ニューヨーク・マンハッタンで7日死去、85歳。
1921年ニューヨーク生まれ。アート・スチューデント・リーグに学ぶ。戦時中は空軍に所属。その際目にした航空地図などが後年の作品に大きく影響している。戦後48-50年までパリで学び、50年同地で初の個展。
90年ニューヨーク美術財団賞など受賞多数。

素朴派(あるいはプリミティブ・アート)の米画家ジミー・リー・サダス(Jimmy Lee Sudduth)、アラバマ州フェイヤットで2日死去、97歳。
1910年アラバマ州ケインズリッチ生まれ。幼い頃から独習で絵を描き始める。60年代後半に初めて個展を開く。80年代に民衆アートのブームが起こり、絵が評価される。スミソニアン研究所にそのコレクションが永久保存されている。

英国の画家スティーブン・キャンベル(Steven Campbell)、虫垂破裂のため15日死去、54歳。
1953年グラスゴー生まれ。学校卒業後、製鉄業で働く。78年グラスゴー美術学校に入り82年卒業。同年フルブライト奨学金で米ニューヨークへ。同地で具象絵画の新しいスタイルとして国際的な評価を得る。
86年グラスゴーに戻り、比ゆ的で物語性豊かな絵画スタイルを考案。「ポスト・モダニズム」として高く評価された。

米国の現代アート作家ジェレミー・ブレイク(Jeremy Blake)、7月17日死去、35歳。22日にニュージャージー州の海で遺体が発見された。自殺と思われる。
1971年オクラホマ州フォークスティル生まれ。93年シカゴ芸術大卒、95年カリフリニア芸術大学で修士号取得。デジタル技術を駆使したヴィデオ作品を得意とし、ホイットニー・ビエンナーレに3度(00年/02年/04年)選出。ポール・トーマス・アンダーソン監督のカンヌ国際映画祭最優秀受賞作「パンチ・ドランク・ラブ」のアートワークや、「BECK」など数々のアルバムデザインを手がける。
ゲームアーティストで恋人のテレサ・ダンカン(Theresa Duncan)が10日に自殺。その1週間後に海へ泳ぎ出していくジェレミーを目撃した人がいる。海岸には衣服や財布が残されていた。ふたりは今年2月ロサンゼルスからニューヨークへ移住したばかりだった。

ロシア系フランス人で20世紀を代表するバレリーナのニナ・ヴィルボワ(Nina Vyroubova)、パリで6月25日死去、86歳。
1921年クリミア半島のグルゾフ生まれ。母にバレエを習ったのち、パリでヴェラ・トレフィロワらに師事。37年フランス北部のカーンでビュー。バレエ・リュスなどを経て、ローラン・プティ(Roland Petit)と出会い、バレエ・デ・シャンゼリゼの結成に参加する。
その後49年パリ・オペラ・バレエにエトワール(プリマ)として参加。国際的評価を得る。
57から62年までマルキ・ド・クエヴァ・大バレエ団に所属。その間61年にルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)が亡命した際、西側で最初のパートナーとなる。


